第101話 待機状態(スタンバイ)
深雪は壁際のロッカーから、薄手の検査着を取り出し、無造作に差し出した。
「では、まず着替えてください。下着も取って」 「……検査だけなんでしょう? 着替える必要あるの?」 「衣服の圧迫がない状態での、自然な血流と粘膜の色を見たいのです。……どうぞ、カーテンの向こうで」
あくまで事務的な指示だった。 篠原は小さく溜息をつき、ひったくるようにガウンを受け取ると、部屋の隅にあるパーティションの裏へと入った。
シャッ、とカーテンの閉まる音が響く。 狭い空間で、篠原はジャケットを脱ぎ、ブラウスのボタンを外していく。 一枚脱ぐたびに、理性の鎧が剥がれ落ち、代わりに身体の内側に溜まっていた「熱」が、行き場を求めて肌の表面に滲み出してくるようだった。
(……ただの視診よ。見られるだけ)
そう自分に言い聞かせるが、指先が震えてストッキングがうまく下ろせない。 最後に、小さな下着を脱ぎ捨てた瞬間。
――ムワッ。
狭い仕切りの中に、濃厚な湿り気を帯びた空気が充満した気がした。 それは紛れもなく、篠原自身の身体から発せられている匂いであり、熱気だった。 まだ触れられてもいない。機械も見せられていない。 だというのに、ここが「あの場所」であるという事実と、「これから診られる」という予感だけで、彼女の身体はすでに熟しきった果実のように張り詰め、蜜を滴らせる準備を終えていたのだ。
(……嘘でしょう。こんな……)
篠原は自分の太腿の内側が、じわりと熱く湿っているのを自覚し、顔を覆いたくなった。 ノイズがうるさい。 脳が『早く見せろ』『早く確認させろ』と、恥知らずな信号を送り続けている。
「……委員長? 済みましたか?」 「……ええ、今出るわ」
篠原は慌ててガウンを羽織り、帯を締めた。 深呼吸を一つして、カーテンを開ける。
そこには、デスクに腰掛けたままの深雪が待っていた。 篠原が出てきた瞬間、深雪の視線がスッと彼女の全身を舐めるように走る。 言葉はなかった。 ただ、その微細な表情の変化――眼鏡の奥の瞳が、興味深そうに細められたこと――だけで、篠原は悟ってしまった。
ああ、バレている、と。 ガウン越しにでも伝わる、この発情した身体の「ムン」とした熱気が、専門家の目には筒抜けなのだと。
「……こちらへ」
深雪は何も言わず、顎で部屋の中央をしゃくった。 そこにあるのは、無機質な診察台。 以前は拘束具で縛り付けられた、あの台だ。 今日はベルトも手枷もない。ただの革張りのベッドが、主人の帰還を待っている。
篠原は、重りをつけたような足取りで歩み寄った。 一歩近づくたびに、股間の疼き(ノイズ)が強くなる。身体が「場所」を記憶している証拠だ。
「……座れば、いいのね」 「はい。いつもの位置に腰を下ろして、楽にしてください」
篠原はガウンの裾を押さえながら、診察台に背を向け、ゆっくりと腰を下ろした。 ひんやりとした合成皮革の感触が、火照った臀部に伝わる。 その冷たさにビクリと肩を震わせながら、彼女は観念したように、深雪の方へと視線を向けた。
「では、神経の反応速度を見ます」
深雪は手元のトレーから、切手サイズの薄い**『検査用パッチ』**を取り出した。 裏面に微細な突起がついた、医療用のチップだ。
「これを、神経の集まる首筋に貼ります。……電源は入れていません。ただの物理的な接触刺激だけです」
深雪は事務的な口調で告げると、篠原のうなじの産毛を分け、パッチをペタリと貼り付けた。
「……ッ、ぐ……」
篠原は唇を強く噛み締め、喉の奥で声を押し殺した。 パッチの微細な突起が皮膚を刺す、チクリとした痛み。 ただそれだけだ。電気は流れていない。 なのに、篠原の脳は「異物が接続された」という情報だけで過剰に反応し、背筋にゾクゾクとした悪寒のような熱を走らせる。
(……耐えなさい。ただのシールよ……)
篠原は診察台の縁を握りしめ、呼吸を整えた。 だが、深雪の手は止まらない。
「続いて、対象物への認知反応を確認します」
深雪が取り出したのは、あの**『多点センサー』**だった。 毒々しいシリコンの突起の群れ。 それを見た瞬間、篠原の瞳孔がキュッと収縮し、太腿の筋肉が強張った。
「動かないでくださいね。……皮膚反応を見ます」
深雪は無造作にセンサーを近づけ、その冷たい側面を、篠原の内腿――下着のラインがあったあたりの柔らかな皮膚に、ペタリと押し当てた。
「……ッ、んん……!」
篠原は大きく目を見開き、奥歯が鳴るほど噛み締めて耐えた。 悲鳴は上げない。身体も跳ねさせない。 けれど、センサーが触れている一点から、まるで熱湯を注がれたように体温が急上昇し、開かれた股間の秘所が、意思とは無関係にヒクヒクと脈動を始めてしまう。
接触しているのは内腿だ。性器ではない。 それでも、身体は「次に来るもの」を勝手に予測し、蜜を溢れさせて迎え入れる準備を完了させてしまった。
深雪は、その紅潮した肌の色と、微かに痙攣する筋肉の動きを、数秒間だけ無言で見つめた。 そして、あっさりとセンサーを離した。
「……はい。終了です」
「……は?」
篠原は拍子抜けして、肩で息をしながら深雪を見上げた。 パッチもすぐに剥がされる。
「検査は終わりです。衣服を着ていただいて構いませんよ」
深雪は淡々と告げ、記録用のタブレットに数値を打ち込み始めた。 煽る言葉も、侮蔑の笑みもない。 ただ事務的に「確認が済んだ」という事実だけが、静かな部屋に残された。
篠原は震える手でガウンを合わせ、逃げるように診察台を降りた。 何も言われなかった。 けれど、あのセンサーを押し当てられた箇所には、まだ生々しい感触が焼き付いて離れなかった。




