第20話 約束の余韻
病院のカフェテリア。 白衣姿の久慈は紙コップのコーヒーを揺らしながら、深雪の席に腰を下ろした。 「新しいMRI、調整が難しいって皆言ってるわね」 「ええ、研修医も手こずってました」深雪が淡く笑う。 ほんの数分、ふたりはただの同僚医師に戻ったかのようだった。
だが、コーヒーを口に運ぶ深雪の横顔を見た瞬間、久慈の胸にわずかな違和感が走る。 ――どこか、冷たくなった? 問いを飲み込むように視線を逸らす。
深雪はカップを置き、主任をまっすぐ見つめた。 「……主任。近いうちにまた、ご協力をお願いすることになるかもしれません」 「ご協力?」久慈の眉がわずかに動く。 「外科の大きな症例が片づいたら、改めてこちらから」 声は柔らかいが、含むものは重い。 久慈は笑みを保ったまま、指先が一瞬止まった。 「……そう。分かったわ」 短い沈黙が二人の間に流れた。
その夜、久慈宅。 ワイングラスを手に、一日の疲れを解きほぐす。 赤い液が揺れるたびに、昼間の深雪の眼差しが蘇る。
視線を逸らすと、テーブルの隅には読みかけの医学書とカルテが置かれたまま。 「結局、家に戻っても医者のままなのね」 小さく苦笑し、グラスを唇に運ぶ。
その瞬間、首筋がわずかに締め付けられる錯覚が走った。 冷たい拘束具が皮膚に食い込んだ感覚――前回の記憶が脳裏をかすめる。 指が一瞬震え、「……違うわ、思い出す必要なんて」と声に出して否定する。 だが呼吸は浅くなり、頬の紅潮も隠せない。
鏡に映る自分の首筋に、まだ消えきらぬ痕を見つける。 「約束は……まだ果たされていない」 低く呟き、グラスの底を見つめた。 ワインの赤が揺れ、深雪の冷ややかな視線と重なるように滲んでいた。




