第98話 残酷な誤診
「……MRIの画像は綺麗ね。腫瘍も梗塞も見当たらないわ」
検査室から戻り、モニターに映し出された自身の脳断面図を見て、篠原はほうっと息を吐いた。 よかった。壊れていない。 その安堵は、しかしすぐに次の緊張へと塗り替えられる。
「形は正常です。次は『動き』を見ましょう。……脳波を取ります」
久慈が慣れた手つきで、篠原の髪をかき分け始めた。 アルコール綿の冷たい感触が頭皮を擦り、そこに導電ペーストが塗りつけられる。 ねっとりとした、冷たいクリームの感触。 それが、深雪の研究室で味わった「電極装着」の記憶を呼び起こし、篠原の背筋が粟立つ。
「目を閉じて。……光刺激を入れます」
暗転した視界の中で、ストロボライトが激しく明滅を始めた。 パパパパパッ……! 赤、白、赤。瞼の裏で色が爆ぜる。
(……っ!)
ただの光だ。てんかん発作の有無を調べるための、標準的な手順。 だが、篠原の脳内にある「報酬系」は、この激しい点滅を**「信号入力」**と誤認した。 かつて多点センサーが膣内で膨張し、脳を焼き切った時のスパーク。それと似たリズムが、視神経から強制的に流れ込んでくる。
ビクン。
篠原の太ももが、意思とは無関係に跳ねた。 膝がわずかに割れ、内腿の筋肉が細かく痙攣する。 それは、拒絶の震えではない。 「ここに入れてくれ」とねだるように、多点センサーという異物を受け入れるためのスペースを、身体が勝手に確保しようとしている動きだった。
(駄目……閉じなさい……! 開いちゃ駄目……!)
篠原は必死に内転筋に力を込め、膝を閉じようとする。 だが、膣の奥は正直だった。 見えないセンサーを咥え込もうと、空っぽの粘膜がキュウ、キュウと虚しく収縮し、愛液を滲ませて「準備完了」の合図を送ってしまう。
「……少し、筋電が入るわね。力を抜いて」 「は、はい……すみません……」
久慈の声は事務的だ。彼女には、篠原の下半身が「挿入待ち」の状態になっていることなど見えていない。ただ「緊張して力んでいる患者」にしか見えていないのだ。
***
脳波検査を終え、ペーストで少し乱れた髪を直しながら、篠原は再び診察椅子に座った。 疲労感で指先が震えている。
「最後です。身体所見を取って終わりにしましょう」
久慈が銀色のハンマー(打腱器)を手に取った。
「脚を組まずに、ぶらんとさせて」 「……ええ」
言われるがままに力を抜く。 久慈が膝の皿の下、膝蓋腱を、コン、と叩いた。
ビクンッ!!
瞬間、篠原の脚が大きく跳ね上がった。 通常の反射ではない。 叩かれた衝撃が、脊髄を通ってダイレクトに骨盤内へ走り、膣壁が一気に収縮したのだ。
「――あっ……!」
篠原は慌てて口元を押さえたが、漏れ出た声は明らかに苦悶ではなく、甘い喘ぎに近いものだった。 顔が一気に沸騰する。 恥ずかしい。部下の前で、ただの脚気検査で、感じてしまった。
「……反射亢進ね」
しかし、久慈の反応は冷徹な医師のそれだった。 彼女は篠原の紅潮を「羞恥」ではなく「興奮状態」と診断し、カルテにペンを走らせる。
「脳波にも、多少の鋭波が出ていました。……自律神経が相当参っているみたいですね。交感神経が優位になりすぎて、些細な刺激にも過剰反応している状態です」
「……そ、そう……やはり、ストレス……」
篠原はハンカチで額の汗を拭い、縋るようにその言葉を復唱した。 久慈はモニターを見せながら、結論を告げる。
「ええ。脳波のスパイクも、てんかん等の異常波形ではありません。過労やストレス下でよく見られる正常範囲内の乱れです。……病気ではありませんよ、委員長」
病気ではない。 その言葉は、本来なら福音のはずだった。 だが今の篠原には、**「あなたのその淫乱な反応は、脳の故障ではなく、あなた自身の正常な生理機能です」**という宣告にしか聞こえなかった。
「……よかった。安心したわ」
篠原は乾いた笑みを浮かべ、震える脚を隠すように立ち上がった。 内腿はまだ、満たされない空洞を埋める何かを求めて、ヒクついている。
「軽い安定剤を出しておきます。少し休んでくださいね」 「ええ。……ありがとう、久慈先生。誰にも言わないでね」 「もちろんです。お大事に」
篠原は逃げるように診察室を出た。 廊下に響くヒールの音だけが、以前よりも少し頼りなく、そして早足に遠ざかっていった。
診察室に残された久慈は、閉じた電子カルテを見つめ、ふと首を傾げた。
「……それにしても、あんなに反応するなんて。よっぽどストレスが」
彼女は深く考えることなく、次の業務へと意識を切り替えた。 その無関心こそが、篠原にとってはある種の救いであり、同時に最大の残酷さでもあった。




