市民という国の小さなネジ
景吾は茶を飲むと、
「潤子さん自身は何を教わりたいですか」
潤子は眉を寄せて、
「人手不足の介護と建築関係に入りたいと父に言ったら、父に怒られました」
介護職も建築業界も発達障害者である潤子にとって明らかに不向きだろう。重労働な上に暗黙の了解も胆力も必要とされる。不動産業を営む潤子の両親が制止するのは当然だ。景吾は、
「何故、わざわざそんな大変な職種を?」
「誰かがやらないと社会が成り立たなくなるでしょう」
潤子は答えると茶を飲む。母親が居間の奥で先程からパソコンで作業をしている。一度、心配そうに振り返る。景吾は、
「潤子さんが無理する必要はありませんよ。ITを勉強するのはどうですか」
潤子の顔が不快そうに歪み、
「私、ITが大嫌いなんですよ。本当に病院から発達障害だと診断されているんですけどね」
発達障害者といえば情報技術。興味が有る事に没入する特性と論理的な資質は発達障害と相性が良いと巷では言われる。潤子はその風潮について疎ましく思っているのだろう。景吾は、
「農業はどうです?この間の正月は一生懸命雪掻きしてましたよね」
潤子は考える。景吾は茶を飲み干す。二杯目を自分で注ぐ。潤子は、
「虹の雪で既にやっているけれど、儲かる農業を金持ちから教わりたいですね」
母親がパソコン画面から不安そうに潤子に振り向く。その視線に気付いたのか潤子は、
「農家が儲かればバイトも家族も近所も喜びます」
確かに経済的な余裕は大事だ。経済的に重労働が報われるならば離農も減るだろう。しかし、自然と地縁と血縁を大事にする農家は金儲けを嫌う傾向がある。余所者である富裕層を簡単に信用はしない。景吾は、
「潤子さんは皆が儲かれば良いとお考えなのですか」
「そうです。そう考えない方がおかしいですね」
潤子は真顔で答えた。景吾の目が泳いだ。
税制度の簡略化で多忙な経営者達に刺激を与えて経済を活性化する。貧困層と富裕層の分断に怒り、富裕層に知恵と時間を貧困層に投資させる。報道陣が啓蒙する。潤子自身も新たな挑戦を考えている。潤子は浅はかな守銭奴とは次元が違う。
行政の小さなネジである税務署職員として景吾は働いている。税制度の簡略化の調査を上層部に否定されて以来、何となくくすぶっている。発達障害の潤子もまた作業所の利用者として働きながらくすぶっているのではなかろうか。責任有る大人のはずなのに個人では変えられないもどかしさ。景吾は暗い声で、
「まあ、色んな人がいます。自分さえ良ければ他人を踏みにじっても構わない奴もいますよ」
ネットで社会や他人を嘲笑う冷笑主義者とひたすら嘆いてばかりの報道陣。自分達で国を築こうとする責任有る市民はどれくらいいるのだろうか。景吾はぼんやり考える。
口数が少なくなった景吾を案じたのか潤子は景吾と母親を見比べる。母親は潤子に微笑む。




