第141話 拡張型多点センサーと絶対の報酬系
視界の端に捉えた光景に、篠原は思わず息を詰めた。
深雪がコンソール上の滅菌ケースを開け、最新型の『拡張型多点センサー』を取り出したのだ。
それは、前回の治験で使用されたものとは明らかに形状が異なっていた。
先端から異様に枝分かれした『三又』の構造。側面には無骨なサイドモジュール(側面拡張ユニット)が組み込まれ、単なる計測器の域を完全に逸脱した、過剰で暴力的なフォルムを晒している。
(あれは……。)
直視した瞬間、元・研究者である篠原の明晰な頭脳は、あの三又のデバイスが、挿入後に自身の最奥で「物理的に展開する」ための構造であることだけは瞬時に理解してしまった。
これからあの無機質な機械が、無防備に晒された自分の最奥へと侵入し、無慈悲に爪を開く。その暴力的な予感に思考が戦慄する。だが同時に――1.2倍に書き換えられたハードウェアが、その強い刺激の予感を「待ち焦がれたターゲットの襲来」として一切のロスなく受信してしまう。
抗いようのない強烈な予感に脳髄を焼かれ、篠原は無意識に腰をよじって逃れようとした。
――プシュッ。
だが、その微細な筋収縮すら、この最新鋭のチェアは許さない。
座面の『骨盤ロック機構』が篠原の動きを瞬時に感知し、自動で空圧を再調整したのだ。よじろうとした力は柔らかなクッションに完璧に吸収・相殺され、骨盤はミリ単位のズレも許されず、さらにガッチリとホールドされる。
(……動け、ない……!)
ここで篠原は、この高額な空圧チェアの『本当の恐ろしさ』を絶望と共に理解した。
人間は通常、強い刺激や恐怖に襲われた際、身体をよじったり、震えたり、力んだりすることで、そのエネルギーを外へ「逃がす」ことができる。しかし、このチェアの空圧制御は、その運動による逃げ道を完全に塞いでしまう。
身体を動かして感覚を逃がすという「出口」を失った結果、どうなるか。
行き場を失ったエネルギーは体内で乱反射し、常人の1.2倍に高密度化された彼女の神経ネットワークへと、すべて強制的に逆流してくるのだ。
運動によるごまかしが一切効かない。逃げられないからこそ、自身の無防備さと過敏な知覚のすべてを、余すところなく克明に味わわされる。それこそが、この空圧チェアがもたらす『真の能力』であった。
コンソールでの操作を一段落させた深雪が、静かに振り返った。
「委員長、あと5分ほどでマシンの最終準備が終わります。そのまま、リラックスしてお待ちくださいね」
「…………」
担当医としての穏やかな声。だが、空圧チェアの完全なホールドによって『感覚の逆流ループ』に陥っている篠原には、ただ静かに息を詰めることしかできない。
そんな篠原の姿を見た深雪は、ふと微かに目を瞬かせた。
「あ……申し訳ありません。こちらに気を取られて、気づきませんで」
深雪の視線が向いたのは、篠原の胸元だった。
限界まで開脚し、骨盤を高く持ち上げられた測定用ポジション。その無理な姿勢のせいで、羽織っていただけの手術着は下半身だけでなく、上半身も大きくはだけ気味になっていたのだ。ふくよかな双丘の柔肌が露わになり、過敏に立ち上がった乳頭が、薄い布地の隙間からわずかに顔を覗かせてしまっている。
深雪はすぐさま篠原の傍へ歩み寄ると、患者が体を冷やさないための純粋な医療的配慮から、ずり下がっていた手術着の襟元を掴み、胸元を隠すようにスッと上へ引き上げた。
――その瞬間だった。
引き上げられた手術着の簡素な繊維が、露出していた篠原の敏感な乳頭を、僅かに擦りながら通過した。
通常であれば、気にも留めないほどの些細な摩擦。
だが、動くことを許されず、行き場を失った知覚が1.2倍の密度で脳と肉体を巡り続けている今の篠原にとって、それは強烈な雷撃に等しかった。
(――っっ!)
ビクンッ、と。
外側からは微塵も動けない篠原の身体が、内側だけで大きく跳ねた。
(落ち着きなさい。これはただの処置……。反応を、止めなさい……っ!)
大脳新皮質(前頭葉)は決して崩壊などしていない。むしろ篠原の意識は、残酷なほどに冴え渡っていた。
委員長としての矜持、大人の女性としての体裁。それらを総動員して、優秀な彼女の思考は、高ぶる肉体へ向けて必死に「止まれ」というシビアな制止信号を送り続けている。
だが、現在の篠原の肉体はもはやその声に従わない。
末梢神経が拾い上げた衣擦れの微細な刺激は脊髄を駆け上がり、中脳の腹側被蓋野から『側坐核』へと至るドーパミン投射経路へと到達する。事前の治験によって常人の1.2倍にまで太く異常拡張されたこの『報酬系ネットワーク』は、その些細な信号を「多点センサーを迎えるための極上の予兆」として莫大に増幅し、圧倒的な出力コマンドとして再び脊髄を下り、骨盤内の自律神経へと叩き落としていく。
前頭葉の虚しい制止信号など意に介さず、彼女の細胞の隅々は、この報酬系ネットワークから下される絶対的な命令にのみ極めて忠実に従っていた。
自分の意思とは無関係に、優秀すぎる肉体がただのハードウェアとして、これから侵入してくる冷たいセンサーを待ち侘びるように、じわじわと甘い潤いを分泌し続けていく。
頭はおかしくなってなどいない。ただ、自分の身体が完全に「快楽のネットワーク」の支配下に置かれ、あのデバイスを迎えるための最適なポートを開き始めているのだ。
明晰な意識を持ったまま、自身の局所が完璧な受け入れ態勢を整えていく様を1から10まで克明に「観測」させられる。
それこそが、篠原にとって何よりも屈辱的で、抗いようのない拷問であった。




