第16話 余波
術野が閉じられ、モニターの数値が安定する。 スタッフたちが一斉に息をつき、術後の片付けに取りかかった。 久慈はグローブを外し、落ち着いた声で指示を飛ばす。 「病理に回す分はラベルを確認して。感染対策は念入りに」 主任らしい冷静さに、場の空気は整っていった。
深雪も表向きは淡々と補助に徹した。 だが手袋の下、指先にまだ「ぬるり」とした感触が残っている気がした。 腫瘍のふりをしたそれが、吸引を避けるように蠢いた瞬間―― 臨床では味わえない熱が、胸の奥を微かに揺らしていた。
スタッフが引き上げ、オペ室に残ったのは二人だけになった。 久慈が口を開く。 「……深雪、あの組織。本当に大丈夫なの?」
深雪はカルテを閉じ、淡々と応じる。 「もちろんです。病理に回した分も結果が出れば主任も安心できますよ」
「そう……ね」 久慈は小さく頷きながら、なお視線を外さなかった。 彼女の眼差しには、安堵と共に消えきらない疑念が潜んでいた。
深雪は白衣の裾を整え、涼しい顔で返す。 「随時報告いたします。主任にとっても意味のある結果になるはずですから」
――その裏で、心拍はまだ速い。 自分だけが知っている素材、自分だけの記録。 報告すると口にしたその瞬間から、どの数値を隠し、どの事実を渡すかを冷静に選別していた。
扉が閉じる音とともに、オペ室には静けさが戻る。 深雪は手袋を外し、指先を軽く眺めた。 ――本当の報告は、誰にも渡さない。




