43.怠慢な落としどころ
憲兵騎士団特別捜査局のトーマス・ホフナーは、早朝のひんやりとした空気の中、第一騎士団長マグナス・クレイマンの邸宅を訪れていた。
「で? 出勤してきたら、もぬけの殻だったと?」
振り返りながら尋ねるトーマスの視線の先で、初老の女性使用人が不安そうに揉み手をしている。
「はい……。一階のテーブルの上に、ぽつんとこれが置かれておりまして……」
差し出されたのは、上質な植物紙の手紙だった。
丁寧な折り目を解き、トーマスはそこに走る力強い筆跡を目で追った。
『我ら第一騎士団の中で志を同じくする同志たちは、この帝国の腐朽しきった体制に対し、もはや一滴の希望も見出し得なくなった。
肥え太った貴族どもは権力という温室で利権を貪り、路地裏に蠢く民草は自らの権利すら忘れ、搾取されることを当然と受け入れるかのように虚ろな目をしている。
評議会でぬるま湯に浸かる「改革派」の連中も同罪だ。彼らは議場での言葉遊びと無力な正論を繰り返し、結局は何も変えられぬまま現実に妥協し続けている。言論や内部からの改革など、最初から途絶えた幻影に過ぎなかったのだ。
ならば——我々は「外圧」となる。
国内での潜伏と抵抗に限界が訪れた今、我らが選ぶべき道はただ一つ。教義を異にする聖教国の地へ渡ることだ。
我々はこの渡航により、あの地を旧体制を粉砕するための「絶対的革命拠点」となす。聖教国において新たな革命組織を打ち立て、かの地の軍備と教義を利用して我らの刃を極限まで鍛え直す。
そしてしかるべき時、牙を研ぎ澄ませた我らは再びこの帝国の土を踏み、外部からの暴風となってこの爛れた秩序を根本から撃ち滅ぼす。
同志よ、誇りを持て! 我らの亡命は敗北でも逃亡でもない。帝国全土を解放する真の武力蜂起を完成させるための、必然の遠征なのだ。いまや決起の刻は満ちた。我らは自らの手で——』
「……なんか、読んでて頭が痛くなってきたな……」
痛む目頭を指で押さえ、トーマスは重々しいため息を吐き出した。
「私には、何が何やらさっぱりでございまして……」
「まあ、そうだろうな……。つまり要約すると『団長はこの帝国に嫌気が差して、仲良しのお友達を連れて聖教国へ亡命しました。またパワーアップして戻ってくるからよろしくねー』ってことだろ」
政治的信条も熱量もすべて削ぎ落とした、身も蓋もないトーマスの解説。
「気難しいお方だとは思っておりましたが……旦那様が、本当にそんなことを……?」
「まあ、突然いなくなった理由としては、変に筋が通っちゃってるんだよなぁ……」
トーマスは改めるように室内を見回した。
綺麗に整頓され、最低限の家具しか置かれていない静寂な部屋。
壁際に飾られた豪華な刀剣類の数々だけが、マグナスの人間的な物欲と虚栄心を主張している。
「あの……他の第一騎士団の方々も、いなくなってしまったのですか?」
「ええ。全員ってわけじゃないですがね。今朝、団長が特に目をかけていた幹部連中が揃って無断欠勤です。……おかげで本庁は蜂の巣を突いたようなてんやわんやですよ」
今朝、目にしてきた騎士団本庁の地獄絵図を思い出し、トーマスは再び息を吐く。
ついでに、自分のデスクに置かれていた部下のロザーナからのメモ――『突然で大変申し訳ないのですが、本日急用につき非番とさせていただきます』という脳天気な一文を思い出し、頭を振った。だからこそ、こうして捜査局で手が空いていたトーマスが一人でここへ回されたのだ。
「ちなみに聞きますが、室内で争ったような形跡や、盗まれた品などは?」
「いいえ。こうしてお部屋は完璧に整頓されておりますし、調度品も何一つ変わりございませんでした……」
戸惑いながら答える使用人。
トーマスはもう一度、室内を観察した。
高級なカーペット。
無駄に重厚な執務机。
そして整えられた椅子。
汚れ一つなく整理整頓された空間は、持ち主の神経質さを絵に描いたようであり――同時に、どこか人工的な「無機質さ」を感じさせた。
「……ふむ。これは、本当に事件性ゼロなのかもしれませんね」
「え、ええ? そ、その。ですが……なら私は、明日からの仕事はどうすれば……?」
「いや、俺に聞かれても困りますよ。案外、ふらっと帰ってくるかもしれませんしねぇ」
「で、ですが、給金は……その、どうすれば……?」
「金庫の鍵はお持ちですか?」
「はい……」
「なら、当面の給料として勝手に取り出しておいたらどうです? もし団長が戻らず金庫が底を突いたら、速やかに転職をオススメしますよ」
「え、えぇ……!?」
あまりにも適当で無責任な提案に、使用人は頭を抱えそうになった。
「とにかく、この手紙はお預かりします。もしマグナス団長から連絡があったら騎士団本部にお知らせください」
そう言い残し、トーマスは部屋を辞そうと扉に手をかけた。
ガチャガチャ……。
「……ん?」
妙にガタつくドアノブに少々手こずりながら、なんとかドアを開けて出ていく。
一人取り残された使用人は、首を傾げながらデスクの後ろへと回り込んだ。
「あ……そういえば、あの権利証……」
主が最近、悦に入った様子で眺めていた郊外の土地の権利証が、デスクの上から消えていることに気づいた。
引き出しを開けてみても、中には、豪華そうなナイフが一本入っているだけで、書類は見当たらない。
「トーマス様に、このことをお伝えした方がかしら……?」
一瞬迷ったが、窓の外を覗くと、すでにトーマスの背中は前庭を通り抜け、門の向こうへと歩み去っていた。
「……誰かに譲ってしまわれたのかしらね」
使用人はそう自分に言い聞かせることにした。
明日にも高給な職を失うかもしれない現実を前にすれば、書類が一枚消えたことなど、あまりにも些末な疑問に過ぎなかった。
ただ――ふと見上げた窓辺で、彼女はもう一つの違和感を抱く。
「……あら? ここのカーテンって……こんな柄だったかしら……?」
ぽつりと漏れた小さな疑問も、朝の静寂の中に静かに溶けて消えていった。
✢
トーマスは気だるい足取りで目抜き通りを歩き、騎士団本庁へと戻ってきた。
これから、あの手に入れた「マグナスの痛々しい亡命メッセージ」を元に、上層部へ提出する厄介な報告書を捏造しなければならない。
「あ、あのっ! トーマス・ホフナー隊長! その、折入って要請がございますっ!」
「はぁ?」
本庁の廊下に足を踏み入れた途端、呼び止められてトーマスは振り向いた。
声をかけてきたのは、第一騎士団の会計係を務める若い騎士だった。青ざめた顔で額に汗を浮かべている。
「そ、その! 例の『騎士殺し』の犯人たちの扱いをどうすればよいのか……! 団長もおられず、権限を持つ上官が誰も残っていないのです! どうか指示を……!」
「そんなもん、お前らの部署で粛々と手続き進めればいいだろ。捜査局の管轄じゃねえよ」
トーマスは興味なさそうに手をひらひらさせ、歩き出そうとする。
「お願いしますっ! 第一騎士団にはもう判断を下せる人間が誰もいないんです! こうなったら、捜査局のトーマス隊長に頼るしか……っ!」
半泣きで縋りついてくる若手騎士を見て、トーマスは「はぁぁ……」と盛大なため息を吐き出した。
――数分後。
トーマスはなぜか取調室で、無駄に明るい笑みを浮かべた容疑者の冒険者三人組と向き合っていた。
頬杖をつき、気だるげに一言、質問を投げかける。
「で? お前ら……あの騎士を殺した犯人なのか?」
「違いまーす!」
即座に、フィオナが元気いっぱいの笑顔で答えた。
「そうそう。事件があった時間、俺たちは東の森で討伐に出てたんだぜ」
フォーリーが胸を張る。
「ええ……冒険者ギルドに薬草の納品記録も残っています。照会していただければすぐに証明できるはずです」
ハーランドも冷静に付け加えた。
トーマスは頬杖をついたまま、まばたきを二回ほどした。
「あっ、そ。……じゃあ、釈放」
「え、ちょっ、ちょっとトーマス隊長!? 一応、彼らの宿屋の部屋から『遠距離武器』が押収されているんですよ!?」
焦った会計係の若い騎士が、横から割り込んで詰め寄ってくる。
「あ? そうなの? じゃあそれ見せて」
しばらくして、厳重に布に包まれた木製の構造物が取調室へと運び込まれてきた。
机の上に置かれたそれを見下ろし、トーマスはまたしても、本日最高記録となる深々としたため息を吐いた。
冒険者三人が固唾をのんで見守る中、トーマスは指先でその木枠を突いた。
「お前ら、バカだなぁー。これ、野ウサギとかを捕まえるための小動物用の罠だぞ?」
「え? ええっ!? わ、罠!?」
第一騎士団の若手が、素っ頓狂な声を上げた。
だが、トーマスの目にはどう見ても「それ」にしか見えなかった。
門の前で元騎士団長のベン・ファルコーネがドヤ顔で野ウサギを引っ捕らえていた、あの不格好な木製の仕掛けと全く同じ構造だったのだ。
「そうだよ。この木製の板バネにワイヤーを這わせて、ここに餌を置くんだ。獲物が踏み込んだ瞬間に足を締め上げる仕組みだな……」
スラスラと構造を解説するトーマス。
――確かに、トーマスの洞察は間違っていなかった。
孤児のアントニオが焼け跡から掘り起こしたクロスボウの残骸を、ルイスの助言のもと小動物用の罠へと強引に改造した代物。それがこの「押収品」と酷似していたのだから……。
「というわけで。疑いは完全に晴れたな。三人とも釈放だ」
トーマスの一存で、あっさりと決定が下された。
しかし、納得のいかない会計係の若者が、気まずそうに口を開く。
「あ、あの……その……彼ら、本日朝の『処刑執行申請』が、すでに上層部へ提出されていまして……」
「なんだって? ……あー。なら、まあ、書類上はそのまんまにしとくしかないな」
「は!?」
「いや、だってさ。今から憲兵総監のところに行って『すみません、あれ手違いだったんで処刑申請を取り下げてください』って、お前言えるか?」
「…………無理、ですね……」
「だろ? 俺だって嫌だもん」
お役所特有の「面倒な手続きを回避したい」という現場担当者たちの事なかれ主義が、実に見事に噛み合った瞬間だった。
かくして、大騒動となった「騎士殺し事件」は、当事者不在のまま、この上なく不条理に幕を閉じたのである。
『居酒屋領主館2』書籍予約開始! &コミック第一巻も予約開始!!
ぜひ、TOブックスさん公式WEBで、チェックしてみてください!




