42.終血と、仕事
「ガハッ……ぐはっ……!?」
喉の傷口を押さえながら、マグナス・クレイマンは大量の血を床へ吐き散らした。
指の隙間から勢いよく噴き出る赤い出血をどうにか止めようと、必死に喉元を圧迫する。
四つん這いになり、這うようにして立ち上がろうとするが、激痛と失血で膝が笑い、盛大によろめいて床に片手をついた。
その度に、足元の上質な絨毯が鮮血に染まっていく。
「ぐ……っ! ル、ルイス……た、助けろ……! 頼む……ガハッ!!」
顔面から急速に血の気が引き、土気色へと変わっていく。
ついには支えを失い、マグナスは仰向けにドサリと倒れ込んだ。
虚ろな瞳で天井を見つめたまま、喉の奥からヒューヒューと細く湿った喘鳴を繰り返す。
「……ぐ……し、死にたく……ない……。ああ、父上……酷すぎます……っ。だって、いつも兄上と僕を比べてばかり……ガハッ……!」
うわ言のような言葉が、途切れ途切れにマグナスの口から漏れ出す。
死の淵で吐き出されるその身勝手で惨めな妄執を、ルイスはただ静かに、無言で見下ろしていた。
マグナスはさらに血を「ぶふっ!」と霧のように口から吹き出させながら、血塗られた両腕をゆっくりと天井へ伸ばし、幻覚を追うように言葉を紡ぐ。
「……あ、ああ……兄上、違う! 違うんです……っ! まさか、あんなことになるなんて……思いもしなかったんだ……! 違う……違うんだ、僕は……っ……」
それが、彼の最期の言葉だった。
虚空を彷徨っていた両腕から、すとんと力が抜け落ちる。
荒かった呼吸が止まり、見開かれた瞳から残光が消え去った。
「……なんだか、この人も……可哀想な人だったのかなぁ……」
ぽつりと、ルイスが溢した。
「でも。自分のために悪いことを平気でやるようになったら……それはもう、人間じゃないよね」
寂しげに呟くと、ルイスはしゃがみ込み、見開かれたままのマグナスの瞼をそっと指先で閉じた。
わずかな感傷を胸にそっと胸の前で手を組み、静かに鎮魂の祈りを捧げる。
――祈りを終えると、ルイスは即座に思考を切り替え、行動を開始した。
窓辺に歩み寄ると、重厚なカーテンを外す。それでマグナスの遺体を手際よく包み込むと、部屋の隅の方へと滑らせて寄せた。
続いて、窓を大きく押し開ける。
夜風が吹き込む闇に向かって、ルイスは指を咥え、「ピューいぃぃぃ――っ!」と甲高い指笛を鳴らした。
直後――。
――ヒュルルルルルルッ!!
鋭い風切り音が、夜の静寂を切り裂いてルイスに向かって超高速で接近してきた。
それをルイスは、凄まじい動体視力と集中力でパシッ! と素手で完璧にキャッチしてみせる。
捕まえたのは、一本の木製の矢。
その末端には、頑丈な細いロープがしっかりと結びつけられていた。
ルイスはそのロープを掴んだまま扉へと駆け寄ると、頑丈なドアノブに固く固く縛り付ける。
結び目を確認し、二度ほどグッグッと引っ張って強度を確かめた。
窓の向こう、闇の奥に潜む誰かがロープの反対側を引き、ピンと一直線に張られる。
すると――。
シューーーーッ!!
ロープが震え軽快な滑空音が近づいてきた。
暗闇の向こうから飛び出してきたのは――。
「きゃっハッハッハ! すごーい、はやーいっ!」
「おっとっと! 最初はミュイちゃんかぁ!」
飛び込んできた小さな身体を、ルイスが優しく受け止めた。
ロープに木製ハンガーを引っ掛け、ジップラインの要領で窓からダイブしてきたのは、エルフの幼女ミュイだった。
続いて――。
「兄貴〜っ! 来ましたぜぇぇー!」
「やあ! アントニオ君も、悪いね~!」
孤児たちのリーダー格であるアントニオも、慣れた手つきでハンガーを滑らせ、見事な突入を敢行してきた。
「俺たちも『第三勢力』の一員ですからね! これくらい朝飯前っすよ!」
目を輝かせて胸を張るアントニオ。
「あっはっは……」
ルイスからは乾いた笑いしか出てこない。ロザーナに適当についたはずのハッタリ設定が、いつの間にか孤児たちの間でも完全に定着してしまっていた。
さらに、窓から滑り込んできた直後、ゴロゴロと見事な受身をとったものの、勢い余って仰向けにゴテン! と床へひっくり返った少女が一人。
「あ、ココちゃん、大丈夫?」
「……目が、回った……」
目がグルグルして動けないココにルイスが手を差し伸べ、ゆっくりと起こしてあげる。
そこから先は、まさに怒涛のラッシュだった。
次から次へとロープを滑り、窓から室内へ踊り込んでくる孤児たち。
「いよっと!」
「ほいっ!」
気がつけば、部屋の中には総勢十五名にも及ぶ精鋭部隊が集結していた。
もっとも、何の精鋭部隊かと言えば――。
「よ~し! 全員整列っ!」
「「「はいっ!!」」」
ルイスの号令一発で、子供たちは軍隊顔負けの見事な動作で横一列にビシッと並んだ。
「では、アントニオ君! 我ら『ルイスのお掃除部隊』、信条その一っ!」
「はいっ! 信条その一! 俺たちはよく遊び、よく食べ、よく寝ます! お仕事は二の次三の次!!」
「よし! その通りだ! 仕事なんて遊びの延長だからね〜、素晴らしいぞ! さあフランク君、次はっ!?」
「はいっ! 俺たちは仕事を選びます! やりたくない仕事は、きっぱりと断ります!」
「そうだ! その通りだぞ~! 無理して嫌なことをやる必要なんてないからね! よし、ミュイちゃんも言えるかなぁ?」
「はーい! 私たちは……えーっと? あれ? なんだっけ……あ! がんばりますっ!」
「よ〜し、可愛いぞ! 百点満点だ!」
「ルイス、私も……私も言う……」
隣でココがぴょんぴょんと跳ねながら、自分をアピールしてくる。
「え? まだ何かあったっけ……? まあいいや。ココちゃん!」
「……お仕事、頑張りますっ!」
「…………もしかして、可愛いって言われたかっただけ?」
「ミュイだけ、ずるい……」
むくれるココの頭をルイスが撫でてやるという、極めて平和で微笑ましいやり取りが繰り広げられていた、その時。
「あ、あっ……!? うわあっ、これ……止まれ、ないぃぃっ!?」
ワタワタとロープを滑り落ちてきて、そのまま盛大にドスン! と床へ尻もちをつく大人の女性が一人。
「あ、ローズマリーさん……。すみません、忘れてました……」
ボサボサの髪を揺らしながら悶絶しているのは、暗殺者ギルドの誇る『掃除屋』ローズマリーだった。
「いててて……っ。ルイスさん、ひどいですぉ〜……! 私、身体を動かすのは本当に苦手なんですからねっ!」
とんがり口で不満を露わにし、恨めしげな視線を向けてくるローズマリー。
「すみません、本当に……」
苦笑しながら手を貸し、彼女を引っ張り起こす。
そうして気を取り直したルイスは、パンッ! と部屋中に響く大きな拍手を打った。
「さて! お掃除の時間です! みんなでこのお屋敷をピカピカにしましょう!」
「「「おー――――っっ!!」」」
血生臭い暗殺現場とは思えぬ元気いっぱいの歓声を上げ、孤児たちが一斉に拳を突き上げたのだった。




