第73話 侵食の残響
あの日以来、深雪からの接触はない。
病院ですれ違えば「お疲れ様です」と、いつも通りの事務的な挨拶が交わされる。その徹底した「日常」に、篠原は自分だけがあの日の診察室に置き去りにされているような、奇妙な孤立感を覚えていた。
深夜、自室で赤ワインのグラスを傾けながら、彼女は重苦しい思考に沈んでいた。
(……まだ、残ってる)
一週間経っても、身体の奥に居座る「違和感」が消えない。
あの日、絶頂の直前で放置された場所が、ふとした瞬間に熱を持って疼きだす。それは快楽というより、書き換えられたプログラムが修復できずにエラーを出し続けているような、不快なノイズだった。
一度、耐えきれずに自ら手を下した。
シーツを無残に汚すほどに果てはしたが、虚しさが募るだけだった。
自分の指による刺激は、どこまで行っても「自分の想像力」の範疇だ。深雪がデバイスを介して見せた、脳に直接杭を打ち込まれるような、暴力的なまでのあの感覚とは比べるべくもなかった。
(……埋没型、なんて)
ワインの酔いの中で、その言葉だけが執拗に脳裏を回る。
チップを体内に留置する「手術」。それは医師である篠原にとって、一線を越えるどころではない暴挙だ。
(流石に、手術なんて。医学的妥当性も、正当な理由もないわ。……そんなこと、絶対に認めない)
もし深雪がそれを強行しようとするなら、今度こそきっぱりと拒絶する。自分の肉体を切り開き、異物を埋め込まれるような「改造」を受け入れることだけは、医師としての、そこで人間としてのプライドが許さない。
だが、深雪からは一向に連絡が来る気配はなかった。
「いつまでこんな状態が……」
この一週間の、仕事中も夜もつきまとう不快な「ノイズ」。
深雪とすれ違うたびに強まる、あの日の残響。
決着をつけたいと思っても、相手が動かなければ、自分はただこの「バグ」を抱えたまま、終わりのない日常を演じ続けるしかない。
それが明日なのか、数日後なのかもわからないまま、篠原は冷え切ったベッドに潜り込んだ。
いつ訪れるかわからない「次の呼び出し」への恐怖と、この宙ぶらりんな状態から逃れたいという、言葉にできない焦燥。
暗闇の中、彼女は自分を律するように、何度も「拒絶」の言葉を脳内で繰り返していた。




