40.血風の夜
マグナス・クレイマン邸宅の広大な庭園。配備された騎士たちの間には、冷ややかに弛緩した空気が流れていた。
「……はぁーあ。俺たち、ホントにこんなトコで見張りやる意味あんのかよ」
「襲撃者に備えよ、だろ? ったく、騎士団長様を直々に殺しに来るバカがどこにいるってんだ」
「だよな。それにしても……団長も案外臆病なトコあんだな」
「おい、やめろって。聞こえたらお前も一発で門番行きだぞ……」
邸宅の外壁を背に、一応は剣の柄に手をかけて警備の体裁を取り繕ってはいるものの、緊張感など微塵もない。殺害予告などどこぞの嫌がらせに決まっていると、五人の騎士全員がタカをくくっていた。
「……しかしなぁ、あの宿屋の看板娘、いいケツしてたよなぁ」
ひとりが卑しい笑みを浮かべて下腹部を擦る。
「へっ、お前あんなガキが好みかよ?」
「なんなら、適当な罪でもでっち上げてさらって来ちまうか? どうせあの宿屋もギルドの息がかかってんだ、いくらでも言いがかりはつけられるぜ」
「おお、そりゃあいい! 俺にもひと噛みさせろよ!」
ゲラゲラと下品な笑い声を咲かせていた、その時だった。
吹き抜ける夜風の中に、一筋の不快な湿り気が混じった。
「ん……? うわっ、クモの巣か!? クソッ、なんだよこれ……」
ひとりの男が、顔にまとわりつく鬱陶しい感覚に腕を振り払った。
「うわ! 俺のところにも……って、あれ? なんだこれ……?」
「あ、あれ……? 糸……?」
月明かりにかざした手指に、無数の極細の糸が絡みついていた。銀色に輝くそれは、蜘蛛の糸などではなく、冷たく研ぎ澄まされた極細の鋼線――。
「え――」
次の瞬間。
――ブシュウッ!!!
断末魔すら許されなかった。
一瞬にして五人の身体がサイコロ状に細切れとなり、鮮血の噴水が邸宅の真っ白な外壁を赤く染め上げた。
青々と茂る芝の上には、もはや誰のどこであったかも判別できない無数の肉片が、湿った音を立てて転がり落ちる。
月光を背に、塀の上にふわりと舞い降りた小柄な少女が、苦々しげに吐き捨てた。
「チッ……誰がガキよっ! あんたらは地獄で悪魔のケツでも追っかけてなさい!」
夜風に揺れるポニーテール。宿屋の看板娘にして、裏社会にその名を轟かす暗殺者――『スパイダー・リリィ』は、月夜に冷たい瞳を光らせた。
一方、邸宅の内部では、外で起きた静かな惨劇に誰一人として気づいていなかった。
一階奥の間。
窓一つない重厚な石造りの小部屋には、囚われたフィオナたち三人の冒険者が監禁されている。
その重々しい鉄扉の前に、二人の騎士が暇潰しのように立っていた。
「おい……中にいるあの女冒険者、俺たちも楽しませてもらえるんだよな?」
「当たり前だろ。どうせ最初はマグナス団長だろうが、その後はおこぼれに預かれるさ」
「ひひっ、お前、あんまり首は絞めるなよ? いつぞやスリをやらかした女も、お前が加減間違えて殺っちまったろ」
「ケッ、どうせ明日になりゃ広場で首を跳ねられる連中だ。今さら何をどうやったって構いやしねえよ……」
下劣な妄想に花を咲かせる男たち。
そのうちの一人が、何気なく廊下の奥へ目を向けた。
石造りの廊下の角、薄暗い影の中から――静かに滲み出てくる『漆黒の存在』に気づいた。
「っ……おい、誰だっ!? 貴様、どこから入った!!」
騎士は瞬時に身を翻し、腰のショートソードを一気に引き抜いた。
「――ありがとう。そう言わせてもらおうかしら」
静寂を破ったのは、凛とした透き通るような女性の声だった。
「騎士である者を斬ることには、わずかながら抵抗があったのだけれど……今の話を聞いて、綺麗さっぱり消え失せたわ」
一歩、また一歩と優雅な足取りで前へ進む。
廊下に掲げられた魔導灯の淡い光が、その姿を克明に浮き彫りにした。
息をのむほどに、異様で、そして美しかった。
目元を神秘的な漆黒の仮面で秘め、身体のラインに吸い付くようなブラック・ドレスと黒鉄の軽甲冑。
女はシャラリ……と音を立てて、腰のショートソードを抜いた。銀色の刃には、魔導技術による妖しい紫色の波紋が揺らめいている。
「き、貴様が襲撃者か!? なんだそのふざけた格好は!」
「お、おい、俺たちをバカにしやがって! おとなしく投降しろ女! さもなくば苦しんで死ぬことになるぞ……!」
腰を落とし、殺気を放って構える二人。
対するドレスアーマーの女は、剣先を斜め下に向け、悠然と囁いた。
「……これから死にゆく者に、わざわざ名乗る義理もないのだけれど。様式美として言わせて頂くわ」
「……は?」
女はマントを優美に翻すと、胸の前で腕と剣を交差させ――朗々と叫んだ。
「我こそは闇に潜み、悪を狩る――正義の暗黒姫騎士であるっ!!」
ビシッと、どこか独特な……悪く言えば絶妙にダサい決めポーズをバシッと固定する自称・暗黒姫騎士。
「…………」
「…………」
静まり返る廊下。
騎士二人は思わず構えをといたまま、かける言葉を失って無言になった。
「な、なによその微妙な反応はっ!? せっかく考えた決め台詞とポーズなのよ、それはないでしょう!?」
「わけわかんねーこと言ってんじゃねえよバカ女がぁぁッ!」
「さっさとひん剥いて丸裸にしてやるぜ!!」
恥ずかしさに顔を赤くした(仮面で見えないが)ロザーナに対し、痺れを切らした二人の騎士が一気に間合いを詰めて突進した。
暗黒姫騎士――ロザーナはヒラリと軽やかに身を翻した。
漆黒のマントが視界を遮り、一瞬にして騎士たちの目の前からその姿が消える。
構わず、囲んでしまえばいい。
そう思った二人は同時に剣を振りかざし、叩きつけようとした。
しかし――
「がはっ……!?」
一人の喉仏に、閃光のような突きが深々と突き刺さった。男は目を見開き、血反吐を撒き散らして崩れ落ちる。
「クソがぁぁぁぁ、なにしてくれてんだっ!!」
残された男が狂乱状態で横一文字に剣を薙ぎ払う。
「ふんッ!!」
ロザーナは逃げず、正面から受け止めた。
――キィィィィン――ッ!!
甲高い金属音が廊下に響き渡る。
「ガ、ハッ……!?」
次の瞬間、男の肋骨の隙間を、ロザーナの持つ漆黒のショートソードが容赦なく斜めに切り裂いていた。
コトリ、と音がして、『何か』が落ちる。
それは、刃。
震えながら、男が自分の手元を見下ろすと、そこには柄の部分しか残っていなかった。自慢の鋼の刀身が、根元から綺麗に切断されていたのだ。
「……な、なんだ……その……剣は……」
それが男の遺した最期の言葉だった。大量の血だまりの中へ、力尽きた騎士が倒れ伏す。
暗黒姫騎士ロザーナは、至高の魔剣から、ヒュンッ! と手首の一振りに血を払い落とした。
「ふん……その程度で第一騎士団を名乗るとは片腹痛い。……ルイスさん。あとは頼みましたよ」
ロザーナは静かに振り返り、この上――二階の執務室で待つ真の元凶、マグナス・クレイマンと対峙する、愛する男の名を呟いた。




