35.正当な依頼人
木漏れ日が差し込む穏やかな野営地に、突如として甲高い悲鳴が響き渡った。
「ルイスさん! 大変です! 大変なことがっ!!」
芝生を蹴立て、転がるような勢いで走ってくるのは、縫製工房を手伝う少年のフランクだった。
あまりの焦り様に、脚がもつれ、転倒寸前の有様だ。
「ん……どしたの〜?」
ゆらゆらと揺れるハンモックの上。日記をしたためていたルイスは、どこまでも呑気な声を返した。
「さ、さっき! 僕、見ちゃったんです! フィオナさんたちが憲兵騎士団に捕らえられて、連れていかれるのを!!」
「はぁぁっ?! ちょ、なんで……って、うわっ!?」
慌ててハンモックから這い出そうとしたルイスは、見事に体勢を崩し、盛大に顔面から地面へベチャっと突っ込んだ。
「ぶはっ……! な、なんでいきなり憲兵騎士団に捕まるのさ!?」
「き、騎士殺しの犯人だって、街の人たちが噂してました! 三人とも縄で縛られて……!」
顔を泥だらけにしたルイスに、フランクが必死の形相で縋りついてくる。
「そんな……っ! フィオナさんたちがそんなこと、するわけないじゃないか!」
「部屋からクロスボウが見つかったって……! 先日、腕を撃たれて首を斬られて死んだ騎士がいたでしょう? あれの犯人がフィオナさんたちだって……皆、そう言ってるんです!」
「っ――!?」
その言葉を聞いた瞬間、ルイスの瞳孔が限界まで見開かれた。
(ちょっと待って……それって……僕とマリアさんが……)
喉まで出かかった言葉を、ルイスは喉奥で強引に飲み込んだ。
間違いない。
その騎士を仕留めたのは、ルイスとマリアだ。つまり、フィオナたちにかかっているのは完全な濡れ衣だ。だが――この帝都において未知の遠距離武器である「クロスボウ」という知識を、彼女たちに持ち込んでしまったのは誰だ?
「……僕のせいだ……」
背筋に冷や汗が伝う。
胸を押し潰すような罪悪感に、ルイスは呼吸を忘れて立ち尽くした。
「チッ」
すぐ近くの石窯で、小さな子供たちとパンを焼いていたリリィが、不機嫌そうに舌打ちを鳴らすのが聞こえた。
「ルイスさん……っ! このままじゃ三人とも処刑されちゃいますよ! 騎士殺しなんて罪、本気でヤバいですって!!」
「うん……。僕、ちょっと街の様子を見てくるよ。ヴィクターさん……いや、ロザーナさんにも話を聞いて……」
青ざめた顔のまま、ルイスがふらりと立ち上がろうとした、その時だ。
「ルイス!」
リリィが額の汗を袖で拭いながら、力強い足取りで歩み寄ってきた。凛とした眼光でルイスを射抜く。
「街中に戻るなら、せめて変装くらいしなさいよ。それと、武器は一切持っていかないこと。いつものナイフもダメ。絶対に慎重に動きなさい」
「う、うん……。ありがとう、リリィちゃん」
「勘違いしないで。アンタの心配をしてるんじゃないわ」
感謝を口にしたルイスに対し、リリィはフンと鼻を鳴らして視線を逸らした。そしてさらに言葉を紡ぐ。
「もしアンタまで捕まったら、この子たちはどうすんのよ。もう……アンタひとりの体じゃないのよ」
不器用な言い回しだが、そこには確固たる決意と優しさが込められていた。
言葉を噛み締めながら自室の小屋へと戻ったルイスは、胸元からいつも愛用しているナイフを抜き、壁のフックへと掛けた。
代わりに、普段の軽装を脱ぎ捨て、上質な仕立ての召し物に袖を通す。
さらに植物性のオイルを手に取り、無造作な黒髪を撫でつけ、完璧なオールバックへと固めた。
鏡を覗く。そこに映るのは、冴えない若者ルイスではない。
いかにも金持ちそうな面持ちを浮かべた偽りの姿――『ルーファス』だ。
ベッドの底を覗き込み、黒鉄のクロスボウが眠る黒いバッグがあることを確認する。
武器の持ち込みは不可。リリィの忠告を守るべきだ。第一騎士団の連中に鉢合わせし、身体検査でもされようものなら、ナイフ一本でどんな言いがかりをつけられるか分かったものではない。
――だが。
ルイスはほんの少しだけ躊躇うと、机の上に転がっていた小さな「ペン型仕込みナイフ」だけを取り、胸ポケットへと静かに挿し入れた。最低限の、けれど確実な牙だ。
その時、屋外から嘶く馬の声と、重厚な車輪の音が聞こえてきた。
カーテンの隙間から外を覗くと、そこには豪華な馬車が佇んでいた。事態の異常さを察知したユーリー・バウトが、駆けつけてくれたのだ。
ルイスは勢いよく小屋の扉を押し開けた。
「ユーリーさん! 来てくれたんですか!?」
「ああ、遅くなってすまない……。まさか、向こうがこれほど苛烈な手段に出るとは私と思わなかった」
「本当に……本当にフィオナさんたちが捕まったんですか!?」
「残念ながら事実だ。現在、冒険者たちが騎士団庁舎の前に集結し、激しい抗議活動を繰り広げている。正面から乗り込むのはあまりに危険だ」
「じゃあ……僕は、どうすれば……!」
不安に押し潰されそうなルイスに、ユーリーは静かな眼差しを向けた。
「私に考えがある。とにかく、乗りなさい」
「待ちなさい! 私も行くわ!」
リリィがエプロンを放り投げながら駆け寄ってくる。
「ルイスの兄貴! 俺も行きます!」
孤児たちを束ねるアントニオも、拳を握りしめて後に続いた。
「すまないが……みんなには、別の『大変な仕事』を手伝ってほしいのだ」
ユーリーは馬車のステップから降り立つと、少年を止めるように手をかざした。
「今夜、またここへ戻ってくる。それまでにしっかりと身体を休め、準備を整えておいてくれないか?」
落ち着いた、しかし拒絶を許さないユーリーの声音に、いつの間にか集まっていた孤児たちが不安気にその顔を見上げている。
「……僕たちにも、何かできることがあるんですか?」
フランクが震える声を絞り出した。
「もちろんだとも。全員で力を合わせ、大切な"お友達"を救い出そうではないか」
ユーリーの目元に、深い思索のシワが刻まれる。その言葉には、不思議と人を安心させる絶対的な力強さがあった。
「わかりました……! いってらっしゃいです、ユーリー様、兄貴!」
アントニオが力強く頷き、声を張り上げた。
御者台に座るマリアが手綱を叩くと、馬車は荒れた道を滑らかに走り出した。
揺れる車内で、ユーリーは低く重い声で語り始める。
「マグナスめ……完全に焦ったな。犯人を挙げられなければ、自らの面目も立場も失う。おそらく、上から相当な大目玉を食らったのだろう……」
苦々しく、呆れたように吐き捨てるユーリー。
「ユーリーさん! フィオナさんたちは……無事なんですか!?」
焦燥感を抑えきれず、ルイスは身を乗り出した。
ユーリーは一瞬の間を置き、静かに告げた。
「……処刑は明日の朝。北門広場にて執り行われると、正式に告示された」
「なっ……!?」
リリィの可憐な顔が、怒りと驚愕で酷く歪んだ。
「なによそれ!? 早すぎるじゃない! まともな取り調べも裁定もすっ飛ばして、そんなことが許されるわけ!?」
「第一騎士団には、超法規的な特別裁定権限が与えられているのだよ。……そして、刑の即時執行権限もね」
「ふん……! どうりで、神様気取りで横暴がまかり通るわけね……」
正義や真実など、彼らの前では無価値だ。第一騎士団長マグナス・クレイマンが「黒」と言えば、素朴を絵に描いたような若者ですら黒い罪人へと仕立て上げられる。それが無実の人間の命を奪うことになろうとも、彼らは眉一つ動かさない。
「……僕たち暗殺者が直接動くことに、何か問題はありますか?」
切羽詰まったルイスの瞳に、冷たい殺意の影が揺らめいた。
「それは愚策だな」
ユーリーは即座に首を振った。
「君たちは『自らの意思を持ってはならない存在』だ。もし感情に任せて動けば、それは代行者ではなく、ただの野放しの殺人集団へと堕ちる……」
その言葉の意味は、ルイスにも痛いほど理解できた。
過剰な権力を握る者が、政治的深慮と計算の果てに辿り着く最終手段――それが暗殺者ギルドだ。もし自分たち暗殺者が個人的な感情や利己的な正義で刃を振るうなら、法を笠に着て暴走するマグナスたちと何ら変わりはなくなる。
「でも……! なら、どうすれば……?!」
ルイスは悔しさに歯を喰いしばり、うつむいた。
そんなルイスの焦燥を受け止めるように、ユーリーは細められた瞳の奥で、恐ろしいほどの光を宿した。
「なーに、簡単なことだ……」
暗く揺れる車内に、ユーリーの低く濡れた声が響く。
「――正当な『依頼人』さえ、立ててしまえばいいのだよ」




