19.孤児たちの仕事
一夜が明けた、翌朝のことである。
「ルイス! アンタもボサボサしてないで手伝いなさいよ! ほら、この大皿も運ぶ!」
「は、はいぃぃぃっ!?」
朝の爽やかな陽光が差し込む営業時間終了後の暗殺ギルド酒場には、怒髪天を衝くリリィの怒号と、それに悲鳴で応えながら料理の皿を手に駆けずり回るルイスの姿があった。
「ルイス君! 羊乳とオークの干し肉で仕立てた麦粥が炊き上がったよ。弱っている子供たちの胃袋には、これがちょうどいい」
あろうことか、裏社会の頂点に君臨するギルドマスター。ヴィクターまでもが、この謎めいた早朝の炊き出しにノリノリで協力していた。
彼は厨房から、湯気を猛烈に立ち上らせる大鍋をルイスへと手渡す。
「本当に……っ! すみません、ギルマス! それから、ここを快く貸してくださって、感謝の言葉もありませんっ!!」
ルイスは大鍋を慎重に受け取ると、その場で何度も深々と頭を下げた。
「なあに、気に病むことはないさ。ルイス君が我がギルドに落としてくれる金のおかげで、うちの財政も大いに潤っているからね。それに……君がまた何か面白そうな奇行を始めたと思うと、年甲斐もなく少々ワクワクしてしまってね」
ヴィクターは目元に深く渋い刻みシワを寄せ、ニヒルで魅力的な微笑みを浮かべる。
するとその隣で、なぜか料理番として過酷な労働に駆り出されていたリリィが、お玉を振りかざしながら冷ややかな視線を浴びせた。
「ギルマス、寝てないんだからね! 感謝しなさいよ、このバカ!」
「は、はいっ! 本当にすみませんっっ!!」
もはや床に額が付きそうなほどの勢いで平伏するルイスであった。
現在、暗殺ギルド酒場のホールは、普段の血生臭い静寂が嘘のような、賑やかで温かな歓声に満たされていた。
「キャハッハッハ! すごーい、なにこれ美味しいっ!」
「ねぇねぇ! お肉なんて、いつ以来かなぁ!?」
「モグモグモグモグ……ごっ!? グフッ、ゲホッ、ゴホッ!」
「ハッハッハー! アントニオお兄ちゃん、慌てて食べ過ぎだってばー!」
五歳程度の幼子から、十代前半と思しき少年少女まで、およそ二十人ほどの身寄りのない孤児たちが、大人の体格に合わせた不釣り合いな椅子とテーブルにつき、ご馳走を貪り喰っていた。
ルイスは大鍋から木鉢へとたっぷりと粥をよそうと、カウンター席にちょこんと腰掛け、まだ足の届かないエルフの幼女の前へとそっと置いた。
「はい、どうぞ! ミュイちゃん、自分で食べられそうかな?」
「……クンクン……なんだろコレ? ミュイ、この美味しそうな匂い知らない……」
小さな鼻をひくひくさせ、長いまつ毛に縁取られた瞳をパチパチと瞬かせるミュイ。
それを見たヴィクターが、腕を組んで得意げに解説を始めた。
「羊の乳のコクと、熟成させたオーク肉の塩気が効いた麦粥だ。普通の病人食は味気ないと相場が決まってるがね、それは違うぞ!」
そう口にすると、ヴィクターは子供たちの前を静かに離れ、カウンターの奥へと引っ込むと愛用のパイプに火をつけた。どうやら、幼い子供たちに配慮しているらしい。
「乳! ミュイ知ってるよ! オッパイでしょ!!」
元気を取り戻したミュイが、無邪気に小さな手を挙げて宣言した。
「……ッ!?」
予想外すぎる単語の炸裂に、思わず皿を落としそうになったルイスと、ほろ苦い顔をしたリリィの視線が空間で交錯する。
二人の大人たちの間だけに、なんとも言えない甘酸っぱくも気まずい沈黙が流れた。
やがて、孤児たちが久しぶりのまともな食事に歓喜する騒がしさを背景に、ルイス、リリィ、そしてヴィクターの三人は、カウンター越しに頭を突き合わせた。
「つまり……僕が考えたのはですね。この子たちが自分たちの力だけで生きいく為の仕事……『掃除』を専門にした商売が立ち上げられないか、ということなんです」
ルイスは己の構想がまだどれほど杜撰で甘いか自覚しつつも、目を輝かせて熱弁を振るった。
それを聞いたリリィは、開いた口が塞がらないといった様子で鼻を鳴らす。
「……はぁ? アンタバカじゃないの? そんな子供の雑用みたいな商売が上手くいくわけ……。……いや待って、掃除……? えっ、ちなみにそれって、いくら位で受けるつもりなのよ? 仮に、ウチの宿屋の部屋掃除を頼むとしたらだけど」
頭ごなしに否定したかと思いきや、途中で急に実利的な興味が湧いてきたらしい。
「まだ詳細は決めていませんけど……ここにいる二十人全員が毎日お腹いっぱい食べていける額となると……そうですね、一日全体で銀貨六枚から十枚くらいになれば万々歳かなぁ、なんて」
ルイスがのんびりとした口調で理想を語ると、
「ほう……それなら、我がギルドの清掃も、ぜひ受託してもらいたいものだな」
ヴィクターがニヤリと口元を緩めて話に乗ってきた。
「うん……確かに、面倒な掃除だけでも代わりにやってくれるならすごく助かるかも……」
リリィも顎に手を当てて真剣に思案し始めた。たった一人で宿屋を切り盛りしている彼女にとって、日々の清掃作業の負担が軽減されるのであれば、対価を払う価値は十二分にあると気づいたのだ。
「え?! いけそうですか? 本当に? なら、さっそくお試しでやってみましょうか! おーい、アントニオくーん!」
ルイスがホールに向けて声をかけると――
シュタッ! シュダダダダダッ!
足音と共に、椅子から一瞬で飛び降りたアントニオが、風を切ってルイスの足元へと滑り込んできた。
「はいっ! ルイスの兄貴! 自分になんなりとご命令くださいっ!!」
バシッと音を立てて片膝をつくアントニオ。胃袋を掴まれたどころか、大食い勝負を経てルイスはいつの間にか、この少年の絶対的な狂信と忠誠を獲得してしまったらしい。
「あ、あのね、アントニオ君……。みんなが食べ終わったらでいいからさ、全員で食器の片付けをしてほしいんだ。それと……ついでに、このお店の中を簡単に掃除してみてくれるかな?」
ルイスが苦笑いを浮かべながら提案すると、アントニオは弾けたように返答した。
「はいっ!! 喜んでお引き受けいたしますっ!!」
――それから、ちょうど一時間後のことである。
「「………………」」
ピカピカという擬音が目に見えるほど磨き上げられた店内の惨状に、ルイスとリリィは顎が外れそうなほど口をあんぐりと開けて固まっていた。
あのヴィクターでさえ、普段のポーカーフェイスを崩してうっすらと目を見開いている。
子供たちが使っていた木製の食器類は、完璧に油汚れが落とされ、厨房の棚へミリ単位の狂いもなく整然と積み重ねられていた。
床も、壁の木目も、重厚なテーブルも椅子も、埃ひとつ、曇りひとつなく鏡のように光を反射している。
「こんな感じでいかがでしょうかぁぁぁぁっ!?? ルイスの兄貴っっ!!」
雑巾がけで真っ黒に汚れた布を手にした孤児たちが、誇らしげに胸を張る中央で、代表としてアントニオがルイスの前に恭しくひざまずいた。
「……い、いや……これ、凄すぎない……?」
想定を遥かに超越した仕事ぶりに、ルイスもしどろもどろになるしかない。
そこへ、トコトコトコと小さな足音を響かせ、カウンターへ歩み寄ってくる愛らしい影があった。
ココである。
彼女はヴィクターを見上げると、小さな人差し指をピッと突き出した。
「おじちゃん、煙草……ダメ。壁と天井が、煙で黄色く汚れちゃう」
無垢で愛らしい、しかし一切の妥協を許さない指摘。
「あ、あぁ……。す、すまん……」
ギルドマスターたる男が、己の城であるはずの店内でバツの悪そうな顔を浮かべ、パイプの雁首をコンコンと灰皿に叩きつけて火を消す羽目になった。
「な、なにこれ……!? なんでアンタたち、そんな過酷な訓練を受けた戦闘部隊みたいな統率力で掃除ができるわけ!?」
リリィが信じられないといった様子で問い詰めると、アントニオは不思議そうに首をかしげた。
「え? 元いた孤児院じゃ、これが最低限の『普通』でしたよ? 床も天井も便器の奥も、舌で舐められるくらい徹底的に磨き上げろって叩き込まれましたから。……ルイスの兄貴、これで不十分でしたか? 仰っていただければ、さらに磨き上げますが……」
「え? そ、そんな……超・衛生管理が行き届いた立派な孤児院だったの……?」
「え? これが普通というか、生きるための最低条件じゃないんですか? 便器なんて、鏡代わりに顔が映るくらい綺麗にするのが当たり前でしたし」
「……いや、ちょっと待って……」
ルイスは急激な違和感と、謎のシンパシーに、冷や汗を流しながら問いかけた。
「そんな立派な仕事を教えてくれる場所から、どうして君たちは逃げ出してきたんだい……?」
それは至極全当な疑問であった。アントニオは平然とした顔で指を折り分ける。
「朝一番の掃除が終わった後は、街のドブ浚いと、畑耕し、午後は石切り場での石材運搬ですね。あ、小さい子たちは日暮れまでひたすら織物を織ってました。……それで、与えられる食事は一日にカビたパンが半切れだけだったので……」
過酷という言葉すら生ぬるい、完全なる非道な児童搾取の事実に、その場の空気が凍りついた。
「ふむ……リリィ君。すぐに追加の料理を作ろう。今すぐにだ」
ヴィクターが凄まじい早口で厨房へ向かおうとするが、
「いやいや! ギルマスさん、もう本当に俺たち、腹が千切れるくらい一杯ですからっ!」
と、アントニオが焦って制止する。
ヴィクターはやり場のない感情を誤魔化すように再びパイプを口にくわえそうになったが、脇から熱い視線を送ってくるココの無言の圧力に気づき、寂しそうにパイプをポケットへと仕舞い直した。
「ふむ……良いだろう! 私と契約を結ぼうではないか、ルイス君」
「え? ええぇっ!?」
「週に五日……酒場の営業終了後に、そうだな、一人来てもらえれば十分だ。日当として、銀貨一枚を支払おう!」
すると、負けじとリリィも身を乗り出してきた。
「私も頼むわ! ウチの宿は毎日! ウチも一日一人でいいから! 当然、銀貨一枚出すわよ!」
なんと、孤児たちが発揮した異常なまでの清掃スキルにより、初日にして二件もの上客を獲得してしまったのだ。
ルイスはほっと安堵の息を漏らすと、優しく微笑んだ。
「……ということだ、アントニオ君。君たちは、自分たちのその手と力で、ちゃんとお金を稼ぐことができるんだよ!」
「いぇぇぇぇぇぇっ!!! 一生ついていきますっ! ルイスの兄貴ぃぃぃっっ!!」
アントニオをはじめ、店内の子供たちが一斉に飛び上がって歓声を上げた。
しかし、ヴィクターは静かに現実的な課題を口にする。
「だが、ルイス君……。子供たち全員が自立して食べていくには、二件の契約ではまだまだ足りんぞ? もっと大きな、大口のクライアントを捕まえなければ……」
そう疑問を呈しながら、長年の癖でまたしてもパイプに手を伸ばしかけたヴィクターだったが、横からジーッと見張るようなココの鋭い視線を浴び、そっと手を引っ込めた。
「ええ、もちろん分かっています! 実は僕、すでに目星をつけているんですよ。この子たちの力を存分に活かせる、最高の大口取引先にね!」
ルイスはニカリと、自信と希望に満ち溢れた太陽のような笑顔を浮かべた。
あまりにも堂々としたその明るさと頼もしさに、ヴィクターとリリィは思わず顔を見合わせ、まったく同じ戦慄と確信を抱くのだった。
(……やっぱり、なんか、コイツ、やべぇって……)と。




