第76話 報酬系のざわめき
白光に照らされた研究室に足を踏み入れた瞬間、篠原美沙子の喉の奥が、熱を持ったように爆ぜた。
扉を閉じる音。無機質な空調の音。そして――部屋の中央に鎮座する、あの拘束台。
「……あ」
理性が声を上げる前に、視線が吸い寄せられる。
無機質なステンレスの冷たさ、手足を縛める黒いベルト、そしてトレイの上に用意された、前回自分を蹂躙した拡張型多点センサー。そのすべてが、篠原の脳内に焼き付いた「スパイク」の記憶を、暴力的な鮮明さで呼び覚ます。
「少し、準備に時間がかかります。設定を更新していますので」
深雪は端末に向き合ったまま、振り返りもせずに告げた。
傍らのテーブルには、一杯の水が用意されている。
「そちらで少し休んでいてください、委員長。……お疲れでしょう?」
深雪の言葉は、同僚としての気遣いに満ちている。
篠原は促されるままに椅子へ腰を下ろしたが、背筋を伝う戦慄を抑えることができなかった。
(落ち着くのよ……。今日は、パッチの効果を確認するだけ。これは、仕事の一環なのだから)
そう自分に言い聞かせ、震える指先でグラスを手に取る。
冷たいはずの水が、喉を通る際、ひどくぬるく感じられた。自分の感覚が、この部屋に入った瞬間から狂い始めている。
視界の端に、あのマシーンが映る。
理性が「見るな」と警告しているのに、視神経が勝手に、あのセンサーの導電面の輝きを追いかけてしまう。
見れば見るほど、うなじの皮膚が粟立ち、下腹部の奥に重苦しい「ざわめき」が溜まっていく。
(……おかしいわ。私は、あの装置が嫌いなはずなのに……)
恐怖、嫌悪、拒絶。そのどれもが、脳の深部――報酬系へと届く間に、質の異なる「期待」へと変換されていく。
多点センサーが内壁をなぞる際のあの圧迫感、電極が跳ね上げる波形。そのすべてを、彼女の側坐核はすでに「報酬」として学習してしまっている。
「……っ」
無意識に膝を閉じる。
まだ何もされていない。深雪はただ、キーボードを叩いているだけだ。
なのに、篠原の身体は、すでに拘束台へ横たわる「その時」を予見し、ひどく過敏な予期反応を刻み始めていた。
理性が防壁を築こうとすればするほど、内側のざわめきは増していく。
深雪の「優しさ」によって与えられたこの空白の時間が、篠原にとっては、自分の肉体の変節を突きつけられる、何よりも残酷な拷問となっていた。
「……さて、準備が整いました。委員長、着替えていただけますか」
深雪が静かに振り返る。
その平熱の瞳とぶつかった瞬間、篠原は自分の心拍が跳ね上がるのを自覚した。
報酬系という名の怪物が、理性の鎖を引きちぎろうと、静かに牙を剥いた。




