18.病は気から
暗殺者たちが影に潜んでヒソヒソと密談を交わし、酒を飲み、肉を食う。
ここは帝都の裏社会においても最も濃密で、罪深き者たちが集う格式高き隠れ家――暗殺者ギルドの社交場であった。
重厚な調度品と煙草の煙、そして死臭を引き摺る者たち特有の静かな殺気が充満するこの場に、今宵、謎の大騒動が幕を開けた。
――バァンっ!!
重々しい扉が、音を立てて豪快に開け放たれる。
「ローズマリーさん!! いますかぁっ?!!」
ルイスの必死すぎる絶叫が、店内の空気を切り裂いた。
室内にいた手練れの暗殺者たちが一斉に視線を向ける。
そこには、肩で息を荒く乱しながら、背中に小さな女の子を背負ったルイスが立っていた。
「……何事だね? ルイス君。ローズマリーなら、今は案件の最中だよ」
バーカウンターの内側でグラスを磨いていたマスター――ヴィクターが、整った眉をひそめて応じる。
「ど、どこにいるんですかっ!?」
「あいにくね。彼女がどこに潜み、どう処理しているかなど、私であっても把握してはいないのだよ……」
「そ、そうなのかぁ……! あ、あのっ! じゃあ、誰でもいいです! ここに病気に詳しい人っていませんか?!」
なりふり構わず叫ぶルイスの様子に、ヴィクターは只事ではない気配を感じ取り、溜息を一つ吐いてカウンターからホールへと歩み出た。
「一体全体、どうしたというのだね? そもそも……誰だい、その子は」
ヴィクターが近づこうとしたその時、開け放たれたままの戸口から、ゾロゾロと新たな来訪者たちが足を踏み入れてきた。
「ねえ、お兄ちゃん……ミュイは大丈夫なの……?」
「えー、ここどこぉ? お店ぇ?」
「入っていいのかなー? なんか、すっごくいい匂いがする〜!」
なんと、一様に薄汚れた身なりの幼い子供たちが、無警戒に足を踏み入れてしまったのだ。
殺し屋たちの巣窟に、およそ不釣り合いすぎる無垢な気配が雪崩込んでくる。
さらに、その直後。
「ルイスの兄貴っ! ほ、本当に、だ、大丈夫なんですか?! なんなんです? この場所……」
蒼白な顔で追いかけてきたアントニオと。
「ルイスっ! あーもう、バカっ!! どこに連れ込んでるのよっ!!」
呆れた怒号を上げ、駆け込んでくる暗殺者リリィの姿があった。
混迷と混乱の中、ルイスはすがるような目でヴィクターにしがみつく。
「この子、すごく重い病気みたいなんですっ!! お願いします! 誰か、この子を診てくれる人はいませんか?!!」
裏社会の最奥に位置する暗殺者の社交場で、一体何を医者代わりに探しているのかと小一時間問い詰めたい暴挙である……。
しかし、ヴィクターは一瞬だけ目を細めると、羽織っていた上衣を脱ぎ、空いていた大きめのテーブルの上にサッと広げた。
「そこに寝かせなさい。私が診よう……」
「は、はいっ! ありがとうございます!!」
ルイスは背負っていた少女を、壊れ物を扱うかのように優しくテーブルの上へ横たえた。
少女は痩せ細り、呼吸は荒く絶え絶えで、素人目に見ても危険な状態であることは明白だった。
しかし、周りで見守っていた猛者たちの意識は、それとは別の異質な点へと向けられる。
「おい……あの耳、エルフだ……」
「なんだって? なんで帝都に、エルフのガキなんかがいるんだよ……?」
ざわめきが波紋のように広がる。
ヴィクターは熟練の手つきで、ミュイと呼ばれた少女の瞼をそっと押し開き、瞳孔を覗き込んだ。
「この子は……年齢は、いくつだね?」
問いかけに対し、後ろからアントニオが意を決したように一歩前へ出た。
「分からねぇんだ! ミュイは、どこか遠くから連れてこられて……! 本人も、よく分かってなかったみたいで……」
要領を得ない説明だったが、ヴィクターは状況を察したように深く頷いた。
「おそらくだが……『刻歪み』だろうな」
「とき……ひずみ……?」
ルイスは呟いた。これまで相当な量の本を読み込んできた彼であっても、初めて耳にする病名だった。
「私も専門家ではないがね。この子のような、まだあまりに幼い長命種が、人間の街へと無理やり連れ込まれた際に発症する固有の症例だ。……彼ら長命種と我々人間とでは、流れる時間の体感が根本から異なっているからな」
「え? ちょうめいしゅ……?」
ぽつりと呟いたのはアントニオだ。
ヴィクターは少女の華奢な手首を取り、脈を測りながら告げた。
「おそらく……この子の実年齢は五十歳前後といったところだろう。人間で言えば、まだ五歳程度の幼子に相当するがね」
「「歳上っっっ?!!」」
ルイスとアントニオの声が綺麗に重なった。見た目は小さなな幼女でありながら、自分たちより遥かに長い年月を生きてきたという現実に、二人の脳処理が追いつかない。
「それにしても……一体どこから連れてこられたのやら」
ヴィクターが不穏な背景に眉をひそめると、ルイスが必死の形相で食ってかかった。
「それでっ! ヴィクターさん、どうすれば治せるんですか?!」
「ふむ……まずは彼女の精神を鎮めることだ……今は激しい環境変化による混乱の極致で、精神が異常をきたしている。あとは過度な刺激を避け、穏やかな場所で静かに療養させるしかないな……」
的確な分析を下すヴィクター。
すると、ホールで酒を飲んでいた暗殺者の一人が、ひょいと手を挙げた。
「なら、ちょうどいい特効薬があるぜぇ」
「リキッドさん!!」
声をかけたのは、表の顔は腕利きの薬師、しかして裏の顔は恐ろしい致死毒を自在に操る暗殺者――パイソン・リキッドであった。
彼は愛用の革鞄から、どろりとした怪しい濁り液の入った小瓶を取り出した。
「コイツぁな、猛毒ヘビの胆汁にワイバーンの油袋、さらにはポイズン・ドートの脂を絶妙な比率で調合した、特製の滋養強壮薬だ」
「大丈夫なんですかっ?!! それっ!!」
ルイスの顔が引きつる。名前を挙げられた材料が、百パーセント殺傷能力の高い毒物で構成されているからだ。
「なぁに、心配いらん。毒ってのはな、さじ加減と使い方次第で最高の薬にも化けるのさ。コレには強力な精神鎮静効果もある。風邪のひき始めなんざ、コレを一発あおって一晩寝ればケロリと治る優れものさ!」
パイソン・リキッドはニヤリと不敵な笑みを浮かべ、商品に対する絶大な自信を覗かせた。
ヴィクターとルイスが左右から、ミュイの小さな上半身をそっと抱き起こす。
アントニオは、今にも泣き出しそうなほどに、不安げな表情で見守るしかなかった。
「ちっとばかし……クセが強いんだがね。そこは我慢してくれよ、お嬢ちゃん……」
そう声をかけると、パイソン・リキッドは小瓶の口をミュイの小さな唇へとあて、ゆっくりと傾けた。
トクトクと流し込まれる怪しい液体。意識の朦朧としたミュイは、どうにか喉をコクコクと鳴らし、それを飲んでいく。
――そして、数秒後。
パチッ! と目を開くと。
「……ガッ! うっ!! …………まっずぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!?」
幼い身体のどこにそんなパワーが残っていたのかと疑うほどの、地獄の底から響くような超絶的な絶叫が炸裂した。
「うわっ?!」
「ッ?! うるさっ!!」
ルイスもアントニオも、思わず身を引きながら目を丸くして完全にフリーズした。
一秒前まで瀕死だった少女が見せたあまりの肺活量に、ヴィクターは面白そうに口元を緩めた。
「ふむ……。そう、このとおり効き目だけは確実なのだよ。……ただ、本当に恐ろしく不味いのだ。……リキッド、どうにかならんのかね? その味は」
ヴィクターが瓶を指差すと、パイソン・リキッドは悪びれる様子もなく肩をすくめた。
「良薬は口に苦し……ってのが、古今東西どこに行っても共通の真理らしくてねぇ」
うれしそうに言い放つ毒薬師。
テーブルの上で上半身を起こしたエルフの少女は、
「……ヒックッ……ふぇぇぇぇ……っ」
涙目で顔を盛大にしわくちゃにさせながら、苦い息を吐き出すのだった。




