エルラドとの会見
テレーゼ・テルメでルナたちが宿泊した宿は、かなり高級な宿であった。帳場の担当者によれば、他国からの使節が来訪した際に貴族以外の者が泊まるような宿だそうで、部屋と食事には自信があるようだった。案内された部屋は広くて居心地が良く、調度品はなかなか質の高い洒落たものを使っていた。案内してくれたメイドさんに浴室のことを尋ねると、階下に温水の出るシャワーブースが4つありますと、自慢げに話してくれた。浴槽はあるのか訊いたところ、そこまでは無いんですと、申し訳なさそうに答えてくれた。自宅に温泉が沸くルナにとって、これは少し残念なことであった。しかしこの時代、給湯設備は大変贅沢なものであったので、温水が使えるだけでも、この宿はなかなかたいしたものなのである。ルナたちはシャワーを浴びて身体を洗ったあと、階下の食堂でお酒を飲みながら夕食を取ることにした。
食堂の席に着き、やってきた給仕の女の子にお奨めのお酒とお料理を尋ねると、メニューを指し、これはこんな特徴があってお勧めですよと解説を加えながら、食前酒にチーズ、ワイン3種、料理8種類を挙げてくれた。いずれも地域で採れる材料を活かしたものらしく、なかなか魅力的だ。
「美味しそうね。いいじゃない。では先ず食前酒にチーズ、そして今教えてくれたお料理を順番に持ってきてくれません?ワインはお料理を食べながら考えるわ。」
そう頼むと給仕の女の子は。え、8種類全部ですか?と目を丸くして驚きつつも、嬉しそうにわかりましたと言って、いそいそと厨房に姿を消した。そんな私たちのやりとりを面白そうに見ていたサラが言った。
「一緒に外食すると、いつも驚かれますね。やはり量が多いからでしょうか。」
「私は燃費が悪いからしょうがないのよ。食い溜めしとかないといざという時に動けない。でも私に隠れてサラも結構食べてない?」
「だって…色々な美味しいものを食べないと勿体無いじゃないですか。」
サラと二人でこそんなことを言い合っていると、さっそく食前酒とチーズが出てきた。
「んー、この食前酒、なかなかイケるわね。キールみたいなものかしら?とても爽やかな飲み心地。」
「瓶のラベルに何かの植物の絵が書いてあるから、ここの特産品の薬草を使ってるんでしょうね。ワインベースみたいですけど、原料のブドウも地元のものなのでしょうか。」
「そうかもしれないわね。それに、このチーズも芳醇な香と濃厚な味が素晴らしいわ。」
「ほんとですね。私は各地の教会を訪れた際に、その土地のチーズを出してくれることもよくあるのですけど、ここまで美味しいものには滅多にお目にかかれませんでした。」
「貴女は特別枢機卿だから、きっともてなされる側として色々な美味しいものを食べる機会があったのね。羨ましい。」
「うふふ。各地の大司教様は私にとても気をつかってくださいますから。」
「いいわねぇ。私の場合は、お酒や料理が美味しいと言われてるお店に任務の一環で行くこともあったのだけど、何か混ざっているんじゃないかとか、飲みすぎて動きが鈍くなるんじゃないかとか、常に心配が付き纏っていたから、心を自由にして味わえなかったの。でもこれからは、任務は無いわけだから、サラと一緒に色々なお店に行きたいわ。」
「私と一緒にと思ってくれるのは嬉しいです。私もせっかくこうやって生身の身体を持ってるわけですから、そのメリットを十分に活かさないと。」
「ねぇ…その生身の身体のメリットって、お酒と食べ物だけのこと?」
「まぁ!教会の特別枢機卿にそんな質問をするなんて不謹慎極まりないですよ?神罰が恐ろしくないんですか?」
サラはとんでもない、みたいなことを言っているが、大司教に抜擢された女性たち全員と仲良くなっているのは、紛れも無い事実なのである。
「はいはい、わかりました。とにかく神罰はやめてちょうだいね。洒落にならないから。それにしても、この食前酒とチーズだけで判断する限り、このテレーゼ・テルメに別荘を持つというのは、中々良い考えのように思えるわ。」
「ええ。ほんとに。ここには大地聖教会の教会があるので、そこからも情報を集めておきましょう。」
サラとそんなことを話していると、給仕の女の子がやってきて、ルナに面会を求める人が来ましたと告げた。どうやら手紙を持ってきたらしく、その返事まで聞いて帰りたいらしい。
「いいわ。会いましょう。ちょっと待っててね、サラ。リュミエールさんが私たちのことを領主様に話したのだと思う。たぶんその件よ。」
やって来たのはファルファレッテ家で働く男性で、領主様の病状のことで話を聞きたいから明日の14時に領主館に来て欲しい旨の手紙を携えていた。ルナはこれを快諾した。
ルナが食堂に戻ると、ワインと料理が次々と運ばれてくるところだった。ワインはサラが頼んでくれたらしい。
「今の面会は、思ったとおり明日14時に来て欲しいってことだった。了解しておいたわ。それにしても、お料理、とっても良い匂い。これは期待が持てるわね。さっそく食べましょう。」
「ほんと、美味しそうですよね。それに彩りも鮮やかです。」
二人で楽しくおしゃべりしながら、ワインを飲み料理を味わっていると、宿の主人が挨拶にやってきた。
「お嬢様方、本日はうちの宿をご利用いただきありがとうございます。お部屋とお料理はご満足いただけましたでしょうか?」
「ええ、とても素晴らしいわ。お部屋は居心地が良いし、お酒もお料理も言うことなし。これでお湯に浸かれるお風呂があったらもっと良いのに。」
「あぁ!痛いところを突かれました。私もそのことは気になっていたのですよ。ですが、お客様が一人入るごとにお湯を変えるのは時間もかかりますし、使うお湯の量も増えますので、そういうサービスをやるべきなのか悩んでいます。下手をしたらお湯が足りなくなるということも考えられますので。」
「わかります。給湯設備って結構贅沢なものだから、無制限に設備を増やす訳にもいきませんものね。ところで私たち、明日ご領主様にお目にかかることになったのですけど、どんな方なのか、もしよかったら教えてくださいませんか?」
ルナはこれ幸いとばかりに、領主のエルラドの人柄について情報を得ることにした。事前にそれがわかっていれば、どんな話をしたら良いのか考えられると思ったからだ。宿屋の主人によれば、領主のエルラドは商売を通じて領の発展に貢献しようとする意識が強いとのことで、国外の情報もかなり集めているとのことだった。外国の風物に対する興味が強く、国外から来た商人などを招いて会食をすることも多いのだとか。また、亡くなったご夫人を今でも愛しており、忘れ形見であるリュミエールを、それはそれは可愛がっているのだとも聞いた。また、大地聖教会の熱心な信者であり、教会にも多額の寄付を行っているらしいとのことだった。
ルナはこうした情報を聞いて、自分とサラの組み合わせは領主様と相性が良さそうだと思い、内心ホッとしたのだった。
翌日、昼食を摂ったのち、ルナはサラと一緒に領主の館を訪れた。領主館に到着すると家令のティベリオが出迎えてくれて、すぐに会見の間に通された。そこでは、領主のエルラドと娘のリュミエールがルナ達を待っていた。エルラドは席を立ってルナたちと握手を交わし、お互いに簡単な自己紹介をした後、4人でソファに腰掛けた。メイド二人が紅茶を運んで来て、芳しい匂いが辺りに満ちた。この地に対する印象や天候予測の契約の話など、当たり障りのない軽い会話のあと、エルラドがルナのことを訊いてきた。信頼に足りる人物なのか確認するつもりなのだろう。
「イスルギ殿のご出身は遥か東方の島国と娘から聞いているが、もしよかったら、その土地のことを教えてくれないか?私は外国のことにはとても興味があってね。」
「私が故郷を発ってから長い年月が過ぎています。国土そのものに大きな変化はないと思いますが、住まう人々や社会がどう変化しているのかは、確信を持ってご説明することができません。自分の故郷のことですから、折に触れて情報を得るようにはしているのですけど。」
「イスルギ殿の知っていることでいいんだ。それに、せいぜい20年ぐらい前のことだろう?世の中、多少の変化はあるかもしれないが、それほど変わるものではないから大丈夫だ。」
ルナは、最後に自分の故郷の様子を確かめに行ったのって、確か1000年ぐらい前だったわね。1000年も経てば流石に変わっているのじゃないかしらと思い、悩ましそうな表情を浮かべた。するとサラが言った。
「ルナさん。貴女の故郷は、女神アスタルテ様が特別の恩寵を賜わられた地なんです。ですから彼の地は、女神様がこうあって欲しいという願いが顕現していて、長く変わらないでいるのですよ。」
ルナは、この言葉を聞いて、そういえばこの前故郷に戻った時には、あまり違和感を感じなかったわねと思った。今思えばそれは、彼の地が3万年もの間、ルナが生まれた頃と比べてもあまり変わっていないということに他ならない。これは正に神の奇跡なんだとルナが内心で驚いていると、エルラドが言った。
「ふむ。私は大地聖教会の信徒だが、アスタルテ様が実際に影響を及ぼしている地があることは知らなかった。だが各地の大司教様方は皆、アスタルテ様と言葉を交わした方がなられると聞いている。アスタルテ様が人と交流されることがあるのであれば、ある特定の地に対しても、サラ様が言われるようなことはあるのかもしれん。だからイスルギ殿。貴女の知っていることで良いから、どうか教えてもらえないだろうか?」
ルナはエルラドに問われるまま、彼の地の地勢、気候、人々の気質、習俗、食べ物、芸術など、故郷のことを色々と説明した。
「なるほど。なかなか興味深い場所のように思えるな。もし行くとしたらどのぐらいかかるんだね?」
「そうですね…船で色々な国の港を経由して、数ヶ月といったところではないでしょうか?」
「そんなに。だが、そんな国から色々なものを輸入することができれば、面白い商売ができるかもしれないな。」
「途中の港と港を繋ぐ交易をしている商人は居ると思いますよ。この地でもたまに、東方の品物を手に入れることはできますからね。ですが、直接交易している例は無いんじゃないでしょうか?長期に亘る航海で、気象変化や海賊への備えなど、リスクは高いですからね。」
「キミの故郷に至るルートを地図で示せるかね?どれほど遠いのか、具体的に教えて欲しいのだが。」
「私が描くと縮尺が変になっちゃいそうな気がします。ねぇサラ、もしかして貴女ならちゃんと描けるんじゃない?なんと言っても、自分のことだから。」
これを聞いて、エルラドは妙な表情を浮かべた。自分のこととはどういうことなのか?と思ったのだろう。するとサラから思いがけない返事があった。
「ええ、もちろんです。一時期、地図のことは勉強しましたから色々な図法で描けますよ。ご要望からすると距離が重要そうですから正距方位図法で描きますね。」
「え!ちょっと。それって、球のイメージが壊れるんじゃないの?メルカトル図法にしてよ。」
「何言ってるんですか。メルカトル図法こそ、緯度の高い地域の歪みが酷すぎますよ?でもまぁどの図法でも、多かれ少なかれ悪い点はありますから…ルナさんのご要望に添いましょう。しかたがないですね。」
サラは、目を閉じてため息をつき、いかにも仕方ないという仕草で答えた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。君たちが何を言っているのか、さっぱりわからん。」
「あ、これは失礼いたしました。少しご説明しても?」
「頼む。」
「この世界が一つの球体であることはご存知ですよね?」
「うむ。世界を一周した船乗りの話なども聞いている。」
「球体を平面の地図に写すのは無理だから、何か工夫が要るんです。その工夫の違いでいろいろな地図の描き方が生まれました。サラは最初にここからの距離と方位が正しい図を描くと提案したんですけど、私はこの地が球であることをイメージできそうな図にしてと要望したんです。」
「ううむ…地図と言えば、この国近隣の数カ国を含めたものしか見たことがなく、それで困らなかったのだが、距離が遠くなれば歪みも大きくなる、ということかね?」
「はい。お察しのとおり。」
エルラドは部屋の隅に控えていたメイドに、できるだけ大きな紙を持ってくるように言いつけた。紙が届くとサラは、そこに見事な地図を描いて見せたのだった。私はその地図の上に、生まれ故郷からこのナポリエール王国までの一般的な航路を線で示し、主な地域の解説を加えながら、エルラドに説明をした。
「なるほど。世界はこのように広いものなんだ。どうやらキミたちは、年齢にはそぐわないほどの知識と経験を有しているようだな。最初にキミたちの噂を聞いたときは、失礼ながら、うら若いお嬢さんたちだから知識も経験も不足しているだろうと思っていたのだが、それは大きな間違いだったようだ。」
「あら、うら若いだなんて。」
サラが口に手を当ててオホホと笑った。
「そこで喜ぶんじゃない。」
あんた、神様なんだから容姿なんて思いのままでしょうが!私はサラを肘でつついて嗜めた。
エルラドは表情を少し和らげて言った。
「それで本題に入るが、娘の言うにはキミたちは私の病に何かアドバイスができるはずだと聞いた。良かったらそれを教えてくれないかね?」
ここまでの話でエルラドは、私たちが信頼に値する人間であるかどうかを計りたかったようである。そしてどうやら一応の信頼を得られたようだ




