26.影と光
街道をのっそりのっそりと進む簡素な牛車。
そのガタゴトと揺れる小さな御者台には、ルイスと、ひとりの少年が並んで腰掛けていた。
「え? ルイスさんって、本当はどこかの貴族さまじゃなかったんですか?」
牛の手綱を緩やかに握るルイスへ、隣に座る縫製工房の清掃担当――孤児の少年フランクが不思議そうに問いかけた。
「違う違う! まあ、今はこんな格好をしてるけどさ……」
ルイスは照れくさそうに己の服装を見下ろした。
現在の彼は、見るからに上質な仕立て服を着用し、艶やかな黒髪をきっちりとオールバックに撫でつけている。どこからどう見ても、裕福な貴族か大商人のお坊っちゃんにしか見えない。これは、偽りの身分――『ルーファス』と名乗るための変装であった。
「でも、凄くお金持ち、ですよね……?」
フランク少年は、なおも感心したように目を輝かせる。
「ま、まあね。ちょっと……いろいろと、臨時収入がありまして……」
言葉を濁しながら、ルイスは視線を泳がせた。まさか、人殺しの裏仕事をこなし、そこから巨額の報酬を得ているなどとは口が裂けても言えない。
「ルイスさんは……どうして僕たちを助けてくれたんですか?」
ふいにフランクが真面目な顔で尋ねた。
「うーん……なんでだろ? うーん、なんでだろうねぇ?」
「え? あの……僕に聞かれても困るんですけど……」
あまりに無防備な問い返しに、フランクは戸惑うしかなかった。
最初こそ、自分たちに優しく手を差し伸べてきたこの青年を、またしても自分たちをいいように利用して売り飛ばす悪徳な大人ではないかと強く警戒していた。
しかし、時間を共にするにつれ、ルイスの持つ「邪念の無さ」は筋金入りどころか、彼の魂の奥底にあまりにも当然の理として横たわっているのだと理解させられたのだった。
「そういえば、フランク君。お掃除のお仕事だけじゃなくて、カインさんからミシンの使い方も教わってるんだって?」
ルイスが話を切り替えると、フランクは照れくさそうに鼻の頭をかいた。
「あ、はい! その……職人さんたちがミシンを使っているのを見てて、どういう仕組みになってるんだろうなぁって夢中で見つめてたら、カインさんに『やってみるか?』って声をかけられちゃいまして……」
「なるほどね〜。それが、コレってことね……」
ルイスが振り返った荷台には、箱詰めされた、お世辞にも出来が良いとは言えない歪な縫い目の上着が六着。フランクの血の滲むような練習の成果であった。
「は、はい……。その、『給金はまだ払えないけど、代わりにこれを持っていけ』って……」
「ま! 少し直せば普通に着られるでしょ! それにしても、カインさんもああ見えて、根はすごくいい人だねぇ〜」
ルイスはヘラリと呑気に微笑んだ。
厳しい職人気質の男かと思いきや、あの新工房長も案外お人好しで情に厚い人物らしい。
「で、ルイスさん。コレは……一体何に使うんですか?」
フランクが荷台の隅を指差したのは、木製のハンガーの束であった。
縫製工房で大口の納品を終え、ちょうど資材として余っていたものを貰い受けてきたのだ。
「いやぁ~。ちょっとね、子供たちのための『新しい遊び道具』でも作ろうと思ってさ!」
含みのある笑みを浮かべるルイス。
――それからしばらくして、牛車は孤児たちが身を寄せる湖畔の野営地へと到着した。
敷地に足を踏み入れると、そこには見慣れぬ豪奢で絢爛な馬車がひと際存在感を放って停められていた。その重厚な扉が開き、仕立ての良い服を纏った一人の老紳士が優雅に降り立ってくる。
「やあ、ルイス君。どうやら……君に命を救われてしまったようだね」
「やっぱり、ユーリーさんでしたか」
「私の不注意のせいで、君にこれほどの不便と身の危険をおかけしてしまっているようで、本当に申し訳ない……」
深々と頭を下げる大物武器商人ユーリー・バウトに対し、ルイスは手ぶんぶんと振った。
「いえいえっ! 僕はむしろ、こういう野外生活の方が性に合ってて慣れてますから!」
「ふむ……少し、いいかね? 君と腹を割って話しておきたいのだ」
「はい! じゃあ、せっかくですから、温かいお茶でも淹れますね!」
「ん? お茶……?」
ユーリーは首を傾げた。
このような瓦礫と天幕が立ち並ぶ野営地で、まともなお茶など淹れられるのだろうか……と。
数分後。
ユーリーとルイスは、並んで太い丸太の上に腰掛けていた。
「ほう……これはこれは……。想像以上に、体に沁み渡る美味さではないか」
ユーリーは湯気の立つカップから口を離し、感嘆の息を漏らした。
「はい! 僕の故郷でよく飲んでいた、薬草茶です。芯から体が温まりますよ!」
ルイスもズズズと薄茶色の液体を口に含む。
二人の視線の先には、午後の光を受けてキラキラと輝く湖面が広がっていた。
浅瀬では膝まで水に浸かった子供たちが、焦げが残る木製のクロスボウを構えてマスを狙い、真剣な顔をしている。
ユーリーは少し煤けたカップであることを気にする様子もなく、もう一口お茶を嗜むと、静かに口を開いた。
「……どうやら、私の命を狙っている者がいるようだな」
「あの……第一騎士団長のマグナスさん、ですよね?」
「いや。マグナス・クレイマンなど、ただの駒……手先に過ぎんよ。……その背後には、ケチな金稼ぎに心血を注ぐ木っ端貴族どもが暗躍しているのだ……」
「あらぁ……なんだか、『よくある話』ですね~」
ルイスはあくまでフィクションの物語を読むかのような呑気さで同意した。
しかし、その一言を聞いたユーリー・バウトは、スッと鋭く目を細めた。
(……やはり、すべてに気づいておったか……)
表層の浅い情報に惑わされず、裏で糸を引く黒幕の存在まで一瞬で見抜いてみせる――この謎めいた青年の恐ろしいまでの洞察力と深謀遠慮に、ユーリーは心の中で深く感服していた。
……言うまでもなく、ルイス本人は単に「本で読んだ王道の展開」を口にしただけの、ユーリーの盛大な勘違いなのだが……。
「マグナス・クレイマン。名門騎士爵家の当代当主だが……元から良くない噂の絶えない男だった。あの男を第一騎士団長という要職に強引に推薦した黒幕がいるらしい」
「まあ、確かに……うん。あの人は、決して良くはないですね……」
ルイスの脳裏に、先日ギルドで見せた、傍若無人を絵に描いたようなクレイマンの態度が思い浮かぶ。
「数年前……元当主であった父親が病に倒れ、その跡を継いだのは優秀な兄の方だったのだが……」
「ん? その、お兄さんはどうされたんですか……?」
「死んだよ。訓練中における、不可解な『落馬事故』でね。そして、次男であるあの男が、まんまと騎士爵と家督を継承したというわけだ」
「……なんか、凄い、きな臭いお話ですね」
これまた、ルイスの好む物語に出てきそうなお家騒動の展開である。
「まあ、奴が直接手を下したという確たる証拠はない。……とにかくルイス君、お互いに厄介な連中に目をつけられてしまったな」
「あっはっは~! まあ、なんとかなりますよ!」
ルイスの顔に、いつもの超楽観主義が戻ってきた。起きてしまったことや過ぎたことをウジウジ考えても仕方がない、というのが彼の哲学なのだ。
「……して。あの子たちは、一体何をしているのだね?」
ユーリーがふと視線を止めたのは、湖畔の大木に太いワイヤー線を器用に巻き付けている少年の姿だった。
反対側のワイヤーの端を、もう一人の小さな女の子がトトトトッと駆け、少し離れた場所に打ち込まれた頑丈な杭へとしっかりと固定している。
「いわゆる『遊具』ですね! まだ清掃のお仕事をさせられない年少組の子たちは退屈でしょうから、何か楽しめるものはないかと考えてみたんですよ」
すると、太い幹の上の足場に立ったアントニオが、地上にいるルイスへ向けて大きく手を振った。
「ルイスの兄貴〜! 試しに、いってみますよー!」
少年の手には、先ほど牛車で運んできた、あの木製ハンガーがしっかりと握られている。
「かなりスピードが出るから、途中で手を放さないように気をつけてねー!」
そうルイスが叫ぶ。
アントニオは意を決したように息を呑むと、万歳をするような格好でハンガーを斜めに張られたワイヤーへと引っ掛けた。
そして――。
「いくぜぇー! あわっ、うわぁぁぁぁぁぁぁっ! は、速いっっ!!」
青空の下に、少年の絶叫がこだました。
スイーーーっと疾風のごとき速度で、足をバタバタと悶絶させながら空中を滑走し始める。
そして、ハンガーは恐ろしい慣性を維持したまま下降し続け、足が地面についた後ですら――
「と、と、止まれ、ないっっ!!」
勢いは留まることなく、アントニオは一直線に湖の浅瀬に向かって突き進み――
――バッシャーーーン!!
豪快極まりない巨大な水しぶきが上がり、陽光を受けて小さな虹を描いた。
それを見た孤児たちが一斉に湧き立つ。
「あっはっはっはっはっは! すげぇ!」
「顔面から水に突っ込んだぞ! 痛そうっ!」
「あーあ、せっかく集まってた魚が逃げちゃったじゃん!」
大爆笑する者、呆れ果てる者、文句を言う者。
アントニオは背中だけを水面に浮かべ、プカーっと脱力したように漂っていた。
すると、エルフの幼女ミュイが可憐な声を張り上げた。
「ルイスお兄ちゃんも、早くー! 一緒に遊ぼうよー!」
「はいよー! ちょっと待っててね!」
ルイスは勢いよく立ち上がると、隣に座っていたユーリーへと爽やかに手を差し伸べた。
そして、耳を疑うような提案を口にしたのである。
「さっ! ユーリーさんも一緒にいかがですか?!」
「は? えっ……私が、かね? あ、あの遊具に……?」
「結構、楽しいと思いますよ?!」
「いやいやいや! 私はさすがにもう老体でな、腰もガタが来ているのだよ……!」
「まあまあ! 大丈夫ですから、いいからいいからっ!」
ルイスは構うことなく、帝都の闇を統べる大物武器商人の手を無邪気に引っぱっていく。
「ま、まあ……それほど言うなら、少しだけ試してみるのも……」
抗いきれず、老紳士は苦笑いを浮かべながら重い腰を上げるのだった。
再び、無邪気な歓声と笑い声が湖面を渡る秋風に揺れる。
その長閑で平和すぎる喧騒を、少し呆れたような、それでいてどこか微笑ましそうな表情で、馬車に背を預けた暗殺者メイドのマリアが静かに見つめていた。
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