第80話 審判の天秤
深雪はスライダーに指を添えたまま、動かさない。
だがその視線は、モニターに映る現在の80%の波形と、その先に仮想で描かれた「到達線」を冷酷に結びつけていた。
(……シミュレーションを開始。出力を、わずか『一目盛り』上昇させる)
深雪の脳内で、未来のグラフが音もなく更新される。
たった一目盛り。物理的には微々たる出力の変化だが、パッチによって極限まで増幅され、脊髄を通じて報酬系と直結している今の篠原にとって、それはダムの決壊を招く最後の一滴に等しい。
(この一目盛りで、彼女の反応グラフは前回の100%――絶頂閾値を完全に突破する。……問題は、その先だ)
深雪は、拘束台で荒い息を吐く篠原を、検体として見つめる。
脊髄から逆流するインパルスが、すでに彼女の骨盤内を飽和させている。一目盛り上げれば、その圧力が一気に噴出し、潮吹きという生理現象を強制的に引き起こすだろう。
(前回同様、100%に達した瞬間に出力を遮断し、再び『寸止め』で放置するか。……それとも、今回は彼女自身に選択肢を与えるか)
深雪はモニター上の波形を再度確認し、多点センサーの出力スライダーに指を添えた。
「……次の一目盛りで、前回の閾値に到達します」
淡々とした、報告に近い声だった。
「現在の同期効率から逆算して、この一目盛りが前回のデータとの整合性を取る最終段階です。……波形が100%に重なった時点で、一度、計測を静止させます」
深雪の指先が、わずか数ミリ。
カチリ、とスライダーが刻まれた。
その瞬間、篠原の深部を占拠していた多点センサーの駆動が、明確な一段階の「強さ」を持って彼女を突き上げた。
「っ……、……ぁ……っ!!」
物理的な振動の増加。それはわずかな変化だったはずだが、パッチによって過敏になった彼女の神経系は、それを脳幹を直接揺さぶるような暴力的な衝撃として受け取った。
モニター上の赤いラインが、前回の100%地点を正確に捉える。
深部でせき止められていた流体圧が、物理的な振動の激化によって、いよいよ制御不能な脈動へと変わった。潮吹きの前兆。パッチによって増幅された「100%」の信号が、脊髄から脳へと濁流のように流れ込み、理性の防壁をひたひたと浸食していく。
内腿の筋肉が拘束ベルトの下で激しく痙攣し、ステンレスの台を細かく叩く。
深雪はそのままスライダーから指を離した。100%のラインに張り付いたまま、収まる気配のない波形。そして、物理的な「一目盛り」の増加によって、出口を求めて激しく波打つ篠原の肉体を、ただ静かに見つめた。
(……理性が焼き切れる寸前の、最も純粋な『飢餓状態』)
静寂の中、篠原の荒い吐息と、ステンレスを叩く肉体の震えだけが響き続けていた。深雪は、自らの意志で快楽の完結を乞わせるべきか、それともこのまま尊厳を削り続けるべきか。
天秤の針は、まだ中央で震えている。




