第17話 脈動
深雪は腫瘍片を慎重に培養槽へ移送した。
等張保存液にアルブミンやグルコースを補強した標準処方を用いるが、組織は沈黙している。
顕微鏡越しに観察しても、細胞はわずかに漂うだけ。
――「死なせるわけにはいかない」
冷徹な口調で自分に言い聞かせるが、胸の奥には焦燥が走っていた。
深雪は血漿を取り出し、滴下する。
その瞬間、試料がじわりと震え、かすかな膨縮を繰り返し始めた。
液面に「とぷり」と波紋が広がり、まるで呼吸をするように全体が脈動を開始する。
死の危機 → 血漿で蘇生。
その変化に呼応するように、深雪の鼓動も速まる。
「……やはり、人間の血でしか呼吸できないのね」
呟きは冷静だったが、瞳は光を宿していた。
◇
初期解析に移行。蛍光染色下で細胞群が規則的に発火し、4.2秒周期の活動電位が同期して記録される。
通常の腫瘍には見られない安定性と応答性――まるで「応答を選んでいる」ような挙動だった。
「単なる腫瘍じゃない……選択している」
深雪は端末を操作しつつ顕微鏡を覗く。
呼吸は浅く、冷徹な研究者の視線の裏で、胸の奥には熱が波のように押し寄せていた。
やがて、自分の心拍がその波形に引き寄せられていくのを自覚する。
画面に刻まれる周期と、体内の鼓動が重なり、共鳴していく。
深雪の鼓動と試料の脈動が、静かに重なり合う。
――「記録は、ここから始まる」
◇
冷却装置の低い唸りが、まるで第三の心臓のように室内に響く。
脈動は試料だけでなく、空間全体を包み込んでいるかのようだった。
深雪は浅い呼吸を整えようとし、無意識に震えた指先をポケットに隠す。
端末には「予備実験:成功の可能性あり」とだけ記録を残す。
だが内心では、別の言葉が響いていた。
――これは序章にすぎない。
槽の奥で「とぷり」と小さな音が応え、深雪はただ冷たい眼差しで見つめ続けた。




