23.新しい日常
朝の爽やかな日差しが街を包み、街路樹の枝先では小鳥たちが涼やかな鳴き声を響かせていた。
しかし、そんな平穏な朝の気配とは裏腹に、宿屋「白百合亭」の門前には、早朝から尋常ではない異様な人だかりが形成されていた。野次馬たちは互いに顔を見合わせ、声をひそめてヒソヒソとささやき合っている。
「ねえ……これって、最近ここに寝泊まりしてる人よね?」
「おいおい、なにがあったってんだ……?」
彼らが面白がりと恐怖の入り混じった視線を注ぐ先――そこには、まるで大罪を犯して磔にされた刑徒のように、無残な姿で柱に縛り付けられたルイスの姿があった。
服はビリビリに破かれ、全身あざと傷だらけでボロボロ。白い目を剥いてピクピクと痙攣している様は、まさに半死半生。
「……なんかさ、昨晩は隣の区画まで届くような凄まじい声と音が聞こえてたのよねぇ〜」
「アレか? いわゆる、恋人同士の激しすぎる夜の営みってやつか……?」
「いやいや、いくらなんでも激し過ぎるだろ! 見てみろよ、完全に半殺し通り越して全殺し手前じゃねーか!」
近所の住人たちの下世話な噂話は歯止めが効かなくなり、尾ひれがついて最悪な方向へと妄想が膨れ上がっていく。
そこへ、カツカツと硬いブーツの音を響かせてやってきたのは、憲兵騎士団のロザーナであった。
「ちょ、ちょっとルイスさんっ?!! これは一体どういう惨状なのですかっ?!」
青ざめたロザーナが慌てて縄を解き、彼を救出してから――しばらくして。
「……それは、全面的にルイスさんが悪いですよ」
「いやぁ~……あっはっはっは。仰る通りでございます。ぐうの音も出ません、はい……」
陽光が降り注ぐ街道を、二人は並んで歩いていた。
事の発端は、リリィが買い出しに出かけている隙を狙い、彼女の部屋の書架に隠されていた蔵書をルイスが勝手に鑑賞したことにある。
乙女の絶対不可侵領域を極限まで踏みにじられたリリィの逆鱗に触れたのだから、どれほど勘違いの激しいロザーナといえども、こればかりは一切擁護のしようがなかった。
「いくら仲の良い兄妹とはいえ、リリィ殿にだって相応のプライバシーというものがあります。いえ、むしろ血の繋がった家族だからこそ、死んでも見られたくない秘密というものは存在するのです!」
真面目な顔でコンコンと説教を垂れるロザーナに、ルイスは腫れ上がった頬を押さえながらハッと正気に戻る。
(あ、そういえば……僕たち、表向きは『兄妹』って設定だったっけ……)
あやうく「血の繋がりなんて微塵もない」と口を滑らせるところだった。
このあたりの設定の整合性は、気を引き締めて維持しておかなければ命に関わる。
のんびりと郊外へ向かって足を伸ばし、昼前には孤児たちが汗を流して作業を続けている例の事件現場――旧プエルト商会のアジト跡地へと到着した。
「あ! ルイスの兄貴っ! ロザーナ姉さん! お疲れっす!」
顔や服を黒い煤で盛大に汚したアントニオが、ビシッと威勢よく敬礼を繰り出してきた。
「お疲れさまー! いやー、ずいぶん瓦礫が片付いたねぇ。……でも、これ全部キレイにするにはまだまだかかりそうだね」
「へへっ、いやぁ~、騎士さま方からカンパの金貨や銀貨をたんまり貰ってますからね! やりがいは最高にありますよ!」
アントニオは白い歯を見せて爽やかに笑う。
なんでも、時折この現場には憲兵騎士団特別捜査局の捜査官たちがふらりとやってきては、作業の進捗を確認するついでに、余った予算で買ったお菓子や果物、小遣いなどを差し入れてくれるのだという。
「それにしても……ありゃぁ~、まだまだ出てくるねぇ」
ルイスが引きつった面持ちで視線を向けたのは、青々とした芝生の上に整然と並べられ、ボロ布を被せられた一連の「物体」であった。
言わずもがな、焼死体である。それも、すでに新しく五体。
あの事件の夜から幾日かが経過しているというのに、毎日のように瓦礫の底から新しい屍が発掘されていた。
「そうっすねー。でも、俺たちももうすっかり見慣れちゃいましたよ。……しかし本当に、一体ここで何人が死んだんでしょうねぇ?」
アントニオは感心したように黒焦げの邸宅跡地を見渡す。
……そのすべてを直接的、あるいは間接的に屠った犯人は、すぐ隣で無害そうな顔をして立っているルイスなのだが……。
「まあまあ、焦らずゆっくりやろう。トーマス隊長さんからも『急いで片付ける必要は一切ない』って言われてるしね。……ね、ロザーナさん?」
「ええ。むしろ『作業は遅ければ遅いほど望ましい』と申しておりました。……まあ、あの土地の新たな所有者であるマグナス団長に対する、彼らなりのささやかな嫌がらせなのでしょうけれど……」
ロザーナは苦笑いを浮かべ、どこか呆れたように息を吐いた。
ふと見れば、少し離れた敷地の奥から、トンテンカン、トンテンカンと軽快な金槌の音が響いてきている。
ルイスとロザーナが音のする方へ歩み寄ると、そこには作業服を腕まくりした痩せ型の男がいた。
「スレンダー先輩! お疲れ様です!」
ルイスが爽やかに声をかけると、男はゆっくりと振り向いた。
「よう、兄弟……。どうだ? また俺の最高傑作がひとつ、この世に生み出されたぜ……ゲゲッ」
青白い顔を歪ませ、不気味な笑みを浮かべるのは、暗殺者でありながら驚異的な職人技を持つスレンダー・エッヂである。
「って……。あの、先輩? 僕、みんなが汗を流した後に使う『小さな湯浴み用の小屋』を建ててほしいって頼んだはずなんですけど……。え? これって普通に、家ですよね?」
ルイスが仰ぎ見た先には、平民の裕福な家庭が丸ごと一世帯、余裕で快適に暮らせそうな巨大な木造建築が、もうすでに完成間近だ。
「いやー、ついな! ついな! 一度金槌を握っちまうと、職人としての矜持が邪魔をして、一切の妥協ができなくなっちまうのが俺の悪い癖さ……。ゲゲゲゲッ!」
喉を鳴らして怪しく笑うスレンダー・エッヂ。
「でもこれ、すごく新しくてキレイな材木を使ってません? 森からわざわざ伐採してきたんですか?」
「いやいや。ほら、例の悪徳議員が建てようとして途中で頓挫した『孤児院』があったろ? あそこの建設が中止になったおかげで、上質な建築資材がごっそり余ってたんだよ。それをちょっと『横流し』してもらってな」
「あーー、あの件か……」
またしても自分が引き起こした大騒動と凶行が、巡り巡って巡り巡り、このような形で子供たちの福祉に還元されている事実に、ルイスは乾いた笑いしか出ない。
そんな彼らのやり取りを余所に、子供たちが楽しそうにスレンダーへ駆け寄ってきた。
「ゲゲゲのおじちゃーん! ここの真っ白い壁に、みんなでお絵かきしていいー?」
「うん! なんかここだけ真っ白で寂しいよー!」
打たれたばかりの美しい漆喰の壁を無邪気に指差す幼子たち。しかし、それを見たスレンダーの目の色が激変した。
「やめろッ! 絶対にダメだッ! 落書きなんて、まったく美しくないッ! 後で俺が、人間の美的感覚を揺さぶる至高で芸術的なテクスチャーに仕上げるんだからなッ!!」
凄まじい剣幕で怒鳴り散らすスレンダー。
どうやら彼は、人間の肉体を芸術的に切り刻むことと、建築物造形に関しては、一切の妥協を許さない真性の狂人芸術家タイプであったらしい。
何はともあれ、彼なりに孤児たちとは妙な信頼関係を築いているようだ。
胸を撫で下ろしたルイスは、年少組の子供たちが和気あいあいと昼食の準備を進めている即席の竈門へと移動した。
「はいっ! お肉を鍋にドボン!」
「お芋もゴロゴロ入れちゃえー!」
火にかけられた大きな寸胴鍋に、豪快に食材を放り込んでいく子供たち。
ふと、その竈門のすぐ脇――焼け焦げた木製の台座の上に鎮座する「黒い球体」に、小さな野の花をそっと供え、静かに手を合わせている幼いココの姿が目に入った。
「ココちゃん、何してるの? そんなところに何を置いて……って、ゲェッ?!!」
よくよく注視してみれば、それは焦げた木片などではなく、完全に黒コゲになった「人の生首」であった。
ルイスが絶句していると、隣からロザーナが背中に寒気を覚えたように身を引き、ツンツンとルイスの肩をつついてきた。
「ル、ルイスさん……! そ、それって、もしかして……っ」
ロザーナが恐る恐る指差したその生首の額――その中央には、確かに小さな、しかし深く鋭い穿孔痕が残されていた。
「……え、まさかコレ……エルヴィン・プエルト……?」
ルイスは青ざめた顔で小さく呟いた。
あの日、ルイスがクロスボウに装填し、放った「リリィのナイフ」が、彼の額を正確に貫いた痕跡と完全に一致している。気がする……。
ルイスはゴクリと生唾を飲み込み、優しくココを諭そうと試みる。
「コ、ココちゃん……。あのね、ちょっと……見た目が気味悪いからね。それも他の死体と一緒に、埋めてあげようね……?」
そう持ちかけるが、ココは無垢な瞳をパチパチと瞬かせ、首を横に振った。
「ううん。なんかね、とっても痛そうで、凄い顔をしてるから……きっと死ぬとき苦しかったのかなぁって。だから、かわいそうなんだよ……」
たしかに、その黒焦げた異形の顔面には、この世のあらゆる絶望と怨嗟を凝縮したような地獄の表情がかろうじて見て取れた。
いや、この世のすべてというよりは、自分を容赦なく撃ち抜いた「ルイスただ一人」に対する深い殺意だろうが……。
死者を悼み、その魂を慰めようとするココの純粋な優しさを目の当たりにしては、ルイスもそれ以上強く撤去を命じることはできなかった。
その時、街道の向こうから、かっぽかっぽと不格好でのんびりとした足音を響かせ、一台の牛車がやってきた。
その御者台に乗っていたのは――
「やあ、ルイスさん。……またたくさん出ましたねぇ。今日もこれから、十体ほどは掘り出されそうですねぇ」
並べられた死体を目にし、マイペースな口調で声をかけてきたのは、暗殺ギルドの「掃除屋」ローズマリーであった。
すると、牛車の荷台からピョンと軽やかに飛び降りる小さな影があった。
「みんなー! 縫製工房の工房長さんが、布の端材をたくさん分けてくれたぞー! あと、おまけで針と糸もくれた!」
荷台から降ろされた大きな木箱には、色とりどりの大小様々な布地が所狭しと詰め込まれていた。声を上げた少年の名はフランク。
先日の手紙偽造工作により新体制となった縫製工房の清掃担当に任命された、孤児の年長組の一人である。
「おおっ! これだけあれば、みんなの新しい服が何着も作れるぞ! 誰か、お裁縫が得意な人はいるかい~?」
ルイスが意気揚々と声を張り上げると、
「はいは~い! 私、服縫えるー!」
「私も私もー! ボタン付け得意ー!」
と、何人かの少女たちが元気いっぱいに手を挙げた。
そしてなぜかもう一人――先ほど完成させた建造物の梁の上にひょっこり跨がっていたスレンダー・エッヂまでもが、フフンと誇らしげに手を挙げているのがルイスの視界に入った。
(……なんかあの人、なんでもできるな〜)
感心するべきなのか、狂人の多才さに呆れ果てるべきなのか、ルイスにはもう判断がつかなくなっていた。
そうこうしているうちに、現場ではもう一つの作業が手際よく始まっていた。
「はーい! じゃあ手空きの子は手伝ってー! 荷車に、そこの死体を載せてほしいの」
ローズマリーが朗らかに孤児たちへ呼びかける。
力自慢の男の子たちが数人威勢よく駆け寄っていくと、ボロ布に包まれた死体を慣れた手つきで運搬し始めた。
それを見たロザーナが、ルイスの袖を引っ張り、小さな声で耳打ちしてきた。
「あの……ルイスさん。あちらの優しそうな女性は、一体何屋さんなのですか?」
「………………医者。だよ」
ルイスは即座に答えた。嘘はついていない。裏の稼業が他にあるという事実を伏せ、表向きの肩書を口にしただけである。
まさか、口が裂けても「彼女は暗殺者ギルドの死体片付け専門業者です」などと法の番人に言えるはずもない。
「死体を……今さらお医者様に引き渡すのですか?」
疑問に思ったロザーナが首を傾げる。
ルイスはゆっくりと振り返り、どこか芝居がかったミステリアスな笑みを口元に浮かべた。
「……フッフッフ……。ロザーナさん。実を言えば彼女もまた、僕たちの掲げる志を共にする……『第三勢力』の幹部の一人なのさ……。……良いかい? これは国家の存亡に関わる極秘事項だからね?」
思いつきで口から出任せの壮大な嘘を吐くルイス。
しかし、ピュアすぎる女騎士ロザーナは――
「そうだったのですか……っ!! 理解いたしました! この件、我が命に変えても口外いたしません……!」
と、またしても涙ぐみそうな表情で盛大に騙されてくれた。
――ちなみに、死体を積み終えた牛車がいざ出発する際、ロザーナの横を通り過ぎようとしたローズマリーは、その女騎士から凄まじく熱い尊敬の視線を受け、
「お疲れ様です! 同志よっ!!」
と、バシッと音が聞こえそうな完璧な軍隊式の敬礼を捧げられた。
ローズマリーは頭上に無数の疑問符を浮かべて首をかしげ、その横でルイスは滝のような冷や汗をダラダラと流しながら、必死に何かを願うかのように、空を見上げるのだった。




