23 いつか帰る君へ※
※ツカサ視点です。
月明かりを避け、闇の帳の合間を縫うように、俺は走った。
聖職者たちの街であるイソウドの眠りは早い。ほとんどの店が、日没と同時に看板を下ろしてしまう。毎夜九時には、神に祈りを捧げるために、カガリの像の前に跪かなければならないからだ。その時間を過ぎて外出するような物好きは、当然いない。
レファーンが寝泊まりしているという宿は知っていた。
明日、早速神官長を説き伏せて、すぐにも迎えを出そうと思っていたから、ユウから詳細を聞いていたのだ。
まさか、急に思い立って、自ら足を運んでしまうとは、その時は予想もしていなかったが……。
ほとんどの店は閉まっているが、さすがに宿だけは開いていた。
絶えず巡礼者が訪れるイソウドの宿は、それを経営する者も旅人には慣れたもので、フードで顔を隠した俺の姿にも何ら驚く様子を見せず、レファーンのいる部屋を教えてくれた。
(二階の、階段から三番目のドア……)
どんな人物なのだろう。
ユウは師匠だと言っていた。凄い人なのだと、目標なのだと、彼について、まるで自分のことのように誇らしげに語っていた。
扉を叩く。はい、と、中から返事が返ってきた。予想外に高い……可愛い声で。
(え?)
扉が開いた。中から姿を現したのは……。
「ユウ!?」
「え? あれ? ツカサ!? どうしたの」
どうやら、夜になって、ユウの方も神殿を抜け出してきたらしい。俺のように見張られていないとはいえ、大胆な……。
と、そこで、はっと気付いた。
そうだ。ユウはあのクラウス王子に気に入られている。昼間は明らかにその意図を持って攫われようとしていた。
身の危険を感じて、師匠だというハンターのもとに逃げ込んだのかもしれない。そのハンターはユウを少年だと思っているという話だし、ユウが父親のように慕っている様子から判断しても、貞操の心配などする必要もないくらい、あるいは年配の人物なのだろうか……。
という俺の予想は、ユウの後ろから現れた男の姿に、見事に裏切られた。
ユウの師匠だというハンターは、若いも若い……せいぜい俺より一つ二つ上くらいの、長身の青年だったのだ。
「貴方が……レファーン?」
「ああ。あんたがツカサか。……ユウから話は聞いている」
そのまま、狭い部屋の中に通された。
室内に一つだけある小さな椅子に勧められるまま俺は座り、ベッドの上に、部屋の住人である二人が腰を下ろした。
勢いのまま来てしまったものの、では具体的に何を話すかといえば、俺は実は何も考えていなかった。
会話の取っ掛かりが掴めず、押し黙っていると、それに気付いたらしいレファーンが、先に口を開いてくれた。
「昼間、迷子になっているところを助けてもらったんだってな。あまり無茶をするなと、普段から言い聞かせてはいるつもりなんだが……」
ちら、と、レファーンが横目でユウを見る。見られたユウは、亀の子のように首を竦めた。
「だって、探さないとツカサに会えないじゃん」
「探している途中で禁足区にでも入りこんでしまったらどうする。その場で斬り殺されても文句は言えんぞ」
「結局ツカサに会えたからいいじゃない。結果オーライだよ」
「まったく……」
軽口を叩きあう二人は、とても仲良く見える。変な意味ではなく。しっかり者の兄と、無鉄砲な弟、といった雰囲気だ。
巫女装束のユウが、男のふりをしている、と言った時、いくらなんでも無理だろうと思ったが、こうして実際に男装姿を見ると、さほど違和感を覚えないから不思議なものだ。
顔は変わらないものの、目つき、顔つきが鋭くなっているからだろう。今の彼女には、女を感じさせない……というより、性別そのものを飛び越えた、独特の存在感があった。
「俺に教えて欲しい。中正の立場……ギデオンのハンターとして、フォルトリガというこの国を。女王を。俺の周りには、それを聞ける人間がいない。聞いても……誰かの都合にあわせて歪められた答えしか返ってこないんだ」
「国の知識については、ある程度俺が教えてやることは出来る。だが、女王については……あんたが直接確かめてみた方が良いだろう」
「直接……確かめる?」
「実際に会ってみればいい。フォルトリガの女王エルミアに。人を知るのに、誰かの又聞きほど当てにならないものはない。自分の目で、耳で、確かめるんだ。そうでなければ意味がない」
「でも、俺は閉じ込められていて……。女王に接見なんて、神官長が許してくれるとはとても」
「星祭りの三日間だけ、女王はこのイソウドを訪れる。俺から言えることはこれだけだ。後は自分で考えろ」
きつい言葉が返ってきた。
口が悪い、とユウが言っていたのを思い出す。確かに……言葉をオブラートで柔らかく包むような真似はしない人物らしい。
いや、俺が相手だから、わざと一層きつく言ったのかもしれない。
動け、と、教えられた気がした。
でなければ、何も変わらないぞ、と。
「変われる……だろうか。今更」
「始めようとした時点で、変わりつつあると思っていいだろう」
と、二人の男が深刻に話し合っているその横で、ふわぁ、と緊張感のない声がした。
俺たち二人の視線を受けて、ユウが慌てて両手で自分の口に蓋をする。
「疲れたのか?」
ごく自然に伸びたレファーンの手が、労わるようにユウの黒い頭を掻いた。
「んー……」
ユウが目を細める。その顔は、好きで好きでたまらない飼い主にあやしてもらっている猫のそれを思わせた。
「やっぱりもう駄目ー……」
次の瞬間、ユウの体が傾いた。重力の法則に従って傾いたその体はレファーンにもたれかかり、ついにはどさりと彼の膝の上に落ちた。
嘘だろ……。一瞬で寝た……。
「……すまんな。まだ子供なんだ」
「あ、ああ」
「おい、ユウ」
ぺち、と、レファーンが軽くユウの頬を叩く。
「このまま寝る気か。風邪ひくぞ」
レファーンはユウの体の下から自分の脚を引き抜こうとし……ユウが寝ぼけながらムニャムニャと文句を言ったので、諦めてそのままの姿勢になった。
「仕方のない奴だな……」
手を伸ばし、器用に片手でユウの靴を脱がせると、ひやりとした床石に触れている彼女の足を、寝台の上にそっと上げてやった。
(なんか)
男相手に……いくら年端もいかない弟のような少年だとしても……ここまでしてやるものだろうか。
少なくとも、俺の目には、ごく普通の男と女に見えた。
少女と、それを見守る……青年。
(この人は……)
俺の物問いたげな視線に気付いたのだろう。レファーンは微かに苦笑した。
ユウの髪を撫でてやりながら、
「いつか帰るからな、こいつは。……その邪魔はしないつもりだ」
俺は、迷わず、クラウス王子のことを伝えた。
エイデルハルトからの星祭りの貴賓として、クラウス王子は大神殿に滞在している。その身分ゆえに、王子は神殿内のありとあらゆる場所への立ち入りを許される。
例えば……気に入った巫女の部屋に、深夜に忍び込むことだって、咎められることはない。
「なるほど。それで俺のところに逃げてきたわけか」
ユウのことは、この人に任せておけば安心だ。そう思った。
俺の同胞である彼女を……目の前のこの青年は、全力で守ってくれるだろうから。
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