20.顧客開拓
「え? 掃除、ですか……?」
縫製工房の職人カインは、作業の手を止め、ポカンと口を開けた。
「ええ、そうです! いかがでしょうか? まだ幼い子供たちではありますが、根は誠実で、とにかく手際が良く、真面目に働ける逸材が揃っておりますよ」
満面の笑みでそう提案するのは、見るからに上質な仕立て服に身を包んだ王国の大商人のお坊ちゃん――に完璧に扮したルイス……いや、現在は『ルーファス』と名乗っている青年であった。
カインは困惑気味に頭をかく。
「いや……確かに、職人総出で納品に追われていて人手は喉から手が出るほど欲しい。掃除だけでも代行してもらえるなら本気で助かるんだが……。ただ、まだ工房長のダスターさんが戻られていない以上、俺の一言で勝手に外部の者と契約を結ぶわけには……」
「あー! そうそう、忘れるところでした。実はそのダスター氏から、あなた宛の手紙を預かっているのですよ」
「はっ?! て、手紙!? えっ、工房長は、いま一体どこにいらっしゃるんですかっ?!」
身を乗り出すカインに対し、ルイスは宥めるように優雅な手つきで制した。
「まあまあ、そう焦らず落ち着いてください。ほら、カインさん。あなた宛ての親書です……」
ルイスが胸ポケットから恭しく取り出したのは、重厚な封蝋が施された一通の書状であった。カインは受け取ると、震える手で封を切り、そこに認められた文章を貪るように読み進める。
『突然、勝手に姿を消してすまない。工房の皆にも、深く詫びておいてほしい。現在、私は王国の異母兄弟と手を組み、新たな大事業を立ち上げる準備を進めているところだ。詳細を明かせない勝手な私を許してくれ。……ついては、あの工房だが、私個人の家財も含めてすべて君に譲ることにした。君の技術と誠実さがあれば、あの場所をより大きく育てられるはずだ。信じているよ。また、いつかどこかで会おう。――ダスター・ブベロワ』
「はっ……?! お、俺が……工房長に……?!」
カインは目を見開き、手紙を握りしめたまま絶句した。
「ええ。ダスター氏は去り際、あなたの技術を誰よりも高く評価し、人間として深く信頼していると語っていましたよ……。最初からこの工房が軌道に乗った暁には、あなたにすべてを譲るつもりだったのでしょうね。まったく……粋なお人だ……」
ルイス――改めルーファスは感極まったような表情で、工房の窓から見える澄み渡った青空を仰いだ。
「……う、ううぅ……っ! 工房長……お、俺、俺……期待に応えて見せますっ!!」
カインはその場にひざまずき、溢れ出す涙をボロボロと床の上にこぼした。
「ええ、ええ……! 工房の運営に関しては、私のような若輩者で頼りないかもしれませんが、全面的にサポートするようダスター氏から頼まれております。さあ、立ってください新工房長! 共にダスター氏の託した希望を、未来へと紡いでいきましょう!!」
演劇のクライマックスさながらに、力強くカインの手を握り締めるルイス。
「はいっ! どうかよろしくお願いしますっ!!」
端から見れば涙なしには見られない感動の師弟劇――に見えるかもしれないが、言うまでもなくその手紙は完全なる偽造文書である。
執筆者は暗殺ギルドマスターのヴィクターであり、筆跡模倣のプロの手による逸品であった。そして肝心の元工房長ダスターは……今頃、ゴブリンの巣穴の深奥で汚物の一部と化しているはずである。
その横で、お坊ちゃんに付き添う控えた秘書になりきっていたリリィは、心の中で。
(ようやるわ、このペテン師……)
と吐き捨てるように呆れていた。
――それからしばらくして。
二人は大通りの雑踏を、何食わぬ顔で意気揚々と歩いていた。
「いやぁ~! なんだかんだで完璧に上手くいったねぇ! この調子で、どんどんいってみよう! 次っ、次っ!!」
ルイスはウキウキとした足取りで大股に歩を進める。
その隣で、リリィは心底感心したような、それでいて呆れ果てたような顔を向けた。
「アンタ……なんであんなに演技が上手いのよ? 物書きも冒険者も諦めて、劇団の役者にでも転職したら?」
「え? そうかなぁ?」
なぜルイスがあれほど堂々とした迫真の演劇ができるのか――その理由は単純であった。
彼の故郷である平穏な村で、幼少期から同年代の子供たちを集めては狂ったように「ごっこ遊び」に没頭していたからだ。
英雄譚や冒険譚に強い憧れを抱き、膨大な読書量を誇るルイスが創り出す「設定」と「世界観」の解像度があまりにも高すぎたため、当時の幼馴染たちは内心「細かすぎてマジでウザい……」と引いていたのだが……ルイス本人は今なおその事実に気づいていない。
「で? 次なるお得意様として目星をつけているのは、どこなのよ?」
「ふふん、着いてからのお楽しみさ! ……あ、ここだね!」
「ちょっとルイス……!? ここって……帝国憲兵騎士団の本庁舎じゃないのっ?!!」
重厚な石造りの巨大な建物の前には、殺気立った鎧姿の警備兵が槍を携えて厳重に立ちふさがっている。
しかしルイスは一切気にする様子もなく……。
「こんちは〜! 特別捜査局のロザーナ・ベルトランさんに面会でーす!」
と、恐ろしい顔をした巨漢の兵士に軽々しく声をかけた。
兵士はルイスの顔を見ると、一瞬だけ眉をひそめたが、
「ふむ……。入れ」
と、あっけないほど簡単に立ち入りを許可してしまった。
「お邪魔しま〜す!」
大手を振って堂々と法の番人の城郭へ踏み込んでいくルイス。リリィは胃のあたりをぎゅっと押し潰されるような激痛を覚えながら、
「し、失礼……するわ……」
と、そそくさとルイスの陰に隠れるように背中を追った。
現役の暗殺者が、真っ昼間から法の番人たちの総本山に足を踏み入れているという異常事態。リリィの頭痛は増すばかりであった。
そうして特別捜査局の執務室の戸口に到着すると――。
「え? 清掃作業……ですか? ルイスさん、今度は一体何を始められたのですか?」
きょとんとした表情を浮かべる、真面目な女騎士ロザーナが出迎えてくれた。
「うん! 実は行き場のない孤児たちに、仕事を与えてあげたくてね。掃除なら、幼い子たちでも怪我をせずに安全にできるかと思ってさ!」
「もしかして……西門の壊れた橋の下に身を寄せていた、あの子供たちのことですか?」
「あ、たぶんその子たち!」
「ルイスさん……! あなたという人は……やはりどこまでも高潔な聖人君子なのですね! そのような社会貢献まで個人で手掛けられるとは……っ」
ロザーナはまたしても持ち前の壮大な勘違いから目頭を熱くさせ、感涙を流しそうな勢いでルイスを仰ぎ見た。しかし、すぐに申し訳なさそうな顔で肩を落とす。
「ですが、ルイスさん……。非常に心苦しいのですが、我が局は隊員たちの当番制で清掃を行っておりまして、人手は足りているのです。お力になれず、本当に申し訳ないのですが……」
心底悔しそうにするロザーナの背後から、だるそうな低い声が響いた。
「おーい、ちょうどいいじゃねーか。あの『面倒な現場』の片付けをお願いしたらどうだ?」
デスクに足を放り出し、爪をいじりながらチラチラと聞き耳を立てていたトーマス隊長であった。
「え? あ、あの……現場、ですか?」
ロザーナが振り返ると、トーマスは面倒くさそうに息を吐き出した。
「ああ……。正直、俺たちもあんな作業、やる気なんてさらさらねーしな。なんなら、局の全員でカンパして金を払うぞ! なあ、お前らもそれでいいだろ?」
トーマスの呼びかけに、部屋にいた無気力な捜査官たちが一斉に顔を上げた。
「おーっ! そりゃあ助かる!」
「そうだぜ隊長! 名案だ! 金を払うだけであの炭と死体の山から解放されるなら、いくらでも出すぜ!」
あっという間に賛同の大歓声が巻き起こる。
戸惑うルイスの元へ、ロザーナがそっと顔を近づけ、小声で囁いた。
(ルイスさん……その、彼らの言っている現場というのは……例の、湖のほとりにあった……)
「あ、ああ……あの邸宅ね……」
ルイスの口元が歪んだ。
ルイス、リリィ、そしてロザーナらの活躍によって闇に葬られ、ド派手に焼き払われた、『プエルト商会』の潜伏していた跡地のことである。
「よし、それじゃあカンパを集めるぞー。銅貨一枚も払いたくねーって物好きな奴は、どうぞ現場に行きやがれっ!」
半ば脅迫に近い手際で、トーマスは鉄兜を逆さまにして局員たちから強引に銀貨を徴収し始めた。ジャラジャラと景気のいい音が兜の中に響き渡る。
「ありがとうございます! 皆さんっ!!」
ルイスは満面の笑みで、大きな声を張り上げて感謝を伝えた。
トーマスはズッシリと重みの増した鉄兜を、ルイスの胸元へドシャリ! と手渡してくれた。
「えっ?! こんなにたくさん?!」
「おう。そいつは俺たちの『もう一歩も動きたくねぇ』っていう切実な総意の塊だ。こちらこそ、厄介払いができて助かったぜ」
ニッと無精髭の口元を緩めるトーマス。ルイスは深い感動に包まれ、
「はいっ! 本当にありがとうございます! さっそく子供たちを集めて、すぐに取り掛からせてもらいますね!!」
と言うやいなや、ビューーーン! と風を切るような速度で廊下を走り去っていった。
「ちょっとバカっ! もう、待ちなさいってば!!」
呆れ果てたリリィも、慌ててルイスの後を追って走り去っていく。
彼らの足音が遠ざかり、廊下の曲がり角の向こうへ消えた頃――トーマスがぽつりと呟いた。
「おい……アイツら、そもそも現場の詳しい場所を知ってるのか?」
「…………あ」
ロザーナの顔が一瞬で蒼白に染まった。
「まったく、落ち着きのない奴ってのはどこにでもいるもんだなぁ。……ロザーナ、お前もついていって案内してやれ」
「ハッ!」
トーマスの命令を受けるやいなや、ロザーナも意気揚々と二人の後を追って廊下へ駆け出していった。
こうして厄介極まりない現地清掃の仕事を完全に丸投げできた安堵から、トーマスは再び自分の椅子へとドカリと深く腰掛けた。
彼はポケットから金属ヤスリを取り出すと、自分の爪を研ぎ始める。
「やれやれ……青春だねぇ……」
ぽつりと呟くと、ふぅーっ! と息を吹きかけ、爪の削りカスを散らした。




