第123話 完璧な檻 無刺激の毒
A社の進藤たちをエレベーターホールで見送り、深雪と久慈は再び薄暗い特別研究室へと戻ってきた。
部屋の中央には、先ほど設置されたばかりの『スマート空圧式処置チェア』が、艶消しのベーシックホワイトの巨体を横たえ、静かな威圧感を放ちながら鎮座している。
「あの進藤って営業、なかなかやり手ね。でも、私の決裁の早さには驚いてたみたいだけど」
上機嫌に語る久慈に、深雪は「ええ、助教授の慧眼のおかげです」と適当な相槌を打ちながら、傍らのキャビネットから小さなケースを取り出した。
「久慈助教授。本番の治験を迎える前に、もう一つだけテストしておきたい事があります」
「テスト? もうさっき一通り確認したじゃない」
「ええ。機材単体の動作は完璧でした。ですが、今後の治験において最も重要なのは、『患者の精神的・肉体的なストレス値の変動』と『AIの拘束力』の相関関係です。……つまり、この新システムと、当研究室のモニター機器が正確に連動するかの確認です」
深雪はケースを開き、中から一枚のパッチを取り出した。
それは以前の治験でも使用した『高密度神経接続パッチ(AS-09)』。
――ただし、これは深雪が独自のチューニングとして微量の『触手毒』を仕込み、神経の通電性能(感度)を極限まで引き上げた特別製だった。だが、当然深雪がそんな事実を口にするはずもない。
「このモニター用パッチを用いて、『拘束前』と『拘束後』の波形データの比較を行いたいのです。もちろん、物理的な刺激や処置は一切行いません。ただ座っていただき、拘束のオンとオフを切り替えるだけです。……導入責任者である助教授に、ぜひ最初のベースデータ(被験者)をお願いできないでしょうか」
理路整然とした深雪の提案に、久慈は疑う様子もなく頷いた。
「そういうことなら協力するわ。最初のデータを取るのは、責任者として当然の義務だしね」
白衣を軽く整え、久慈は余裕の笑みを浮かべたまま『完璧な檻』へと腰を下ろした。
まだ電源の入っていないチェアは、生体適合性エラストマーの柔らかな素材が身体を包み込む、ただの座り心地の良いソファでしかない。深雪は背後に回り込むと、久慈の首筋――延髄のあたりに、ひんやりとしたAS-09をペタリと貼り付けた。
「冷たっ……相変わらず、嫌な感触ね」
「すぐに慣れますよ。……では、まずは『拘束前』のモニタリングを開始します」
深雪が手元のタブレットを操作すると、傍らの大型モニターに久慈のバイタルと神経伝達の波形が映し出された。
波形は一定のリズムを刻み、極めて穏やかなベースラインを描いている。心拍数も正常、精神的なストレスや興奮状態を示す数値も、見事なまでに平坦だった。
「……正常ですね。パッチの感度も良好、モニターとの同期も完璧です」
「ふふ、当然でしょ。ただ椅子に座って首にパッチを貼られただけで、興奮するわけないじゃない」
久慈は足を組み直し、モニターに映る自身の落ち着いた波形を見て得意げに笑った。
そんな久慈の様子をよそに、深雪はモニターの数値を淡々と観察し続けていた。
やがて、極めて穏やかだった波形の端に、ほんのわずかな乱れが生じる。
深雪の冷静な瞳は、その微細な変化を絶対に見逃さない。
(……そろそろ、成分が脊髄にも回り始めたようね)
ただのモニター用と偽って貼付したパッチ。そこに仕込まれた微量の成分が、久慈の神経の通電性能を確実に引き上げていることをデータで確認し、深雪はあくまで冷静な研究者としてのトーンを崩さずに告げた。
「ええ、素晴らしい冷静さです。では――続いて、『拘束後』のモニタリングに移行します」
深雪が手元のパネルを操作した。
極めて静かなモーター音と共に『マルチアクシス機構』が作動し、久慈の座っている座面全体がレールの上を前へと滑らかにスライドし始める。
「えっ……ちょっと、座面が……っ」
戸惑う久慈の身体はシートの最も手前のフチ(エッジ)ギリギリまで強制的に押し出され、さらに『ペルビック・チルト』によって骨盤が術者側へ向かって僅かに上向きに持ち上げられた。
直後、プシュッ、という低い排気音と共に、手首、足首、腰回りから太ももにかけて、空圧パッドが一斉に膨張する。
「うわっ……やっぱりこれ、すごい圧ね……!」
チタン合金の強固なフレームに裏打ちされたパッドが一切の隙間を埋め尽くし、エッジに押し出された久慈の腰を完璧にロックする。だが、テストはそれだけでは終わらない。
ウィーン、という静かな駆動音とともに、久慈の足を固定していたレッグレストが自動で持ち上がり、左右へとゆっくり開かれ始めた。
「え、ちょっと深雪!? 足まで開くの!?」
「ええ。婦人科的処置を想定した、最大の開脚状態でのストレス値も計測する必要がありますから」
深雪は至極真面目な、医療従事者としての声で返し、パネルの数値を調整する。
結果、久慈は後ろへ一歩も逃げられないよう座面の端に固定されたまま、両足を大きく広げられた最も無防備な姿勢を晒すことになった。
物理的な刺激は、一切与えられていない。
しかし――久慈の身体の中で、明らかな『異変』が起きていた。
エッジへと追いやられ、逃げ場のない状態で大股開きにされているという状況。その圧倒的な無力感と羞恥心が、感度を引き上げられた神経を伝わり、強烈な情報として脳に叩き込まれる。
そして、首筋から脊髄を下るようにして、下半身の奥深くに「ツーン……」という微かな、しかしはっきりとした疼きが走った。
(……っ、なに、これ……?)
首筋のパッチから浸透した成分が、彼女の奥底に眠るマゾヒスティックな性質を静かに、確実に炙り出していく。
脊髄を伝い、下半身の最奥と、脳髄とを交互に揺さぶる奇妙な感覚。
ツーン……、ツーン……。
決して強烈な電撃や、暴力的な快感ではない。だが、逃げ場のない神経の奥底を、ゆるゆると、ねっとりと撫で回されるような、抗いがたいじれったさがあった。
(だめ、なんか、変な感じが……っ)
微かな高揚感と、それを他人に晒しているという圧倒的な羞恥。
久慈は無意識に後ろへ腰を引いて、股間を満たし始めた甘い疼きを逃がそうとした。だが――動けない。
柔らかいエラストマー素材の奥にあるチタンフレームがくさびとなり、空圧パッドは彼女の骨盤から太ももにかけてをミリ単位の隙間すらなく完璧にホールドしている。ピクリとも腰を引くことができないのだ。
大股開きでエッジに固定されたまま、ただじわじわと、ゆるやかに神経を弄ばれる。
完全に無力化された悲壮感が、彼女の中から先ほどまでの「導入責任者としての余裕」をゴッソリと奪い去っていく。
冷房の効いた研究室であるにもかかわらず、久慈の端正な顔にはじっとりとした汗が滲み、その表情は快感と羞恥に耐えるような、どこか艶麗な歪みを見せ始めていた。
大型モニターに映し出された数値は、久慈の必死の我慢を嘲笑うかのように、ピクン、ピクンと不規則な跳ね上がりを見せていた。
深雪はその数値を淡々と目で追いながら、酷薄なほどに冷静な声で尋ねる。
「……かなり波形が乱れているようですが。少し、チェアの圧迫が苦しいですか?」
「い、いや……っ、違うわ……」
久慈は荒くなりかけた息を必死に殺し、顔に滲んだ汗を誤魔化すように声を絞り出した。
拘束のせいじゃない。ただ座面の端で足を開かされているだけで身体が疼いているなどと、絶対に認めるわけにはいかない。彼女はとっさに、機械のせいにしようと試みた。
「ちょっと……この首のパッチ、電圧が高すぎない……? なんだか、変に過敏になってるっていうか……っ」
「電圧、ですか? いえ、現在は最小値の『レベル1』ですが」
深雪が手元のタブレットを操作し、大型モニターの片隅にパッチの出力数値を表示させた。
大股開きのまま身動きが取れない久慈は、視線だけを動かしてその画面を睨みつける。そこには確かに、【出力設定:Lv.1(最小)】という無慈悲な表示が点灯していた。電気的な刺激など、実質的には無に等しいレベルだ。
(嘘……じゃあ、なんでこんなに、奥がツーンって……っ)
苦し紛れの言い訳すらも完璧なデータで封じられ、久慈の顔が羞恥で一気に朱に染まる。
そんな上司の狼狽を余所に、深雪は至極真っ当な、医療従事者としての結論を口にした。
「ですが、おっしゃる通り少し波形データが乱れていますね。このままでは正常なベースラインが取れず、今後の治験データに誤差が生じてしまいます。……誤差防止のため、少し電圧を上げますね」
「えっ……ちょっ、待っ――」
久慈の制止など聞く耳も持たず、深雪の細い指が迷いなくタブレットのパネルをスワイプした。
「ピィィッ」という無機質な電子音と共に、モニターの出力数値が一段階引き上げられる。
物理的な電圧の変化は、本来なら皮膚の表面がわずかにピリッとする程度の微増に過ぎない。しかし、パッチの成分によって神経の通電性能が極限までブーストされた久慈にとっては、それは決定的な一撃だった。
「あ……っ、」
弾かれたように、久慈の口がだらしなく半開きになる。
脊髄から下半身の奥へと流れ込んでいた「ツーン」という微かな疼きが、一気に鋭い痺れを伴う波となって、エッジに無防備に晒された股間を容赦なく駆け抜けたのだ。
(だめ、声、出ちゃ……っ!)
久慈は半開きになった口を慌てて引き結び、唇を強く噛んで必死に甘い声を押し殺す。
しかし、強固にロックされた身体には後ろへ逃げるスペースがなく、大股開きのまま、腰を僅かにビクン、ビクンと跳ねさせることしかできない。
大型モニターに映る波形データは、先ほどの微かな乱れなど比にならないほど、激しく露骨な興奮状態を示して大きく跳ね上がり始めていた。
「……なるほど。ノイズを打ち消すために電圧を少し上げただけで、ここまでの反応を示すとは。やはり、初めての拘束チェアということで、緊張感からの波形の乱れが激しいようですね」
大きく波打つ数値を冷ややかに見つめながら、深雪はどこまでも平坦な声で告げた。
「っ……あ……」
それは、残酷なまでの『煽り』だった。
本当は下半身が熱く疼いてしまっている事実を波形で完全に暴いておきながら、深雪はあえて「初めての拘束による緊張」というもっともらしい建前を突きつけ、久慈の退路を完全に塞いだのだ。
「いかがですか、久慈助教授。……まだ、苦しいですか?」
特等席の高さから見下ろしてくる深雪の冷徹な眼差し。
久慈は身動き一つ取れない大股開きの姿勢のまま、屈辱と快感で潤んだ瞳を揺らし、必死に頷くことしかできなかった。
「え、ええ……っ。そう、ね……少し、緊張して……っ、ふぅっ……」
ここで否定して「これ以上は治験データに支障が出ます」とさらに電圧を上げられたら、今度こそ耐えきれずに変な声が漏れてしまう。
久慈は額にじっとりと汗を浮かべ、奥の疼きを必死に堪えながら、部下が与えてくれた「緊張」という屈辱的な言い訳にすがりつくしかなかった。
(緊張……そうよ、ただ緊張しているだけ……)
屈辱的な言い訳にすがりつきながらも、久慈は自身の最奥――無防備に晒された秘部が、すでにじっとりと卑猥な熱を帯び、潤み始めているという圧倒的な事実を自覚していた。
だが、皮肉なことに、この『完璧な檻』の絶対的な拘束力が、今の彼女にとっては唯一の救いでもあった。
もし、骨盤から太ももにかけてをみっちりと包み込む空圧パッドのホールドがなければ。彼女は間違いなく甘い疼きに耐えかねて腰を卑猥にくねらせ、自らの奥がだらしなく濡れていることを、深雪に完全に悟られてしまっていただろう。
物理的に一歩も後ろへ退けないからこそ、致命的な醜態だけはギリギリで隠し通せているのだ。
しかし、彼女の身体を満たし続ける高揚感は、隠しきれる限界をとうに超えつつあった。
強固に固定されているがゆえに行き場を失った快感は、どうにか外へ逃げ出そうと末端の肉体へと表出する。
あらわになった内腿の筋肉が、無意識のうちにピクピクと微かな痙攣を繰り返す。さらに、座面の端で大きく広げて固定された両足は、断続的に襲い来る下半身の痺れに耐えるようにピンと反り返り、足の指先が限界までパァッと開かれていた。
限界まで開かれた足の指先と、痙攣する内腿。そして、モニターに刻まれ続ける激しい波形。
それらを特等席でじっくりと観察し、深雪は「完璧な檻」の仕上がりに確かな手応えを感じていた。
(……ええ。ベースデータとしては、十分すぎる数値が取れました)
これ以上長引かせれば、いくら鈍感な久慈でも自身の「異常な濡れ」とパッチの因果関係に気づくか、あるいは本当にこのまま絶頂に達してしまいかねない。
深雪は冷徹な眼差しをモニターから久慈へと移すと、医療従事者としての穏やかなトーンで告げた。
「ご協力ありがとうございました、久慈助教授。……テストは、そろそろこの辺りにしておきましょうか」
深雪が手元のパネルを操作すると、プシュゥゥゥ……という排気音と共に、久慈の身体をみっちりと拘束していた空圧パッドが一気に収縮する。続けて、大きく開かれていたレッグレストがゆっくりと下がり、座面全体が元の位置へと滑らかに後退していく。エッジへと強制的に押し出されていた久慈の身体は、再び広く柔らかなシートの奥へと引き戻された。
「あ……っ、ふぅっ……!」
解放された瞬間、久慈はビクッと肩を震わせ、大きく息を吐き出した。
自由になった途端、極度の緊張と行き場を失っていた快感の反動で、両足がガクガクと情けなく震える。そのまま床にへたり込みそうになるのを必死に堪え、久慈はどうにかチェアから立ち上がった。
「お、お疲れ様……っ。やっぱり、初めての機材は……変に力が入って疲れるわね」
「ええ。ですが、おかげで機材の連動は完璧であると証明されました」
深雪の淡々とした返答に、久慈は引き攣った愛想笑いを浮かべるのが精一杯だった。
ただ座っていただけなのに、秘部はじっとりと濡れそぼり、下着に冷たく張り付いている。それが深雪に悟られていないか気が気ではなく、久慈は不自然なほど内股気味に歩きながら、逃げるように白衣を羽織った。
「そ、そう……なら良かったわ。私、今日はもうあがるから……あとの戸締まりはお願いねっ」
「承知いたしました。お気をつけて」
足早に研究室から逃げ出していく上司の背中を、深雪は静かに見送った。
重厚な扉が閉まり、特別研究室に再び夜の静寂が降りてくる。
誰もいなくなった薄暗い部屋の中央で、深雪はぽつんと鎮座する『スマート空圧式処置チェア』の滑らかなエラストマー素材を、愛おしそうに撫でた。
大型モニターには、先ほどの久慈が叩き出した「無刺激での異常な興奮波形」が、確かな臨床データとして保存されている。
「……完璧ですね。チェアの拘束力もさることながら、パッチに仕込んだ『触手毒』の効果も最大限に発揮されたようね」
たった数分のテストで、正常な人間の余裕をここまで奪い去る、恐るべき拘束力とモニタリング性能。
それに加え、無自覚なまま身体を暴走させられた久慈という、新配合の『触手毒』の効能を裏付ける貴重なサンプル(データ)まで得ることができた。すべてが、深雪の想定を上回る成果だった。




