2.図書館登録できない少女、嘘つき管理人を目撃する
そんな人生に絶望していた帰り道。
「見つけた。ねえ、あんた黙って二千万払いなさいな。 そうしたらあんたの嘘、黙っていてあげるわ」
あまりにもクリアに聞こえた物騒な言葉に、真琴はどきっとして顔をあげた。
反対側の歩道。黒い作務衣に、黒いゴム長靴。右手に棕櫚帚を持った女が、びしっとスーツをきた中年男性の前に立ちふさがっていた。
季節感どころか時代すら間違えている代物だ。春にはおかしな人がでるというが、この夏の暑さで頭が沸いた類の人か。いつもなら面倒ごとに巻き込まれないように、すぐにその場を去るが、今日の真琴は少しすさんでいた。変な恰好の女と、それなりに社会的地位がありそうな男のもめごとを野次馬することにした。
「なんだ、お前。警察を呼ぶぞ」
さびれかけた商店街、うなぎ屋の看板の下。高圧的な男に、女は黒い髪を揺らし、おもむろに懐に手を入れ、小花柄の巾着袋を取り出した。
「そお? じゃあ、あんたの嘘、お返しするわ」
「嘘だと? 脅しのつもりなら相手が悪いぞ。」
男は馬鹿にしたみたいに笑った。女は気にした様子もなく、巾着袋の口を開くと左手の上で逆さにした。
「本当にいいのね」
かわいらしい巾着袋とは正反対、妙な湿気のある毒々しい目で男を見ると、巾着袋を振った。
なにが出てくるのだろう。反対側から、女の手の上に注目していた真琴は、がっかりした。女の手の上にはなにも乗っていなかった。ただの言いがかりだったのだろう。真琴が
巻き込まれないうちに帰ろう、としたときだった。
「ひ、や、止めろ」
男が悲鳴を上げた。さっきまでの余裕は消え、恐怖に顔をひきつらせ、その目は女の手の上に釘付けになっている。
何もない、その手の上に。
男の顔に、女は満足そうに微笑み、手の上の「なにか」に向かって優しい眼差しを向ける。
「ようやく、この日が来たわ。さあ、あなたたち、本当に行きたいところへ行きなさい」
「ま、まて、まて。やめろ。俺は墓場まで持っていくと誓ったのだ!」
男は必死に言い募った。
「墓場まで? そこらへんにポイ捨てしといて墓場までも何もないわよ、ねえ」
女は鼻で笑った。手のひらの上の「なにか」を撫でると、男の鼻先に、棕櫚帚を突き付ける。左手のスナップをきかせ「なにか」を宙に投げ、棕櫚帚を振りかぶり、思い切り振り抜いた。
「うわ!」
「避けんな!」
びやっと足を上げた男に、女は再び棕櫚帚を振った。男は「なにか」をよけるように飛び上がる。女は振る。男は避ける。
真琴は一体何が起こっているのか理解できなかった。千本ノックのパントマイムをしているようにしか見えなかった。だが、二人は真剣そのもの。男の方は死に物狂いだ。
「変な人が二人」
「まったくだ。図書館行くはずが、何やってんだか、ヤナセは」
奇々怪々な真昼間の怪に真琴の独り言に返事があった。真琴がぎょっとして横を見れば、女と同じ年くらいの男がいた。突飛な格好の女とは正反対に、どこにでもいるサラリーマンだった。
真琴と目が合うと、「驚かせて悪いね」と肩をすくめ、名刺を差し出してきた。
《ライアーズバンク 嘘管理融資部門 椛島譲》
うさん臭さと、きな臭さが漂う名刺に、真琴はそっと男から離れた。気づかれないように動いたつもりだったが、男は気づいたらしい。肩をすくめながら苦笑した。常識人ぽい笑顔に真琴は急に申し訳ない気持ちになった。
「あの、止めなくていいんですかヤナセさん?ですか、女の人」
きっと何か事情があるのだ。真琴は浮かんだ疑問すべてに蓋をし、目の前の事象にだけ言及した。
男は面白そうにもう一度肩をすくめると、黙って視線を女・ヤナセに戻した。道路の向こうでは男が逃げまどっていた。なにかが起きているようなのに、なにも見えない。ヤナセが棕櫚帚を振り回し、男が必死に逃げ回っている。コントにしか見えないが、男は必死の形相だ。
「私は悪くない!言うことをきいただけだ!」
追い詰められた男は廃業した店のシャッターを背に叫んだ。
「はいはい、嘘つきの決まり文句。それで、次は? 記憶にない? だけどね、記憶から消える程度の嘘なら私はここにはいないわけ。あんただって、もう分かっているはずでしょう。自分の嘘が見えているのだから、ね?」
ヤナセが箒を振りかぶった。
「待て! 金なら払う。金なら。幾らだ」
なにが見えているのか。男は慌てて言った。目は血走り、口元にはうっすらと血が滲んでいる。五分もたっていないのに、別人のようだった。
ヤナセはお白州のお代官様のごとく、近くにあったベンチに片足をあげて見栄を切る。
「もう遅い! さ、始めましょうか。私に嘘を憑かせた罪は重いわ。三か月にわたり、あんたの嘘の世話をしてやっていた感謝代を金で解決してやろうとした親切心を無にした以上、覚悟はできているんでしょうね」
ノンブレスで言い切ると、ニヤリと笑い、棕櫚帚の柄の端を握りなおす。穂先をまっすぐに空に向かってさすと、柄に巻かれた古布と組紐が重力に逆らって宙にふわりと浮き、古布と組紐が棕櫚帚の柄に巻きついていく。
ただの棕櫚帚が、不可思議な色彩をまとっていく。
組紐の最後のひと巻きが、巻き終わると、組紐の先についた栃の実同士がぶつかった。
バキリ。
小さな木の実がぶつかったとは思えない大きな何かが割れたような音。
たぶん、それが合図だった。
ヤナセが空を掃くように棕櫚帚を旋回させた。
「嘘つき管理人ヤナセ・リジーの名の下にこれより嘘の返却を行う。さあ、あなたたち! あるべき場所にモドレ!」
ヤナセは勢いよく棕櫚帚を振り下ろした。
※ ※
なにも起きない。帰ろうとした真琴は、視界に急に落ちてきた影に空を見上げて真琴は固まった。
雲がありえない速さで形を、大きさを変えていた。
空の形が変わる?
あるはずがない。
雲? ではない。どんどん近づいてくる。
「あられ? 鳥? 隕石? ……!」
目を凝らす必要もなかった。重力に従い落ちてくる、その正体は――。
「五⁈」
特大の黒ゴシック体。――文字だった。




