38.ブラック・レター
静寂が支配する暗殺者ギルド。そこに集う者は、わずか四人しかいなかった。
カウンターの内側に静かに佇み、グラスを磨くこの場所の主――ヴィクター・アダムス。
カウンターの隅で、心底不機嫌そうに頬杖をつく少女リリィ。
そしてホールのテーブル席では、ルイスが女騎士ロザーナ・ベルトランと正面から対峙していた。
「……ロザーナさん。貴女にこんなことをお伝えしてしまって……本当にこれでよいのか、僕はまだ迷っているのですが……」
視線を泳がせ、何度も胸の前で手を組み替えるルイス。その様子は、重大な秘密を打ち明ける前の青年の苦悩そのものに見えた。
彼としては、自分が暗殺者であると明かすつもりは毛頭なかった。
だが、これから仕掛ける大仕事において、彼女の協力を得る以上、相応の理由と誠意を示さなければならない。
(……よし、いつもの"あの設定"だ……)
ルイスは意を決したように、重々しく口を開いた。
「僕たち――『第三勢力』の、次なる討伐標的は……」
ごくり、とロザーナの白い喉が小さく鳴った。
緊張が最高潮に達したその瞬間、ルイスは凛とした声で告げた。
「第一騎士団長、マグナス・クレイマンです」
「よし分かった。すぐに殺りましょう」
「早っ!!」
間髪を入れぬ即答に、ルイスは思わず電光石火の勢いでツッコんでいた。
まさか一介の清廉潔白な騎士である彼女が、ノータイムで暗殺計画に承諾――どころか、ノリノリで乗っかってくるとは夢にも思わなかったのだ。
「私個人としても、あの男のやり方には常々腹を立てていたのだ! 奴の行いは確実に『悪』……! 正義や、騎士の矜持など微塵もない! ならば、奴を討ち果たすことこそが絶対なる『善行』である!!」
ロザーナは拳を力強く握りしめ、目を輝かせて断言した。
そのやり取りをカウンター越しに眺めていたヴィクターが、可笑しそうにクックッと喉を鳴らし、手を打ち鳴らした。
「ハハハ、どうやら頼もしいお仲間が増えたようだね。ではルイス君、早速その麗しき姫騎士様に、例の『特別なプレゼント』をお披露目してはどうかな?」
「……え? あ、あの? プレゼント、ですか?」
急に振られたロザーナが、キョトンとした顔で首を傾げる。
すると、カウンター席からガタリと立ち上がったリリィが、冷ややかな視線で振り向いた。
「当然でしょ。いくらなんでも、その正義の騎士服のまま『騎士殺し』に参加させるわけにはいかないじゃない。……ほらルイス! もったいぶってないで、さっさとアレを持ってきなさいよ!」
鋭く促され、ルイスは「はいは~い」とそそくさとカウンターの裏へと駆け込んでいった。
そして数分後――ギルド内にロザーナの歓喜の悲鳴が轟いた。
「ふぉぉぉぉぉぉぉぅ!!?? な、なんですか……何なのですかコレはっ!?」
木製のマネキンに着せられて運び出されてきたのは、一言で言えば『極めて香ばしい雰囲気をまとった漆黒の装束』だった。
「ハッハッハ~! 凄いでしょ? これ、縫製工房と、ユーリーさんの工房との合作なんだ~!」
ルイスは鼻高々に胸を張る。
「こ、これを……この私が身に纏うというのかっ!? か、か、カッコいい……かっこよすぎる……っ!!」
ロザーナは全身を武者震いさせ、感極まった面持ちでその衣装を見つめた。
夜の闇に溶け込むような漆黒のドレスをベースとしつつ、目元を秘めやかに隠すスタイリッシュな仮面。最低限の動線を確保した、鈍い光を放つ黒鉄の軽甲冑。そして細い腰帯には、黒光りする禍々しくも豪華なショートソードが提げられている。
「……名付けて、『暗黒姫騎士装備』とのことよ……」
リリィが、どこか居心地悪そうに、またしても香ばしい名称を説明する。
「かぁぁぁぁぁぁぁぁっ……!!」
喉を鳴らすような奇声を発し、悶絶するロザーナ。
幼き頃に貪り読んだ英雄譚や禁断の異端小説――彼女の胸の奥底に未だ脈打つ『永遠の十四歳』の魂が、この完璧すぎる装束によって激しく燃え上がっていた。
「よかった~! そんなに喜んでもらえるなんて!」
純粋に嬉しそうなルイスの笑顔が眩しい。
その時、ヴィクターがカウンター越しに、一枚の紙をルイスへと差し出した。
「さて、ルイス君。お手紙の時間だ。哀れな標的に向けて、君の真心のこもったメッセージをしたためてくれたまえ」
「あー……これが、例の作戦ですね?」
ルイスはそれを受け取り、ゆっくりと頷いた。
「その通り。いやぁ……『ブラック・レター』を発行するなんて、一体何年ぶりのことかな……」
ヴィクターの愉しげな呟きは、未だに漆黒の衣装を撫で回して「くっ……右目が疼く……!」などと没頭しているロザーナの耳には、一切届いていなかった。
✢
――それから数刻の時が流れた、黄昏時。
帝都の第一憲兵騎士団庁舎の前で、団長のマグナス・クレイマンは不審そうに周囲を見回していた。
「……あの忌々しい冒険者どもは、一体どこへ消えたのだ?」
早朝から蜂の巣を突いたような騒ぎを起こし、庁舎を取り囲んで喚き散らしていた無頼どもが、今や綺麗さっぱり姿を消していた。街頭にはいつも通りの雑然とした人通りが戻っている。
夕闇が刻一刻と夜を連れてくる空の下、吹き抜けた冷たい風に、マグナスは小さく身震いした。
その時だった。
「おじちゃん……。これ、お届けもの」
背後から掛けられた幼い声に、マグナスは振り返る。
見下ろした視線の先にいたのは、十歳にも満たない小さな少女だった。
身なりは清潔で、物乞いの子供ではなさそうだ。色とりどりの布地を規則正しく繋ぎ合わせた、美しいパッチワークのローブを羽織っている。
「ん? 私に、かね?」
マグナスは片膝をつき、少女と目を合わせた。
「うん。そう……」
少女の手から渡されたのは、一輪の小さな花と、気味が悪いほど真っ黒な一通の封筒だった。
不審に思ったマグナスは、封筒を裏返してみる。しかし、差出人の名前も、家紋の蝋封すらも押されていない。
「君……これは、一体誰から頼まれたのだ――」
訊ねようとして再び視線を上げた瞬間、マグナスの言葉が凍りついた。
目の前にいたはずの少女の姿が、影も形もなく消え失せていたのだ。
慌てて立ち上がり、周囲の石畳を見回す。
だが、行き交う群衆の中に、あの少女の影はどこにも見当たらなかった。
沈黙の中、足元で痩せた一匹の黒猫が「ニャ~ン」と低く鳴き、マグナスの脚に体を擦り付けて通り過ぎていく。
冷たい夜風が吹き抜ける石畳の上で、マグナスは握りしめた『黒い手紙』を前に、ただ呆然と立ち尽くしていた。




