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女医乃深雪の記録ー快楽の追及ー日常侵食編  作者: 女医乃深雪


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第95話 基準値の証明

応接室の柔らかな間接照明とは裏腹に、そこには張り詰めた空気が漂っていた。 重厚なローテーブルの上には、メインユニットと同期されたタブレット端末が置かれ、無機質なグリッド線が青白く発光している。

「では、始めましょう。まずは末梢、正中神経(せいちゅうしんけい)の伝達速度から」

女医乃深雪の声は、あくまで事務的だった。 彼女は久慈真理子の隣に腰を下ろすのではなく、一歩引いた位置で、銀色のペン型プローブを構えている。

「ええ。見せてもらうわ」

久慈はソファに深く腰掛けたまま、左腕を優雅に差し出した。 その表情には、これから行われるのが「最新医療機器の性能テスト」であるという、自分自身への言い訳とプライドが張り付いている。

深雪がプローブの先端を、久慈の手首の内側――皮膚の薄い部分へ静かに当てた。


『ピ、ピ……』


微かな電子音と共に、タブレット上のグラフが即座に跳ね上がった。 遅延(レイテンシー)は皆無。ノイズのまったくない、美しい波形が走る。


「……速いわね」


久慈は感嘆の声を漏らした。 痛みも、不快な痺れもない。ただ、神経が通電した事実だけが、恐ろしいほどの解像度で可視化されている。

「従来機なら埋もれてしまう微弱なパルスも、完全に拾っています。これなら、術中のモニタリングにおける信頼性は格段に向上するでしょう」 「ええ……。文句なしね。この感度なら、微細な神経縫合の確認にも使えるわ」

ここまでは、医師同士の建設的な会話だった。 久慈の警戒心が、科学的な興味によって薄められていく。深雪はそれを見透かしたように、次のフェーズへと誘導した。

「では、深度を上げます。体幹部……脊髄神経根(ルート)へのアプローチ精度を確認したいのですが」 「……いいわよ」 「ありがとうございます。では、テーブルに手をついて、少し前傾姿勢になっていただけますか? 背骨のラインをスキャンします」

久慈は一瞬躊躇したが、先ほどの「綺麗なデータ」への信頼が勝った。 彼女はソファから立ち上がると、黒檀(こくたん)のローテーブルに両手をつき、無防備な背中を深雪に向けた。


「衣服の上から失礼します」


深雪の声が背後から響く。 カツ、と硬質な音がして、プローブの先端がブラウス越しに背骨の窪み――胸椎のあたりに押し当てられた。


「検索モード、起動」


『ピピピピ……』


探索音が早まる。 久慈の意思とは無関係に、機械は彼女の神経の走行を正確にロックオンしていた。


「……っ」


通電の瞬間、久慈の肩がわずかに跳ねた。 腕の時とは違う。脊髄に近い中枢神経への刺激は、脳への距離が近い分、ダイレクトに「ゾワリ」とした感覚を呼び覚ます。

「動かないでください、久慈先生。……波形が乱れます」 「わ、分かってるわよ……続けて」

久慈はテーブルの縁を強く握りしめ、奥歯を噛み締めた。 ただの電気刺激だ。痛みはない。だというのに、背筋を這い上がる熱量が、かつて実験台で刻まれた記憶を呼び起こそうとする。


「感度良好。……少し下げます。腰椎(ようつい)へ」


プローブが背骨を滑り落ち、腰のくびれあたりで止まる。 そこは、神経が集中する場所であり、同時に「開発済み」のホットスポットでもあった。

「捕捉(ロック)。……深部へパルスを送ります」


「――くっ……!!」


久慈は喉の奥で声を押し殺した。 膝がガクンと折れそうになるのを、テーブルについた腕に力を込めて必死に支える。 (何これ……強すぎる……いや、違う、機械のせいじゃない……) 私の体が、過剰に反応しているのだ。


「素晴らしい」


深雪は久慈の苦悶をよそに、冷静にタブレットを操作し、その画面を久慈の目の前へと滑らせた。


「見てください、久慈先生。このレスポンスを」

久慈は、脂汗の滲む額を拭う余裕もなく、画面を凝視した。 そこには、彼女が「くっ」と耐えた瞬間の、振り切れるような高い電圧のスパイク(興奮反応)が記録されていた。

「抑制しようとする脳の信号(理性)と、身体の正直な反射(本能)。……その乖離(ズレ)も含めて、完璧にデータ化されています」


「は、ぁ……っ。……そ、そう……」


久慈は乱れた呼吸を整えようと、深く息を吸い込んだ。 助教授としての威厳を崩さないよう、必死に表情筋を制御する。だが、テーブルを握る指先は白く変色し、その震えまでは隠せない。

「正確ね……。私の、神経の走行を……完全に、捉えているわ……」

「ええ。ご協力感謝します。これで証明されました」

深雪はプローブを離し、満足げに微笑んだ。


「このスティミュレーターは、どんなに強固な理性の下に隠された神経も、誤差なく暴き出せる、と」

「……ふぅ」


久慈は小さく息を吐くと、乱れたブラウスの襟元を直し、再びソファに深く座り直した。 まだ頬には微かな紅潮が残っているが、その瞳には医師としての理性が戻りつつある。


「驚いたわ。素晴らしい性能だけど……少し、感度が高すぎるわね」 「そう思われますか?」 「ええ。未熟な研修医が扱えば、神経を過剰に刺激して、予期せぬショックを与えかねない。……医療事故(アクシデント)のリスクがあるわ」

久慈はテーブル上のスティミュレーターへ、警戒と愛着が入り混じった視線を向けた。


「当面、このデバイスの管理と使用は、私と深雪、二人だけに限定しましょう。鍵のかかる保管庫で厳重に管理するわ」 「賢明なご判断です、久慈先生。この『鋭さ』を正しく扱えるのは、今のところ私たちだけでしょう」

深雪は恭しく頷き、プローブをケースへと収めた。 「私たちだけ」という言葉が、秘密の共有を意味することを二人は無言のうちに理解している。


「ところで、久慈先生」


空気が落ち着いたのを見計らい、深雪は話題を変えた。

「先日ご依頼いただいていた、来月の学会用レポートですが……解析はほぼ完了しました。あと数日で決定稿をお渡しできます」 「あら、本当? 早いわね」


久慈の声が弾む。 彼女にとって、学会での評価は死活問題だ。深雪の作る完璧なデータと考察は、久慈のキャリアを支える最も強力な武器だった。


「助かるわ。あなたの考察はいつも鋭くて、教授陣からの評判もいいのよ。期待しているわ」 「光栄です。……つきましては、そのレポートの補足データの件ですが」


深雪はコーヒーカップを手に取り、静かに切り出した。


「今回の新型スティミュレーターとの相関(そうかん)データを取りたいのです。ついては……また、『生体反応計測装置』を使った治験(テスト)をお願いできないでしょうか?」


『生体反応計測装置』。 その単語が出た瞬間、久慈の手がわずかに止まった。 かつて彼女自身が拘束され、理性のタガが外れるほどの快楽を計測された、あの大型装置のことだ。


「……論文の、精度を上げるためですか?」 「ええ。局所的な刺激だけでなく、全身の反応データと照らし合わせることで、より説得力のあるレポートになります」


それは建前だ。 深雪が求めているのが、医学的なデータ以上の「何か」であることを、久慈はもう察している。 だが、拒絶はしなかった。拒絶する理由も、気概も、すでに彼女の中にはない。


久慈は少しだけ俯き、長い睫毛(まつげ)を伏せた。


「……分かっているわ。いいわよ」


「あなたが必要だと言うなら、協力するわ。…… 「ありがとうございます。良いデータが取れると思います」


深雪は満足げに微笑んだ。 重たい契約が、事務的な会話の中に溶けていく。


久慈は顔を上げ、空になったカップを置くと、努めて明るい声で言った。

「……仕事の話は、これで終わりよ」

久慈はこめかみを軽く押さえながら立ち上がると、窓の外に広がる夜景へと視線を投げた。その横顔には、疲労の色と、拭いきれない苛立ちが滲んでいる。


「たまには付き合いなさい。今夜、食事でもどう?」


それは提案というより、命令に近い響きだった。


「いいワインが入った店があるの。……今日は少し、酔いたい気分だわ」


先ほどの実験まがいの検査で疼いた神経を、アルコールで麻痺させたい。 そんな本音を隠し、久慈はあくまで「上司の誘い」という体裁を取り繕う。


深雪はカップを音もなくソーサーに戻すと、表情を変えずに久慈を見上げた。 そこには親愛の情などない。あるのは、有能な共犯者に対する冷ややかな計算だけだ。


「……ええ、よろしいですよ」


深雪は短く答えた。 断る理由はない。このプライドの高いパトロンの手綱を握っておくためには、多少の「接待」も必要コストだ。


「そう。なら、行きましょうか」


久慈は深雪の返答に満足し、白衣を脱いでコートを手に取った。 二人は並んで部屋を出る。 互いの腹の底を探り合い、利用し合う関係であることを承知の上で、二人は夜の街へと消えていった。

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