44.血の円卓
帝都の中心部、浮世の汚れを拒絶するかのように聳え立つ貴族街。
日中の光を浴びる豪奢な邸宅の周囲には、息が詰まるほどの物々しい警備体制が敷かれていた。
身の丈ほどもある重厚な長槍を携えた甲冑姿の騎士たちが、隙間なく塀を取り囲み、直立不動で周囲を睨みつけている。
その厳重な警戒線の内側――絢爛豪華な大ホールの中央には、巨大な円卓が鎮座していた。
そこに腰を下ろすのは、絢爛な衣装に身を包んだ貴族、帝国議会の有力議員、そして帝都の通商を牛掌する大商会長たち。
この会合に、公式な名称は存在しない。
ただ裏社会と政界の狭間で「サロン」とだけ呼ばれる、帝都のパワーバランスを暗躍によって制御する特権階級の秘密会議であった。
「第一騎士団長マグナス・クレイマンの突然の失踪……。これは一体どういうことだ?」
「失踪だけではない。奴の配下にいた精鋭騎士十数名までもが、跡形もなく姿を消したという……」
「噂では……例の『ギルド』が手を下したとも耳にしたが?」
「ほほぅ。どういうつもりなのかねぇ。あの虫ケラどもが、まさか革命の真似事でも始めようというのか?」
「……私の掴んだ情報によると。これはギルドの意思ではなく、あくまで『個人』からの依頼で暗殺者が動いたのだとか……」
「ふん、バカバカしい! たった一人の依頼のために、あのマグナス率いる第一騎士団の精鋭を壊滅させただと? 収支が合うはずがなかろう!」
「だが、動いたのはほんの数人の暗殺者だとも聞く。そして、その中心にいたのは……」
重々しく口を開いた男が、言葉を濁した。
「まさか……例の『怪物』か?」
その名が出た瞬間、広間に満ちていた喧騒が潮が引くように静まり返った。
あれは二ヶ月ほど前のことだ。
帝都の暗部へ、突如として正体不明の『怪物』が流れ着いたという噂が囁かれ始めたのは。
それ以来、特権階級の支配構造すら揺るがしかねない惨劇が、幾度となく引き起こされていた。
「『怪物』……ふん、その呼び名は少し古いな」
静寂を破り、年配の貴族が冷ややかに口を開く。
「なに? 古いだと?」
「ああ。私の配下が掴んだ最新の情報によれば、その者の二つ名は――『狩人』」
冷や汗を流しながら、男は声を潜めた。
「獲物を影から確実に射殺し、皮を剥ぎ取って跡形もなく解体する……まさに極悪非道の危険人物とのことだ……」
そのおどろおどろしい響きに、誰もが喉を鳴らした、その時だった。
ギィィ……と、重厚な広間の大扉が、何の前触れもなく滑らかに押し開かれた。
直後、軽快で朗らかな声がホールに響き渡る。
「やあやあ皆様。お揃いのようで結構なことですな」
優雅な足取りで滑り込んできたのは、老練な笑みを浮かべた男――巨大兵器商会を束ねる大商人、ユーリー・バウトであった。
円卓の席にいた一人の議員が、ぴくりと眉根を跳ね上げた。
「ユーリー殿……。貴殿は、このサロンからすでに脱退されたはずだが?」
「そうだ。もはや貴様の席など、ここには存在せん……」
向かいの大商会長も不快感を露わにして同調する。
だが、ユーリーは周囲の鋭い視線など路傍の石と同等と言わんばかりに鼻で笑い、上座の正面へと堂々と立ち塞がった。
「そうつれないことをおっしゃるな……。皆様がこうして真っ昼間から、養老院の茶飲み話のごとき会合に打ち震えている理由。それを親切に教えて差し上げようと、こうして馳せ参じた次第ですよ」
「――ユーリー・バウト! 貴様ッ、口を謹め!」
あからさまな侮辱と受け取った木っ端貴族の男が、顔を真っ赤にして激怒する。
「まあまあ、落ち着きなさい。……時に、ゾディアーク子爵」
ユーリーの細められた視線が、円卓の端に座る小太りの男を射抜いた。
「な、なんだっ!?」
唐突に指名された子爵が、ビクッと肩を跳ね上がらせる。
「あのマグナス・クレイマンを第一騎士団長という要職に強く推挙したのは……貴方だそうだな?」
ユーリーの冷酷な眼光が、子爵の眉心を貫く。
「あ、ああ、そうだ! 彼が優秀で忠実な男だと判断したまでのこと!」
「なるほど。……話は変わりますが、子爵が経営しておられる郊外の『孤児院』。最近はお変わりありませんかな?」
「は……? 何の話だ?」
「いえね……身寄りのない孤児たちを劣悪な環境に押し込め、まるで奴隷のように過酷な違法労働に従事させて小銭を稼いでいると聞き及びましたので」
「な、なんのことだかさっぱり分からんな! 言いがかりだ!」
「まあ、管理は雇った人間に丸投げで、現場のことなど露ほどもご存知ないようですな……。何人もの孤児が命がけで脱走したことすら、お気づきでないとは」
「な、なんだとっ! そ、そんなはずは……あ」
慌てて否定しようとした子爵は、自ら口滑らせた事実に気づき、青ざめて口を塞いだ。
「孤児院という福祉ビジネスには実に美味い利権が転がっていると……あのオズワルド・ブコナーに吹き込んだのも貴方でしょう?」
――ダンッ!!
子爵が激昂し、分厚いテーブルを全力で叩きつけて立ち上がった。
「だからッ! 知らんと言っているだろうが! 戯言も大概にしろユーリー!!」
「あの湖畔の別邸を、極秘裏に『プエルト商会』へ貸し出したのも貴方だ……。館が焼け落ちたとはいえ、万が一にも自分へと繋がる証拠が見つかっては困る。だからこそ――」
ユーリーは一度言葉を切り、深いシワの刻まれた目元を歪めた。
「――すべてを、マグナス・クレイマンに押し付けた。そういうことですね?」
「……っ! デ、デタラメだ! すべてお前の妄想ではないかッ!?」
子爵の必死の弁明に、円卓を囲む者たちの視線が冷酷な疑念へと変わっていく。
「真実は小説よりも奇なり……。ならば、その『妄想』とやらを、真実に仕立て上げてしまえばよいのですよ」
「貴様……一体何の話をして――」
「では、ご退場願いましょう。ゾディアーク子爵閣下……永遠に」
ユーリーがゆったりとした動作で、子爵の額へと人差し指を突きつけた。
次の瞬間――。
――ビシッ!!!
耳腔を切り裂くような極小の衝撃音が響き渡った。
ユーリーの耳元、わずか一センチの空間を鋭く掠め飛来したのは――漆黒の鉄矢。
「……は? え……?」
情けない声を漏らしたゾディアーク子爵の額のど真ん中に、いつの間にか黒鉄の矢深々とが突き刺さっていた。
子爵は白目を剥き、そのまま糸が切れた人形のように仰向けへと倒れ伏した。
ドサリと響く重い音。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――っ!!」
壁際に控えていた若いメイドから、絹を裂くような悲鳴が上がった。
「なっ……!? ユーリー・バウト! なんの真似だ貴様ぁッ!?」
大商会長が椅子を蹴飛ばして叫ぶ。
「まあまあ。そう慌てるものではない。これで厄介事は片付いたのだから……。おっと、席がひとつ、空いたようですな」
そう言いながら、ユーリーは倒れたゾディアーク子爵の椅子をひょいと起こすと、すぐ横にある遺体さえ意に介さず、そこに優雅に腰掛けた。
「お前……生きてここから出られると思うなよ……警護の騎士どもを呼べ――」
「ほう。やってみるかね? ……次に血に沈むのは……どちらかな?」
ユーリーは恐ろしいほど静かに、今度は叫んだ商会長の額へ人差し指を向けた。
「っ――!?」
息を呑み、商会長の顔からスーッと血の気が引いていく。ガタガタと膝を震わせ、諦め、ドカリと椅子へへたり込んだ。
「さて。本日、料理は運ばれてくるのかな? 色々と根回しをしていたら昼食を逃してしまってね……腹が減っておるのだ……」
帝都を裏から牛耳る重鎮たちを眼前に、ユーリーは何事もなかったかのように平然と言い放つ。
静まり返った広間には、もはや彼の暴挙を止める者など誰もいなかった。
「ふふふ、まあ、そう暗い顔をされるな。……私と、私の"お友達"の機嫌を損ねさえしなければ、皆様の安寧は保証しよう」
「貴様……あの『狩人』と繋がっているのか……?」
とある老貴族が、震える声で呟いた。
「繋がっているも何も……言ったでしょう、大切な『お友達』だと。いやはや……年甲斐もなく彼に感化されてしまってねぇ。もう一度、この帝都で大きな夢を見たくなってしまったのだよ!」
それは、かつて帝都の闇を統べた伝説の大物が、表と裏の政局への完全復活を告げる静かなる宣言だった。
ユーリーは、外の庭園でパニックを起こして走り回る騎士たちの騒乱を映す、巨大なガラス窓へと視線を向けた。
そこに穿たれた矢痕。その小さな穴の直線の向こう――遥か彼方に、霞んで見える古びた廃教会の鐘楼があった。
「……超遠距離狙撃、最長新記録おめでとう……ルイス君」
その密やかな呟きは、あまりに小さく、誰の耳に届くこともなく午後の光の中に消えていった。




