第4話 孤独なる研究室
女医乃 深雪は、白衣のまま椅子に腰を下ろしていた。
久慈主任の「あなたが困らないように」という言葉がまだ耳に残っている。
だが、私がこの部屋で求めるものは、彼女の想定など遥かに超えていた。
夜の研究室は、異様な静けさに包まれていた。
冷却装置の低い唸りが、臓腑の鼓動のように空気を震わせる。
窓のない白壁は光を吸い込み、時間の感覚すら奪っていく。
――ここは、私だけの臓腑であり、祭壇であり、棺でもある。
机の上には、分解途中の神経模型と、血痕のついたメスが転がっていた。
臨床で使う器具と、研究でしか使わない器具が混在し、秩序を失っている。
だが混沌こそ、創造の始まりだ。
私は目を閉じ、かつての手術の記憶を呼び起こした。
脳腫瘍の切除、血管の縫合、神経の圧迫解除……。
痛みを断ち切り、苦悶を解放する技術は、すでに手にしている。
しかし――快楽を操作する術は、どこにも存在しない。
「痛みは生存の信号。
快楽は、生殖と進化の信号。
ならば、まだ誰も開けていない扉は……快楽にこそある」
独りごちる声が白壁に反射して消える。
私はペンを握り、カルテの余白に思いつきを書き連ねた。
「胸部突起――吸引型」「膣前壁――蠕動刺激」
記録は実験計画書ではなく、ほとんど妄想に近い。
それでも書き出さずにはいられなかった。
棚の奥で、電極やガラス瓶が光を反射した。
その並びは、まるで触手の群れがこちらを覗いているかのようだった。
私は息を詰め、頬を指でなぞる。
――まだ形にならない。だが、必ず形にする。
「未知こそ、解剖すべき神経」
その言葉を口にした瞬間、私はもう“臨床医”ではなくなっていた。
研究と妄執は、境界を越え、静かにひとつに溶け合っていく。




