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理想と現実(案内)

介護現場の中身を面白おかしく表現しようと、試みたのですが、次第に難しい話になるため断念。


汚ない・臭い・キツい・給料安い等と言われる介護現場ですが、楽しい事もあるんです。そして、人と人が直接的に関わる仕事だから、キツい事を言ったり、言われたりする事だって。



 就職難のこのご時世。就職難・就職難と言われるが、求人難の職場がある。それは、老人ホーム。

 老人ホームと一言に言っても、【養護老人ホーム】【特別養護老人ホーム】【ケアハウス(旧軽費老人ホーム)】【グループホーム】【有料老人ホーム】【老人保健施設】と様々だ。

 そんな中で【特別養護老人ホーム】を、ピックアップして話を進めたいと思う。

 【特別養護老人ホーム】も大別すると二種類ある。まずは【従来型特別養護老人ホーム】。病院のような総室(多数部屋)のある施設の事である。もう一つが【ユニット型特別養護老人ホーム】。俗称【ユニット施設】と呼ばれる。特徴は、総室が存在せず、個室のみの部屋構造となっている。

 そして今から話すのは、従来型特別養護老人ホーム。所謂【特養】の話である。


 ここは【社会福祉法人】山川会さんせんかい【特別養護老人ホーム】蝶樹荘ちょうじゅそう

 その特養の【新人教育係】花嶋はなしま 六斗ろくとの悪戦苦闘の日々の記録である。


「花嶋君」

 突然話し掛けてきたのは、介護主任の米原まいばら 紀子のりこであった。

「はい? どうかしましたか?」

 振り向き様に応えると、米原主任の傍らに見覚えのない女の子が立っていた。

「今日から勤務する事になった幹先 奈々(みきさき なな)さん。こちらは、新人教育係の花嶋君」

 と、突然お互いの紹介をされた。

「はじめまして! 幹先奈々と言います。これから、よろしくお願いします!」

「いえ、こちらこそ、よろしくお願いします」

 元気な声で、深く頭を下げ挨拶されたので、こちらもそれに合わせようとおもったが、軽く挨拶するだけに済ませた。

「じゃあ花嶋君、後の事はよろしく!」

 米原主任は、僕の肩をポンと軽く叩くと、そのまま去って行った。

『おいおい主任……。情報は? この子の経験は? 年齢は? どうして何も言わずに行っちゃうかなぁ……』

 去りゆく主任の背中を見つめていたが、新人を放っておくわけにもいかないので、幹先さんの方に向き直った。

「じゃあ幹先さん。こういう所の経験は?」

「無いです」

 おもむろに質問してみたが、即答された。

「じゃあ……何か資格は?」

「無いです」

 むむむ。これも即答か……。

「年齢は?」

「十九です」

 若いなぁ……。

「どうして、こういう所で働こうと思ったの?」

「だって、これから高齢化社会なんですよね? だったら、一番就職率高いじゃないですか!?」

 成る程、それは一理ある。

「それに、今から必要とされる仕事って事は、お給料良さそうだし」

『そういう計算か……。この子は、すぐ辞めるな。まあとりあえず、案内してからだな……』

 僕が、そう考えるのには根拠がある。この仕事は予想以上にハードで、そして低賃金なんだ。ハードな部分は慣れれば、どうという事はないが、慣れる事が出来れば……って話だ。まあ、その辺りについては、またそのうちふれる。

「じゃあ、幹先さん。まずは、フロアー案内をするよ。僕について来てくれるかい?」

 そう言って歩き出すと、幹先さんは「わかりました」と言ってから、後ろをついて来た。

 初めに訪れたのは詰め所。一昔前は寮母室と言ったり、最近ではスタッフルームと言ったりする。

 その中で、ゆっくりお茶を飲んでいる女性に近付いた。

「長武さん。お疲れ様です」

「ん? あ、お疲れ様。花嶋君、今日はどうしたの?」

「いえ、今新人の子を案内しているんですよ。あ、幹先さん。この人は二階のフロアーリーダーの長武ながたけ 信子のぶこさん」

「で、こちらが新人の幹先奈々さん」

 紹介を済ませると、幹先さんが「幹先奈々です。よろしくお願いします!」と頭を下げている。

「こちらこそよろしく」

 長武さんは、そう言うと僕の手を引き奥の休憩室に招き入れた。

「単刀直入に聞くよ。花嶋君はあの子どう思うの?」

「単刀直入すぎませんか? まあいいです。そうですね。歳も若く、未経験。資格もない子なので、長くもたないかと……」

「成る程ね。で、今日はどうするの?」

「今日は各フロアーと業務箇所の案内をするつもりです。これが越えられれば、一つステップアップですからね」

「いきなり見せるの?」

「当然でしょう。あの部屋をクリアしないと、継続なんて夢のまた夢ですから」

「それはそうだね」

「じゃ、失礼します」

 僕は幹先さんの所へ戻ると、案内の続きを始めた。

「今、僕達がいるのが二階なんだけど、この施設には後、三階と四階があるんだ。それぞれの居室配置は同じなんだけど、住んでいる人達の状態が異なるんだ。まずこの二階だけど、ここは要介護度の低い人達……。大体、一〜二ってところ。この上の三階は、認知症の人達が多い。認知症は要介護度に反映されにくいので、要介護度二〜三ってところかな。そして四階が、重介護者。寝たきりと呼ばれる事もあるね。移動を車椅子で行う人が多く、自操出来ない。中にはストレッチャーを使用する方もいる。要介護度は四〜五で、少し三の人が混じっているね。って一度に説明したけど、覚えられないよね。また、ぼちぼち覚えたらいいよ。スタッフの紹介もしたいけど、また日を改めてやろうか!? で、これから仕事をする上で重要なポイントを案内するよ。一つは食堂。一つは浴室。そしてもう一つが汚物処理室だね。一カ所一カ所説明しながら案内するから、ついて来てね」

 まず初めに食堂へと案内する。

「ここが食堂だね。大食堂とも言う。入所者百二十名が揃って食事をする所だよ。そして、あっちにあるのが厨房。ここは変わっててね、五階に厨房があるんだ。でも、食堂の隣に厨房が併設されているから、温冷食がきちんと分けられるからいいね。幹先さん。今、食堂は空いているから、ちょっと気になるところなんかを、見てきてごらん。何なら、厨房のスタッフにも挨拶してきたらどうかな」

 幹先さんの右隣に立ち、左手を腰に回すと右手を食堂の方へ差し出し、軽くお辞儀をするように、幹先さんを食堂の内部へと誘導した。

 幹先さんは、物珍し気に机や椅子等を見ていたが、最後に厨房のカウンター前に行き、中のスタッフに何やら話して、深く頭を下げたと思うと戻ってきた。

「何か聞きたい事は?」

 僕の傍まで来た幹先さんに一言掛けたが、少し困ったような顔をしてから、無言で首を横に振った。

「そう? じゃあ、次行こうか!?」

 と、また歩き出す。基本エレベーターは使わない。施設内消費電力削減のためだ。老人ホームと聞くと、身体的障がい(障がいの【がい】を仮名で表現している事に疑問がある方もいるかもしれないが、これは障がい者の人達が提唱した事で、身体的に不自由であっても、他人に害を与えてはいない。というような事から、障がいと表すようになった)があるために、エレベーターを使うのが普通だと思われがちだが、基本スタッフは階段を使用する。

 夏や冬の空調管理も同様で、空間温度が約二十六・七度になるように合わせ、スタッフが暑かろうが寒かろうが、その設定温度を変更する事はない。これもまた、施設内消費電力削減のためだ。基本特養は、スタッフに対してはかなりケチである。

 そうこうしている内に、浴室へと到着。ちなみに浴室は一階にある。軽く息を切らす幹先さんを尻目に、浴室の前に立つと幹先さんの方を振り返った。

「今、入浴介助中だから、中に入ったらスタッフへの挨拶や、入所者への挨拶を怠らず、双方に対して失礼のないように。また、入所者の方々にも羞恥心はあるので、あまりジロジロ見ないようにね」

 幹先さんが、軽く頷くのを確認してから脱衣室へと入る。

 浴室は、脱衣室を中心にして二つの浴室に分かれている。一つは、温泉やスーパー銭湯等でもお馴染み大浴場。もう一つは、専門的施設でなければ、お目にかかれないような機械浴室。機械浴室にも二通りあり、一つは座位の状態のまま入るリフト型チェアー浴槽。もう一つは、主に座位を維持できない方、所謂寝たきりの方が仰臥位のまま入るストレッチャー型浴槽である。

 今日は機械浴の日であったため、幹先さんをまず、大浴場へと誘導した。

「ここで皆さん、一人でお風呂に入るんですか?」

 何か質問しなければ……。と思ったのか、突然声を掛けられた。

「自分自身で全身を洗われる方は、極少人数だね。基本、自力で出来る事は御自身でやってもらうけど、どこか、若しくは全身の洗身介助を必要とされる方が殆どだね。また、浴室は施設内で最も危険な所なので、一番注意が必要な場所となっている。何故一番危険な所かと言うと、まず裸になるから。身を守る物が無くなるからだね。次に、下が硬いタイルだから。転倒などすると、即骨折・裂傷に繋がるからね。そして、浴槽内は浮力がかかるから。溺れる可能性があるからね。これで、大体分かった?」

 神妙な面持ちのまま、幹先さんは軽く頷いた。それを確認すると、次に機械浴室へと移動する。

 初めて見る光景に、唖然とし、声も出ないようなので、軽く説明する。

「機械浴室は、スタッフが操作するので、一見安全に見える。でも実は、機械からの転落や、機械の隙間に挟み込み等の事故が多く、一般浴……あぁ、大浴場よりも事故が多いんだ。だから、一般浴を行うよりもスタッフは神経を張り詰めている。だから、そろそろ行こうか!?」

 さっきよりも更に神妙な面持ちで、何度も頷く幹先さんを連れて、浴室を後にした。浴室を出ると、一度浴室内に僕だけが戻り、「ごめんね」とだけ言っておいた。

「さあ、最後に案内するのは、この仕事をするのに避けて通れない部屋になる。この部屋に入られないと、介護の仕事が出来ないと言っても過言ではない。うん。時間的にもいい時間だね。じゃあ、行こうか!?」

 そう言って四階へ案内する。タイミング良く、オムツカートが戻ってきた。

「ここが汚物処理室。オムツ交換を終えた汚染紙オムツを処理して、清拭せいしき……お尻拭きを洗う所だよ」

 そう言ってスタッフが汚染オムツを袋に詰めたり、清拭を水洗いしているところへ連れていく。

 今日は、普段より腸の調子が良かったのか、汚物室の中は排便臭で満たされていた。

 幹先さんを見ると、臭いに堪えられないのか、顔をしかめ口を手で覆っている。

「ちなみに、排泄物は入所者の健康状態を把握するために、最も重要な情報源なんだ。色・形状・臭い色んな要素を確認出来る。幹先さん! 手! 失礼だよ!」

 幹先さんは、注意を受けゆっくりと手を口元から離した。しかし、息を止めているようだ。

「紙オムツは産業廃棄物といって、普通のゴミとして処理出来ない。オムツの中に入っているポリマーが、それに当たるんだ。昔は違ったんだけどね。一昔前までは、布オムツを使用していたからね」

 僕は少し意地悪に、ゆっくりと説明した。幹先さんは、呼吸が苦しくなってきたのか、真っ赤な顔をしながら頷いていたが、突然汚物処理室から飛び出して行ってしまった。

 僕は、ゆっくり汚物室から出ると、幹先さんに近付いた。

「じゃあ、今日は少し早いけど、後は米原主任のところへ行って質問とかあったらしておいで」

 そう言って「お疲れ様」と付け加えた。

 幹先さんは「今日はありがとうございました。お疲れ様でした」と言って、フラフラとした足取りで去って行った。

『さあ、彼女……明日来るかな……?』


 翌日、幹先さんは無断欠勤した。施設長が直接電話したが、辞めさせて欲しいと言われたそうだ。

 仕方ないやね。綺麗なイメージだけでは務まらないんだよ。

「花嶋君。やっぱり辞めた? あの子」

 長武さんにそう言われたので、「仕方ないですね。昨日、汚物室……かなりきつかったみたいですし……」と言うと、「そう」と言って去って行った。

 さあ! 心機一転! 僕も今日の業務頑張ろうかな!!




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