39.二つの月
夜の静けさが街を包み込み始めた、浅い刻。
第一騎士団長マグナス・クレイマンは、帝都の閑静な高級住宅街に佇む自らの邸宅にいた。
「団長! 例の囚人三名、邸宅一階奥の間に移送完了いたしました!」
報告に訪れた部下の騎士が、直立不動で敬礼を捧げる。
「よし……。奴らの見張りは抜かりないな?」
「はっ! 常に二名を配置し、明朝の刑執行まで二交替制で厳重に監視させます」
「よかろう。外にも見張りを立てろ。最低でも五人だ。それと、私の執務室の前にも二人。いいな?」
「は、はっ! ……しかし、その。本当に今夜、襲撃などがあるのでしょうか?」
疑問を拭いきれない様子の部下に、マグナスは卓上の『それ』を忌々しげに指で弾いた。
「あるに決まっているだろう……! わざわざ、このような舐め腐った予告状を送りつけてきやがったのだからな!」
黒い封筒から取り出され、テーブルの上に叩きつけられた真っ白で上質紙だった。
そこに踊っていたのは、緊迫感の欠片もない、脱力感あふれる丸文字だ。
『どうもー。あなたが探している、ルイスで〜す。今夜、あなたを殺しにいくので、待っていて下さーい』
「これは……その。どこぞの子供の悪戯なのでは……?」
「ふん、ならば持ち場を離れて帰るか? 明日提出する君の勤務査定をどう書き換えるか、私の頭を悩ませてくれる気か?」
「い、いえっ! 滅相もございません! 直ちに配置につきます!」
青ざめた部下は身体を強張らせてきびきびと敬礼すると、逃げるように駆けていった。
部下が去った後、マグナスは重いため息を一つ吐き出すと、階段を上って二階の自室へと向かった。
部屋の扉を開けると、ひんやりとした静寂が満ちていた。
今夜の「迎撃」に備え、余計な目撃者となる使用人たちは全員、金を渡して家に帰してある。
本拠地である第一騎士団の庁舎で迎え撃つことも、一瞬は頭をよぎった。
だが、それでは都合が悪いのだ。
万が一、ルイスの身柄が第一騎士団ではなく、他の部隊――特に、あの特別捜査局(通称『猟犬』)の連中に押さえられでもしたら……。ルイスの口から「マグナスから受けた暗殺依頼」の全貌が自供される恐れがある。
自分の立場を利用してもみ消すことも可能ではあろうが、最近の『猟犬』どもは、そろそろこちらの言うことを聞かなくなってきている。
あそこには、いまだに青臭い正義感とやらを燃やしている不愉快な奴らが残っているのだ。
だからこそ、この自邸という閉ざされた空間で、秘密裏にルイスを処理するのが最善の策だった。
あとは罪人として囚えているあの三人の冒険者を、予定通り明朝公式に処刑してしまえば、すべての証拠と脅威は永遠に闇に葬られる。
と、それが、マグナスの描いた完璧な筋書きだった。
自室の壁には、趣味で集めた絢爛豪華な刀剣類がずらりと飾られている。
それ以外には余計な飾り気のない部屋だった。
重厚な木製のデスクが一つと、ビロードが張られた上質な椅子が一つ。
マグナスは椅子に深々と腰を掛けた。
「クソが……面倒なことになったものだ。あの子爵め、もう少し役に立つかと思っていたのだが……」
苦々しく吐き捨てる。
自分を第一騎士団長へと強力に推挙した貴族の顔が浮かんだ。
マグナスはデスクに置かれていた一枚の羊皮紙を持ち上げる。それは、あの子爵から格安で譲り受けた土地の権利証だった。
郊外の湖畔に位置する風光明媚な一等地。
だが、整備されていない悪路を馬車で向かうのが億劫になったという下らない理由で、子爵が手放したがっていたものを安く買い叩いたのだ。
いずれ、すべてがうまくいき、落ちついた頃、あの場所に豪勢な別荘でも建てようか――それが、近頃のマグナスの目下の夢。
譲渡された土地には、焼け落ちた古い邸宅が残っていたはずだが、それも『猟犬』に命じて綺麗に片付けさせている最中のはず……。
「ふん……俺がいなくとも勝手に仕事が回るようにしておかんとな。そのためにはまず、邪魔なゴミどもを綺麗に掃除することだ」
権利証を愛おしそうに眺めながら、マグナスは暗い悦に入って独り言ちた。
ふと胸騒ぎがして振り返り、重厚なカーテンにほんのわずかな隙間をつくる。
ガラス越しに仰ぎ見る夜空には、妖しく輝く二つの満月が浮かんでいた。
まるで、闇に潜む何者かの冷ややかな視線のように、静かな邸宅を見下ろしていた。




