2 イレーネの話
「わたくしは誰かが争っているような物音を聞いたのです。」
事件が起こった昨日の夜について、イレーネはそう語る。
私とカメリア、そしてハドソン警部補が最初に話を聞くことにしたのは、ホテルのオーナーの妻であるイレーネだ。
彼女が昨夜を過ごした部屋は、ジュリアスの隣室なのだ。
「ガタガタという、何かぶつかるような音がしました。
それから、男性の言い争うような声も。」
イレーネはハンカチで目元を拭いながら、「わたくしは怖くて部屋の中にいたのですけれど、誰か人を呼べばよかったのかもと後悔しておりますわ。」と悲しげに言った。
「その音が聞こえたのは何時頃だったか、わかりますか。」
ハドソン警部補が問うが、イレーネは「いいえ。」と首を振る。
「時計を見ておりませんでしたので、真夜中だとしか。」
ハドソン警部補は質問を続ける。
「男性が言い争う声が聞こえた、とおっしゃいましたが、ジュリアスと言い争いをする人物に心当たりはありますか。」
しかしまたもイレーネは首を振る。
「わたくしがこのホテルに到着したのは昨日の午後ですの。
ジュリアスという方は夜遅くまで仕事をしていらしたようですし、わたくしはお会いしなかったのです。」
イレーネの話を聞いていたカメリアは小首をかしげる。
「ジュリアス様は1年前からこのホテルに長期滞在していらしたのですよね。
それなのにオーナーの妻でいらっしゃる貴方と一度もお会いしたことがなかったのですか。」
イレーネは「実は、わたくしがここのホテルに滞在するのは今回が初めてですの。」と答えた。
「夫はわたくしが仕事に干渉するのを嫌がりますから。
でも、こんどのホテルの創業記念パーティーに、珍しくわたくしも参加するようにと夫が言いましたの。」
ホテル・ウンディーネの創業記念パーティーは、1週間後に予定されていたのだという。
その準備のためにホテルを訪れたイレーネは、昨夜オーナーの部屋に泊まったのだ。
「しかし、貴方の旦那様は不在だとお聞きしました。」
ハドソン警部補の言葉を、イレーネは「ええ、急な仕事の用事で、昨日の朝早くにここを経ったと聞きましたわ。」と肯定する。
「わたくし、本当はパーティーの三日前に来る予定だったのですけれど、夫は既にこのホテルにいると聞いておりましたから早くに来ましたの。
でも夫の出発の方が早くて、顔を見ることは出来ませんでしたわ。」
ホテルのオーナー、ローレンツは遠方へ出向いていて5日程は戻らない予定だとイレーネは言う。
ローレンツとは未だ連絡がついていないため、彼は昨夜の事件をまだ知らないのだ。
「わたくしはよく知らないのですけれど、ホテルのオーナーというのは忙しい仕事のようですわね。
夫はここだけでなく各地にホテルを所有していますから。
屋敷を開けることも多いのですわ。」
イレーネは夫ローレンツについてそう話した。
「このホテルの2階は、オーナーの部屋とオーナーの客人のための部屋なのですわよね。」とカメリアはイレーネに確認する。
カメリアのいうように、ホテルの2階はオーナーとその客人のための部屋で、宿泊客が使用する部屋は3階と4階なのだ。
1階はロビーとフロント、そして会食会場となっている。
「ジュリアス様は2階の部屋に長期滞在されていたのですから、オーナーのローレンツ様の客人であられたはず。
ローレンツ様からジュリアス様のお話を聞いたことはございませんか。」
「いいえ。
そのような知り合いがいたことは知りませんでした。
夫は特別音楽に興味があるわけではないですし、歌手の方と知り合いだったのはとても意外です。」




