41.ホンモノの強さ
「ハッ……!」
第一騎士団長マグナス・クレイマンは、弾かれたように跳ね起きた。
どうやら、執務デスクに伏せたまま意識を失うように眠ってしまっていたらしい。
目頭を強く押さえ、重く濁った意識を強引に切り替えようと息を吐く。
カーテンにはは、毛羽立ったような不吉な月明かりが二つ。
室内を照らすのは、壁に取り付けられた最低限の魔導灯のみ。
ふと、肌を刺すような強烈な違和感を覚え、マグナスはゆっくりと部屋の扉へと視線を向けた。
そこには――影のように佇む、誰かがいた。
しかし、なぜだろうか。マグナスに驚きはなかった。
闇の中に浮かび上がる黒髪と、冷ややかな雰囲気を纏ったその人物が「誰」なのかを、瞬時に察してしまったからだ。
「……ルイス……か。外の警備の二人はどうした?」
一歩、前へと歩み出たルイスの右手。握られたナイフの刃先からは、黒ずんだ液体がポタリ、ポタリと床へ滴り落ちていた。
「貴様……。どういうつもりかは知らんが、こんな暴挙を犯して、この帝都で生きていけると思っているのか……?」
マグナスは脳裏を激しく灼く激情を強引に押し殺し、静かに、そして威圧するように立ち上がった。
当のルイスはといえば、呆れたようにため息をつくと、ナイフの汚れを布で綺麗に拭き取り、そのまま懐へと収めた。
そして、マグナスの威圧など意にも介さず、悠然と壁際へ向かって歩き出す。
そこに飾られた、数々のコレクションを見上げた。
「へぇ~、マグナスさんも剣を集めるのが趣味なんですか。意外と気が合いますね~」
まるで友人の部屋にでも招かれたかのような、緊張感の欠片もない軽い言葉。
「貴様のような薄汚れた暗殺者など、一生かかっても買えんような一級品ばかりだ。うかつに触るな……」
マグナスの声に、鋭い殺気が混じる。
「あはっ! えっ? これが一級品ですって? 冗談はよしてくださいよ。拵えだけは無駄に豪華に造ってありますけど……これ、ただの粗悪品ですよ?」
「……なんだと?」
「見て分かりませんか? 刃の波紋がだらしなく流れてる。……ああ、こっちのもちょっと酷いですねー。銘が打ってあるみたいですけど、精巧なだけの贋作かなぁ~」
ルイスは壁沿いに横移動しながら、鼻で笑うようにマグナスの自慢のコレクションを次々と品定めしていく。
「貴様ごときに剣の真贋など分かってたまるか!! デタラメを吐くなっ!」
ついにプライドを打ち砕かれたマグナスが激怒の声を上げた。
「じゃあ……試してみます?」
ルイスは壁に飾られていた一振りを無造作に引き抜くと、マグナスに向かって投げ渡した。
ガシッ! とそれを空中でき然と受け止めるマグナス。
ルイスもまた、壁からもう一振りの大剣を手に取り、柄を握る。
「いきますよ!」
掛け声は、たったひとつ。
マグナスが息を吸い込むその刹那――彼の目の前に、突如としてルイスの無邪気な笑顔が迫っていた。
「っ!?」
思考よりも速く、体が反射的に動く。マグナスは大剣を鞘から引き抜き、全力で眼前へ振り下ろした。
――ガシャンッ!!
激突した刃が、甲高い音を立てて木っ端微塵に砕け散った。
「ほらね? クズ鉄を鋳溶かして打った、安物の合金でしょう?」
ふと気づけば、ルイスはまたしても部屋の中央へ、何事もなかったかのように戻っていた。
マグナスは、柄だけを残して刀身が消し飛んだ物を握る右手が、激しく痺れていることに気づく。
「……なんだ、その身のこなしは? 貴様……剣まで使えたのか……!?」
「え? ええ、まあ。爺ちゃんとの模擬戦はいつも木剣でしたしね」
「わけが分からん……! 貴様、一体何者なのだ……!?」
マグナスの胸の奥底に、底知れぬ恐怖の冷気が走り始めた。
「ただの……冒険者になりたいだけの、刃物好きで本好きな人間ですが?」
「そんなわけがあるかぁぁぁッ!!」
マグナスは手に残った柄を、床へ力任せに投げ捨てた。
「こっちも、試してみます?」
ルイスはまたしても壁から優美なサーベルを抜き取ると、マグナスへ向けてひょいと投げ渡した。
「いきます!!」
マグナスは目の前のデスクを蹴り飛ばし、サーベルを両手で構えた。
「ど、どこだッ!?」
視界から、ルイスの姿が完全に消え去っていた。
「こっちですよ!」
――右!
マグナスは叫び声のした方角へ、横一文字にサーベルを薙ぎ払った。
しかし――刃は虚しく空を切る。
そこにルイスの姿はない。
「ほら、よく見てください。無理に引き抜いたから、刃が曲がっちゃってるでしょう?」
いつの間にか、ルイスはまたしても部屋の中央に涼しい顔で立っていた。
マグナスは慌てて手元を見下ろす。
確かに、豪華な装飾が施された細身のサーベルは、根元からわずかにグニャリと歪んでいた。
それを、マグナスは震える手で床へ投げ捨てた。
「……く、クックック……アッハッハッハッハッハ! ルイス君、最高だよ! まさか君がこれほど強いとはな!」
半ば狂気じみた高笑いを上げるマグナス。
「どういたしまして……」
「ルイス君っ! 私の直属の部下になれ! そうすれば金も、地位も、女も、お望みのもの全てを保証してやる! 私と共に、この狂った帝国に正しき秩序をもたらそうではないか!!」
熱っぽく拳を握りしめ、青筋を立てて熱弁を振るうマグナス。
しかし、ルイスは心底不思議そうにキョトンとした顔を浮かべた。
「えっ? お断りしますよ?」
「なん、だとっ……!?」
「だって、騎士は確かにちょっと憧れますけど……それより冒険者の方が断然カッコいいですし。それにね、マグナスさん」
ルイスは一度言葉を切り、床に転がった折れた刀身を慎重に拾い上げた。
「――爺ちゃんが、よく言っていたんです。『まずは、本物を見分けられる目を持て』って。……ホンモノを見る目がない奴は、その心も空っぽのニセモノなんだ、ってね」
「貴様ぁ……私を、この私を侮辱する気かッ!? 名門騎士爵家に生まれ、この最高峰の地位に上り詰めた私を! 貴様のようなゴミの分際でッ!!」
ルイスは、心底失望したように深く肩を落とした。
「あのねぇ、マグナスさん。人は生まれた家や地位で生き方が決まるわけじゃないんですよ……」
「黙れっ! 持たざる者の虚しい詭弁など聞きたくもない!」
「何も持っていなくたって……たとえ親がいなくたって、家がなくたって。……人は、生きる意思さえ持ってさえいれば、何者にだってなれる。……そう書いた偉人がいましたねぇ〜」
「何が言いたいッ!」
「まあ、つまり……そんな"空っぽな貴方"に仕えるなんて、死んでも御免ですよ」
そして、ルイスのへらへらとした笑みが、すーっと潮が引くように消え去った。
瞬間、部屋全体の空気が凍りつくほどの強烈な殺気が、彼の全身から溢れ出す。
「やはり貴様は生かしておけん……! 殺す! 暗殺者ギルドもろとも叩き潰してやる! あの宿屋の小娘も、あの生意気な武器商人もなァッ!!」
狂乱したマグナスは、椅子に立て掛けられていたショートソードをひったくり、鞘から一気に引き抜いた。
その刃が放つ、質実剛健で研ぎ澄まされた鈍い輝きを見て、ルイスの瞳がわずかに揺れた。
「あっ。やっとまともな剣が出てきましたね~」
「黙れッ! これは……支給品だッ!!」
それが、開戦の合図だった。
ルイスは壁から適当なショートソードを手に取ると、目にも留まらぬ速度で床を蹴り跳躍した。
マグナスもまた、長年の経験による直感だけでそれを迎撃する。
ガチンッ――!!
刃と刃が激しく打ち合い、火花が散る。
マグナスは咄嗟に、ルイスの右腕を力任せに掴み取った。速さでは絶対に勝てない。ならば、純粋な筋力で押し切るのみ。
「獲ったぞッ!!」
マグナスは左手で腰から――以前ルイスから押収した、あのナイフを引き抜いた。
そして、動けないルイスの細い首筋を目がけ、全体重をかけて突き刺す!
――勝った。
そう確信したマグナスの視界で、信じがたい光景が起きた。
「んぐっ!」
――ガシッ!!
あろうことかルイスは大口を開けると、迫り来るその鋼の刃を、己の『歯』でガチリと噛み止めてしまったのだ。
「なっ……!?」
格式も理性も皆無な、野生の獣そのものの戦法に、マグナスの思考が完全に停止する。
その一瞬。
マグナスの網膜に映ったルイスの瞳が――人間のそれではなかった。
瞳孔が縦に鋭く裂け、妖しいエメラルド色の光を放っている。まるで、古代の龍が眼前の獲物を睨みつけているかのように。
スッ……と、マグナスの背筋を、本能的な死の恐怖が駆け抜けた。
この硬直状態をどう脱するべきか――そう思案するよりも疾く、ルイスが動いた。
ルイスの左手が滑るように胸ポケットへ向かう。
そこから取り出されたのは、一本のペン。
親指でパチンッ! とキャップが弾き飛ばされると、そこから現れたのは、鋭利に研ぎ澄まされた銀色の、細い刃だった。
「グゴッフッ!!?」
マグナスの首筋深くに、そのペン型仕込みナイフが容赦なく突き刺さった。
マグナスの口の端から、ドロリとした鮮血が溢れ出す。
「……うん。まあ、マグナスさん。なかなかお強かったですけど。そんなんじゃあ、ウチの爺ちゃんには勝てないですね~」
ルイスが、いつもの朗らかな笑顔を浮かべた。
そして――左手を容赦なく横へと振り切る。
「ガァァッ……!?」
頸動脈を深々と切断されたマグナスは、凄まじい勢いで噴き出す血を手で必死に押さえ込みながら、膝から崩れ落ちるしかなかった。




