6 嘘
ホテルのロビーの中央では、吹き抜けの天井から下げられた大きなシャンデリアが、大理石の噴水を照らしている。
その噴水が眺められるように置かれたゴブラン織のソファに、憂いにみちた横顔をした夫人が一人腰掛けていた。
亡くなったオーナーローレンツの妻、イレーネだ。
「ごきげんよう、イレーネ様。」
カメリアはイレーネの向かいのソファに腰掛けた。
カメリアの後ろに私とハドソン警部補が控えていたことに気づいたイレーネは、「皆様お揃いでどうなさったの。」と少し驚いた。
「実は、イレーネ様にお願いがあって参りましたの。
今イレーネ様がお泊りになっている部屋、ローレンツ様の部屋を調べさせていただきたいのです。」
イレーネは数秒、沈黙した。
「それは、夫の事件を調べるためでしょうか。
残念ですが、わたくしが見る限り、なにか手掛かりになるようなものはないようですよ。
夫は部屋に手帳や仕事の資料を残していませんから。」
しかしハドソン警部補は、「一見事件とは無関係に思われるものでも、重要な手掛かりになる場合もあります。どうか我々警察に調べさせてください。」とイレーネに頼む。
イレーネは目を伏せ、言葉を詰まらせた。
「ごめんなさい。
わたくしはまだ、夫の死を受け止められていないのです。
部屋を整理してしまったら、部屋に残ったあのひとの息遣いが失われてしまう気がして。」
イレーネは「どうしてもお調べになるのなら、わたくしがあのひとの持ち物をお持ちします。」と言った。
そんな彼女を、カメリアのブラウンの瞳が捉える。
「それほどまでに部屋を見られたくないのは、隠していることがあるからですわね。」
「そんなことはございません。」
イレーネの眉間に僅かに力が入る。
しかしカメリアは「証拠が見つかってしまうのを恐れているのでしょう。」と言うのだ。
「何をおっしゃるのですか、カメリア嬢。
わたくしは犯人をすぐに捕まえてほしいと思っていますよ。
ただ、気持ちの整理がつかないだけで…。」
「嘘がお上手ですわね。
でも、もう結構ですのよ。」
イレーネは息をのむ。
「ローレンツ様とジュリアス様、ふたりを殺害したのは、貴方でしょう。」
「どういうことだ。」と声をあげたのはハドソン警部補だった。
「何故彼女が犯人だと思ったんですか。」
動揺したハドソン警部補の質問に、カメリアは「イレーネ様の話は噛み合わないところがいくつかございましたから。」と答える。
「イレーネ様は創業記念パーティーの準備のためにここへ来たとおっしゃいましたが、支配人ヨーゼフ様はイレーネ様がパーティーに参加されることも知らなかったご様子。
それに、ヨーゼフ様は急にホテルを経ったローレンツ様が何処へ行ったのか、いつ戻る予定だったのか知りませんでした。
でも、イレーネ様は知っていた。」
ハドソン警部補は急いで手帳を取り出し、証言を確認する。
「『ローレンツ氏は遠方へ向かっていて5日ほど戻らない。』
イレーネさんはそう言いましたね。」
イレーネは唇を噛んだ。
「嘘をついているのはわたくしではなく、支配人の方だとは思わないのですか。」
カメリアは、「でしたら、私たちに部屋を調べさせていただければよいのですわ。」と返す。
「ローレンツ様が本当に5日ほど遠方へ向かわれるつもりだったのなら、荷造りをされたはず。
部屋から旅行鞄や衣類、貴重品がなくなっていれば貴方が嘘をついていなかったことが証明されますわ。」
それでもイレーネは、「それはできません。」と断るのだった。
「あの部屋でジュリアス様を殺害したからですわね。」
カメリアの言葉に、イレーネはがばりと顔を上げて「そんなはずないでしょう。」と強く否定する。
「わたくしはジュリアスという方とお会いしたこともなければ、夫と親交があったことも知らなかったのですよ。」
イレーネは自分にはジュリアスを殺す動機がないと主張する。
「それにもし、貴方がいうようにわたくしがジュリアスを殺したのだとして、どうやって鍵のかかった部屋に遺体を運んだのですか。
部屋の鍵は、ジュリアスの遺体が握ったままだったのでしょう。」
ハドソン警部補もカメリアに視線を向け、「カメリア嬢は、あの密室がどうやってつくられたというのですか。」と問う。
「密室をつくったのはイレーネ様ではありません。
ジュリアス様ですわ。」
「何を馬鹿なことを!
被害者が自分で密室をつくるはずがないでしょう。」
ハドソン警部補はあり得ないと驚愕するが、カメリアは、「犯人の方には密室にしなければならない理由がありませんよ。」と冷静さを崩さない。
「ローレンツ様がホテルを経ったのは昨日の朝早く。
それ以降彼は行方がわからなくなっていますから、ローレンツ様が湖で殺されたのはその直後だと思われますわ。
ジュリアス様の殺害より先だったのです。」
ハドソン警部補は「それについては異論ありませんが…。」と不満げに言う。
「ローレンツ様の遺体は湖に流されていました。
犯人からすれば、ジュリアス様の遺体も同様に処理すればよかったはず。
そうすれば、苦労して密室をつくらなくとも発見を遅らせることはできるのですから。」
この事件の場合、発見を遅らせるという目的ならば、密室をつくることは悪手だとさえいえるだろう。
普段通り、従業員が7時半にジュリアスを起こしに来たことで事件が発見されたのだから。
さらにカメリアは、「ジュリアス様の遺体の手をご覧になりましたでしょう。」と聞く。
「遺体は鍵を固く握りしめていましたわ。
爪が皮膚に食い込むほどに。
死後に握らせたのなら、あんな風にはなりませんわ。」
ジュリアスの遺体は鍵を握りしめた状態で硬直していたのだ。
黒い光沢のある鉄の鍵は、引き抜くのが困難なほど固く握りしめられていた。
鍵が握られたのは、ジュリアスが生きている間なのだ。
「ジュリアス様は、最期の力を振り絞って密室をつくった。
どうしても密室殺人でなければならない理由があったのですわ。」




