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女医乃深雪の記録ー快楽の追及ー日常侵食編  作者: 女医乃深雪


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第138話 両輪の渇望と、二つの毒


 本番前日。月曜日の午後十七時。

 夕暮れの冷たい光が差し込む特別研究室で、女医乃深雪のスマートフォンが短く振動した。

 画面には、篠原美沙子からの新着メッセージが表示されている。

『明日の件、よろしくお願いいたします』

 文面はただそれだけだった。余計な感情は一切排され、あくまで『倫理委員長』としての体裁を保った、極めて事務的な短いテキスト。

 だが、深雪はその無機質な文字の羅列から、彼女の置かれている生々しい極限状態を正確に読み取っていた。

(この数日間、常時の1.2倍にまで跳ね上がったノイズに苛まれながら……よく発狂せずに日常業務をこなしてきたわね)

 完全に壊れてしまえば、ある意味で楽だっただろう。だが、篠原の強固な理性は、それを許さなかった。彼女をギリギリで支えているのは、「明日になればあの治験で『治療法(ノイズの抑制)』が見つかる」という、悲痛なほどの希望だ。

 だが同時に、彼女の肉体はすでに限界を超え、「早くあの多点センサーを奥に入れて満たしてほしい」と叫び続けているはずだ。

 治療への期待と、快楽への飢え。

 その矛盾した二つの渇望(両輪)に引き裂かれそうになりながら、必死に委員長としての体裁にしがみついている。その痛々しいほどの理性の綱渡りを想像し、深雪は冷ややかな唇に微かな弧を描いた。

『はい。準備は整っております。予定通り十九時にお待ちしています』

 深雪は、あくまで担当医としてのフラットで冷徹な返信を打ち込み、送信ボタンをタップした。

 スマートフォンをデスクに置くと、深雪は傍らに置いていた小型のアタッシュケースを引き寄せ、静かにロックを解除した。

 冷気を帯びたケースの内部には、週末に最終調整を終えた二種類の『触手毒(抽出ペプチド)』が、美しいガラスの小瓶に収められている。

 深雪の指先が、左側の小瓶をそっと撫でた。

 透明なゲル状の液体――【T-ペプチドα(アルファ)】。

 AS-09パッチの裏面に塗布し、頸髄から脳幹への神経伝達を『超伝導化(電気抵抗ゼロ)』にするための加速の毒だ。久慈の拘束テストにおいて、その恐るべき直通性能はすでに実証されている。明日の夜、下半身から生み出された莫大な快楽パルスは、この毒の作用によって一滴のロスもなく彼女の脳へと直撃する。

 続いて、右側の小瓶へと視線を移す。

 わずかに青みを帯びた、精製されたアンプル液――【T-ペプチドβ(ベータ)】。

 これこそが、篠原がすがりついている「治療の希望」の正体。1.2倍に高密度化した側坐核の受容体に直接物理的な膜(フィルター)を張り、異常なノイズを遮断できるかテストするための、抑制の毒である。

 今回が初めての臨床投入であり、彼女の脳が限界突破(絶対上限)に達したその瞬間に、極限の負荷に耐えうるかを観測するために投与される。

 二つの毒の仕上がりを確認し、深雪はアタッシュケースを閉じた。

 そのままマウスに手を伸ばし、PCのモニターに明日の『治験実行シーケンス』を呼び出す。

 深雪は画面をスクロールし、電圧(パワー)のコントロール・プロトコルへ視線を移した。

 前回の事前シミュレーションでは、出力の三割(7.5mA)に達した時点で、脳が危険を察知して強制シャットダウン(気絶)を引き起こすという予測データが出ていた。

 だが、明日は違う。

 頸髄からの『T-ペプチドα(超伝導ゲル)』で信号ロスをゼロにし、さらに『術中モニタリングシステム・Ver.X』を連動させる。皮膚を透かして膣壁の奥で巨大に充血する陰核脚のコア(急所)を正確にマッピングし、そこへ直接アクチュエーターをロックオンするのだ。

「あとは、シミュレーションの壁である7.5mAを越え、そこから0.1mA(ミリ)単位で慎重に出力を刻んでいくだけ……」

 深雪は、マウスのホイールをゆっくりと回しながら冷酷なチキンレースを思い描く。

 篠原の防衛本能が壊れた脳(ハードウェア)は、電圧を上げるたびに波形が垂直に跳ね上がり、そして不気味なほどスンと落ち着く『凪(なぎ)』を繰り返す。

 ミリ単位で出力を上げ、跳ね上がり、凪ぐ。階段を一段ずつ登るようにして、底なしの器を限界まで満たしていく。

 やがて限界が近づき、骨盤底筋群が極限の痙攣を始めたタイミングで、尿道バルーンを投入。失禁による生理的な緊張緩和(逃げ道)を物理的に塞ぎ、快楽の波を骨盤内に完全に封じ込める。

「そして――電圧をさらに引き上げても、波形の数値がそれ以上更新されなくなった地点。それが、彼女の1.2倍の脳の許容限界(ピーク)」

 限界値のデータを採り切ってしまえば、あとは失神していただいて構わない。ピークに達したその瞬間、用意した『T-ペプチドβ(フィルター薬)』を投入し、その快楽の濁流をノイズごと遮断できるかを観測する。

 さらに深雪は、明日の治験でもう一つ、重要な検証を並行して行う予定だった。

 傍らの機材ラックに収められた『術中モニタリングシステム・Ver.X』へ視線を移す。

「本来は術野の血流や髄液の脈動を監視する機能だけれど……AIのアルゴリズムを応用すれば、微細な物理変化から、脳内で放出されている『ドーパミンなどの神経伝達物質の分泌量』の推移をデータとして可視化できる」

 電気的な信号(波形)が限界に達していく過程で、脳内の化学物質(ケミカル)がどのように分泌され、追従していくのか。その相関関係の推測データを同時に採取しておく。

 そうすれば、今後『T-ペプチドβ』などの抑制薬を使用する際、どの段階でどれほどの量を投与すれば効果的かという、治療アプローチの幅が劇的に広がるのだ。

 すべては、今後の研究と治療のための、完璧に計算された冷徹な方程式。

 深雪は画面のシーケンスを閉じると、静まり返った研究室の中央で、明日、無防備な被験体を迎える『完璧な檻』を見つめた。

「明日の十九時。……楽しみにしているわよ、委員長」

 白く美しい空圧式処置チェアに向けられたその微笑みは、純粋な探求心と、底知れぬ狂気で満ちていた。



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