28.マグナス・クレイマンの焦燥
その日、マグナス・クレイマンは帝都中央街区に聳え立つ憲兵総司令部を訪れていた。
広い執務室の中央で、マグナスは背筋を限界まで伸ばし、直立不動の姿勢を保っている。
その視線の先、豪奢な執務机の奥に座る醜く肥え太った男が、重々しく口を開いた。
「クレイマン団長……。君の直属の部下が殺害されたというのに、一体なにを手をこまねいているのかね?」
「は! 現在、鋭意捜査中でございます。犯人の検挙も時間の問題かと」
「君の気休めの希望的観測を、私が求めているとでも思ったのかね?」
憲兵総監ジェリー・マッカーティは、弛んだ頬の肉を歪め、粘つくような視線でマグナスを射抜いた。
「し、失礼いたしました。ですが、すでに犯人の人相は割り出しており、潜伏先の目星もついております。今日明日にも、喜ばしいご報告ができるかと……」
「喜ばしい? 部下を殺されておいて、何が喜ばしいだ。本来なら君の役職を剥奪してもおかしくない重大な失態だと、理解しているのかね?」
「……は! 寛大なご処置、感謝の念に堪えません! これより私自身が現場へ赴き、陣頭指揮を執ってまいります。それでは、失礼いたします……」
居心地の悪さに背中を冷や汗が伝う。
マグナスはこの息詰まる空間から一刻も早く脱すべく、踵を返した。しかし。
「くれぐれも、面倒な書類は上げるなよ。シンプルに、分かりやすく。それを肝に銘じておけ……」
背後から掛けられた総監の低い声に、マグナスは振り返ることなく、深く頭だけを下げて退室した。
重厚な扉を抜け、冷たい廊下を歩く。
角を曲がり、周囲に人影がないことを確認した瞬間――マグナスの理性が弾け飛んだ。
「あのっ……! ガマガエルがぁぁぁ!! クソッ、クソがぁぁぁ! 私を見下しおってぇぇぇぇ!!」
激怒のまま、白亜の壁に拳とブーツを叩きつける。鈍い音とともに壁に亀裂が走り、煤けた粉じんが舞った。
「だ、団長っ! 例の武器商人への立ち入り捜査、却下されました!」
悲鳴のような叫びとともに、青ざめた顔の部下が廊下の奥から駆けてくる。
「なぜだぁぁぁ?! あの鉄扉の向こうに犯人が潜んでいるのは分かっているだろうがぁぁ?! どこのどいつだ、そんな無能な判断を下した愚か者はっ?!!」
マグナスは部下の胸ぐらを掴み上げ、血走った目で怒鳴り散らした。
「わ、分かりません! ですが……内務卿と大審問官閣下の署名が得られませんでした。それだけは確実です……!」
部下が震える手で差し出したのは、クシャクシャに握りしめられた『臨検捜査請求書』だった。マグナスはそれを引ったくり、何も書かれなかった白地の欄を睨みつける。
間違いなく、上層部の政治的意図によって握り潰された証。
「クソがぁ! どいつもコイツも、邪魔ばかりしおって!!」
マグナスは請求書をズタズタに引き裂くと、廊下の床へ撒き散らした。
「団長……さらに、現場から押収した証拠品の『鉄の矢』も、近衛騎士団によって持ち去られました。まるで、あらゆる勢力が我々の足を引っ張っているようです……」
その言葉が引き金となり、マグナスは再びドンッ! と壁を蹴りつけた
「近衛など、ただの傀儡に過ぎん! 上から言われるがまま動く、意気地なしの操り人形どもだ! 我々の邪魔をしているのは……甘い汁に群がる貴族どもだっ!!」
かつて自身も身を置いていた近衛の内部事情を知っているからこそ、吐き捨てられる呪詛。
「とにかく団長……ここでは不味いです、一度本部へ戻りましょう! 捜査方針の切り替えが必要です……。もしこれ以上、上に目をつけられたら、我々全員、門番送りですよ!」
「クソがぁ、クソ、クソ……ッ!」
怒りと焦燥で思考がまともにまとまらず、マグナスは悪口を吐き続けることしかできない。
「どうか、お願いです団長……! 私には養うべき家族がいるのです! 第一騎士団を追われたら、明日からの生活すら成り立ちません……!」
すがりついてくる部下を、マグナスは冷ややかな目で一蹴した。
「ふんっ! 分かっている! ……とにかくルイスだ。せめてあのクソガキだけでも叩き潰さねば気が済まん。どこだ……どこに隠れている、ルイス……!」
マグナスはギラギラと執念の光を宿した目で、虚空を睨みつけた。
一方、当のルイスはと言えば――。
「いやぁ〜、これはこれで、実に快適〜」
湖畔の木々を通り抜ける爽やかな風を感じながら、ゆらゆらと揺れるハンモックの上で、白身魚のサンドイッチをモサモサと咀嚼していた。
まさかルイスの潜伏先が、マグナス・クレイマンが将来の別荘地として個人的に購入していた私有地だとは……マグナスは夢にも思っていなかったのである。




