30.ルイスの商才
日中であっても陽光が届かず、どこか薄暗い影が澱む暗殺者ギルドの店内。その静まり返ったバーカウンターの端席に、ひとりの老紳士が腰掛けていた。
「まったく……歳には勝てんものだな……」
苦笑いを浮かべながら、腰のあたりを擦っているのは、帝都の裏社会に君臨する大物武器商人ユーリー・バウトであった。
「リリィから聞きましたよ、ユーリー氏。なんでも、湖畔の野営地で子供たちと一緒になって、ロープを滑って大はしゃぎしていたとか?」
グラスを磨く手を止め、からかうようにニヤリと不敵な笑みを浮かべたのは、ギルドマスターのヴィクター・アダムスである。
「まあ……な。ルイス君に強引に誘われてしまってね……断りきれなかったのだよ」
裏社会の大商人が、バツの悪そうな表情で気まずそうに口ごもる。
「……フフ、微笑ましいことです。しかし、それはそうと。今回の件、貴殿はどう動くおつもりですかな?」
ヴィクターのトーンがすっと落ち、暗殺ギルドの長たる冷徹な眼差しへと切り替わる。
「……最もシンプルかつ確実な解決策は、マグナス・クレイマンの暗殺……だな」
ユーリーの細められた瞳の奥に、仄暗い殺気が静かに宿る。
「ですがね。腐っても奴は第一騎士団長どのですよ。この緊張状態のタイミングで事を起こせば、依頼人がアナタであると推測されるのは明白だ。……近頃は、『例のサロン』にも、顔を出していらっしゃらないのでしょう?」
「ああ、その通りだ。もし私が直接手を下せば、その後の帝国内部での立ち回りや政財界への根回しが、極めて面倒なことになる……」
「当ギルドとしても、"赤手袋"なんて危険な案件はもう何年も引き受けておりません。どう処理をするべきか……」
ヴィクターの口にした『赤手袋』とは、裏社会において『騎士殺し』を指す隠語であった。由来は、実行犯の指先だけでなく、ギルド組織全体が返り血によって真っ赤に染まり兼ねない、最悪の危険度を誇るオーダーである。
「そして……やるからには、あの男一人では済むまい。第一騎士団の全戦力を相手に回すことになる」
「その通りです。奴らはすでに我々ギルドの素性も、この本拠地の場所も把握している。……それはつまり……」
ヴィクターが言葉を一度切る。
「それはもはや、『戦争』だな」
ユーリーが静かに、しかし重々しくその言葉を引き継いだ。
二人の間に、息の詰まるような重苦しい静寂と、紫煙の匂いが重く漂う。
その時であった。
――ガチャンっ!
と重厚なはずの扉が豪快に押し開けられ、苛立ちを隠そうともしない甲高い足音と共に、不機嫌そのものの来訪者が踏み込んできた。
「あのクソ騎士どもがっ! 本当にしつこいったらありゃしないわっ!!」
髪を逆立てる勢いで怒りを露わにしているのは、リリィであった。
「やあ、リリィ。相変わらずご機嫌だねぇ。また騎士団の連中から嫌がらせでも受けているのかい?」
ヴィクターが肩をすくめると、リリィはユーリーの隣の丸椅子にドカリと乱暴に腰掛けた。
「はんっ! アイツら、ずっと私の宿の外をウロウロ見張ってるのよっ! 一度は手配書の件で追い返したのに、懲りずにまた張り付いて! まったく……あんな粘着質な連中、絶対に女にモテないわねっ!」
「それはそれは……同情する余地があるのならば、もう少しは耐えられそうな話だな」
ヴィクターは面白そうに口元を緩めると、怒りに燃えるリリィの前に湯気の立つ熱い紅茶のカップをそっと置いた。
リリィは一口紅茶を啜ると、ため息交ちに懐から数枚の折りたたまれた紙を取り出し、カウンターの上へバサッと叩きつけた。
「はいこれ……。あのバカから、お二人宛てよ……」
「なんだね? ルイス君からの手紙かい?」
ユーリーは不思議そうに眉をひそめ、そのうちの一枚を拾い上げた。
そこに認められていたのは、素朴で飾り気のない、しかしどこか朗らかな筆致であった。
『――ユーリーさんへ。
この前は一緒に遊べてとっても楽しかったですね~! 子供たちも「またあのお鼻の高い優しいおじいちゃんと一緒に遊びたい!」って元気に言っていますよ! またいつでも野営地に遊びに来て下さいね!
――ユーリーさんのお友達の、ルイスより』
文字を追い終えたユーリーは、あまりにも緊迫感の欠けた呑気すぎる文面に、キョトンと目を見開いた。
国家規模の陰謀や騎士団との暗闘が渦巻く中、これではまるで、親友から届いた他愛もない日常の手紙ではないか。
「……ふっ、ふふっ……ふっふっふ……」
喉の奥から込み上げるものを抑えきれず、ユーリーは思わず小さく吹き出してしまった。
一方、ヴィクターが残りの書類を持ち上げ、目を細める。
「ん……? こっちに書かれているのは、何だね?」
ヴィクターの手にある紙――その上部には『ルイスのお掃除部隊――月次収支報告書』と、達筆な文字で題名が躍っていた。
リリィはカップを置き、肘をつきながら説明する。
「一応さ、あの子たちのやっていることも立派な商売なわけでしょ? だから『せめて最低限の収支帳簿くらいはつけなさい』って、私が先生みたいに書き方と計算を教えてあげたのよ」
ヴィクターは記された詳細な数字と項目を目で追ううち、実に興味深そうに深々と頷き始めた。
「……ほう。これは驚いたな。単なる子供のごっこ遊びかと思いきや、案外……いや、かなりまともな『事業』として成り立っているのではないかね?」
思わず感嘆の声を漏らすマスター。
「どれ? 私にも見せてくれないか?」
ユーリーも興味を惹かれ、ヴィクターから紙面を受け取った。
帝国でも有数の巨額な資金を動かす闇の武器商人――その商いの頂点に立つ男の鋭い目線が、紙上の数字を精査していく。
「……ふむ……これは、確かに……。無駄な経費が極限まで削減され、実に健全で持続可能な商売になっている……」
ユーリーの瞳に、明らかな驚きと感心のの色が浮かんだ。
リリィは呆れたように首を振る。
「そりゃあそうでしょ。あの湖畔の野営地なら、食材は魚や山菜で自給自足できるから食費はほとんどかからないし、何より最大の固定費である『家賃・場所代』が完全にゼロなんだもの」
「しかしリリィ君、当初の予想を遥かに上回るペースで売上が伸びているのは何故だね?」
ヴィクターが真剣な表情を向けると、リリィは少しだけ誇らしげに胸を張った。
「ああ、それは私が顧客を増やしてあげたのよ。この前、商業ギルドの定期会合に顔を出した時にさ、知り合いたちに『手際が良くて格安の清掃部隊がいるわよ』って営業をかけてあげたの」
「なるほど、見事な手腕だ。……では、この『水産加工物・露店売上』というのは何のことかね?」
今度はユーリーが、書面の中段にある特定の項目を指差した。
「ああ、それね。孤児たちの年長組で小さな屋台を始めたらしいわ。帝都の西門のすぐ外でね。……湖で捕れたマスを、香草とバターで香ばしくソテーして、パンに挟んだサンドイッチを売ってるのよ。これが街道を行き交う旅人に大ウケなんですって」
「では……この『駆け出し冒険者向け・近郊フィールド案内ガイド』というのは?」
続けてヴィクターが別の項目を指し示す。
「ほら、ルイスって野生の勘と狩りの知識だけは異常でしょ? 薬草の群生地を見つけたり、ホーンラビットの巣穴を完璧に探し当てたりするのが得意だからね。駆け出しの冒険者たちを引率するガイドビジネスを始めたのよ。……今や毎日予約でいっぱいらしいわよ」
リリィの口から語られる予想外の事業展開に、ヴィクターとユーリーは顔を見合わせた。
直後――ユーリーは腹の底からこみ上げる笑いを抑えきれなくなり、豪快に大笑いを破裂させた。
「クックック……ハッハッハッハッ! ルイス君は、まさかこれほど卓越した商才まで秘めていたとはっ?! いやはや、なんて愉快で底知れない若者なのだっ!」
「商才っていうか、ただの思いつきと偶然の産物よ、こんなの……」
リリィは苦々しげに吐き捨てるが、ヴィクターはもう一枚の管理体制が記された用紙を精読しながら、感心と呆れが混ざった溜息を吐いた。
「いや、単なる偶然では片付けられんよ。適材適所の人材配置といい、労働時間の管理といい、まるで病的なまでに完璧に徹底されている……。あのルイス君は、本当にどこかの大商会の跡取り息子というわけではないのだろうね?」
「ハッハッハ! いやー、痛快痛快……! もしも私があと二十歳若かったら、彼を私の右腕としてスカウトして、もっと大きな夢を見れたかもしれんなぁ!」
ユーリーの絶賛に対し、ヴィクターは口からパイプを離すと、ニヒルな笑みを浮かべた。
「なあに、今からでも遅くはないのではありませんか? まあ、もし本当にスカウトされるのでしたら、当ギルドとしては仲介手数料をバッチリ頂戴いたしますがね」
「ふむ……ルイス君の価値なら、さぞかし高額な移籍金になるだろうなぁ。……しかし、『お友達』か……。この私を、純粋にお友達と呼んでくれるか……」
ユーリーは再び一枚目の呑気な手紙を手に取り、どこか愛おしそうに、そして少しだけ寂しげに目を細めて呟いた。
――その時であった。
ガチャリっ!
またしても突然、ギルドの重々しい扉が勢いよく開き、タッタッタッ! と愛らしくも力強い小さな足音が店内に響き渡った。
走ってきた小さな影――ココである。
彼女はまっすぐにカウンターへ駆け寄ると、ヴィクターに向けて小さな人差し指をビシッと突き出し、一切の容赦のない声で言い放った。
「おじちゃん……煙草、ダメ」
「……ッ」
気まずさと苦々しさを凝縮したような顔で、ヴィクターは静かにパイプの火を灰皿へコンコンと落とした。
そして、手元にあった『人員配置・シフト管理表』を静かに掲げると――
「……リリィ君。この店の清掃担当……チェンジすることは、どうしてもできないのかね……?」
天下の暗殺ギルドマスターともあろう男が、心底から助けを求めるような情けない視線を、リリィへと送るのだった。




