第49話 待機と毒の解析
送信履歴の点滅が消え、室内はしんと静まり返った。 深雪はコーヒーを口に運び、椅子に深く沈み込む。
(……応答はすぐには来ない。だが、それもまた反応の一つ)
視線は端末から離れ、机上の採取器具へと移る。報告書は布石にすぎない。――次の臨床に備えるなら、別の手札を揃えておかねばならない。 遠く培養室の冷却装置が「ゴウン」と唸りを上げ、深雪の耳に低く響いた。口元にわずかな笑みが浮かぶ。
「……待つ間に、毒の解析を進めましょうか」
保存していた試料データを呼び出す。画面には、47話で収集した三種の成分ピークが並んだ。 (A=痙攣誘発、B=抑制、C=残留……単独ではただの“毒”。だが、もし組み合わせれば?)
シミュレーションを走らせる。モニターの波形が重なり、緑と赤の山が不気味に揺れ動く。
A+B → 意識は鈍るのに筋肉だけが痙攣する。
B+C → 反応が遅れたまま長時間続き、外部の指示に従いやすくなる。
A+C → 震えが止まらず、そのまま数時間固定される。
深雪は淡々と指を走らせ、記録を追記する。 (これは単なる“毒”ではない。――制御の素材だ)
保存フォルダに新たなタイトルが刻まれる。 《毒型触手・複合解析》
委員長室・篠原
端末の画面には、深雪からの報告書がまだ開かれたまま残っていた。 「導入初期の誤差の可能性あり」――その一文に、視線が何度も戻る。
(……誤差、そう言えば救われる。けど――あの波形を誤差と呼ぶのは、現場を見た自分を否定することになる)
指先で返信欄を開き、「再評価の必要は――」と打ちかけて、すぐに削除した。 文章にしてしまえば、自分の中の矛盾を覆い隠すことになる。
昨夜の記憶が胸を締めつける。 センサーの冷たさ、拘束具の痕、シーツを濡らした自分の震え。 それは委員長としては見過ごすべきことだが、**元研究者としては「検証すべき現象」**に思えてならなかった。
(……あの跳ね上がりの直前、どんな条件が揃っていたのか。疼痛研究の知識では説明できない。 “誤差”で片づけるには、あまりに再現性を思わせる揺らぎだった)
額に手を当て、息を吐く。 報告書に文字を返すことはできない。だが沈黙し続けるわけにもいかない。
端末を握り直し、通話アイコンに指を伸ばす。 (……せめて電話で、確認しなければ)
画面がかすかに揺れる。指先はボタンの上に留まり、押し切れずに震えていた。




