第19話 報酬回路
病院カフェの窓際。 午後の光が射し込む中、深雪はカップを指先で転がしていた。向かいには久慈。互いに白衣を脱ぎ、ただの同僚のように見える時間。
「……最近、依存症の患者が増えているのよ」 久慈が何気なく話を振ると、深雪の眼差しが僅かに鋭さを帯びた。
「依存。いい言葉ね」 微笑を浮かべつつ、深雪は匙でコーヒーをかき混ぜる。 「結局は、ドーパミン。神経の報酬回路が勝手に踊っているだけ」
久慈は頷きながらも、その声音に冷気を感じた。 「あなた、本当にそう思ってるの?」 「ええ。愛情も、信頼も、ぜんぶ化学物質の戯れ」 淡々とした口調のまま、深雪はカップを口に運ぶ。
その夜、研究室。 保存槽に沈む触手が、蛍光灯の下で揺らめいている。深雪は赤い唇を近づけ、低く囁いた。
「あなたたちも報酬を欲しているのでしょう? 疼き、結合し、飽くことなく快感を追う」
保存槽に滴下した試薬に反応し、触手が一斉に蠢いた。まるで言葉に同意するかのように。 深雪の眼差しは冷たく輝く。
――痛みの回路はもう解明した。
――性感の回路も、あと一歩。
――残るは依存。報酬系の解剖がすべてを支配する。
記録用のペンが走る。 「依存も愛情も、結局は化学物質。私は、その回路の設計者となる」
カフェでの何気ない会話は、研究者としての彼女の確信を裏打ちする序章に過ぎなかった。




