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うっかり最強暗殺者の生存戦略  作者: ヤマザキゴウ
うっかり最強暗殺者の業務日誌

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16.黙秘の果てに

 ――帝国憲兵騎士団・特別捜査局。


 その本庁舎の最奥、地下特有の湿気とカビの匂いが漂う取調室では、不毛を絵に描いたような時間がダラダラと流れていた。


 分厚い石壁に囲まれた室内に持ち込まれているのは、酷使されて軋む木製の机と椅子、そして申し訳程度に差し込む高窓からの斜光のみ。そのどんよりとした空気の中心で、特別捜査局の隊長トーマス・ホフナーは、心底うんざりしたように頬杖をついていた。


「……そろそろ、なんでもいいから話してくれんかねぇ? お前さん、悪名高きグレイブ一家の下っ端なんだろ?」


 トーマスの声には、緊張感など微塵も存在しない。無精髭の生えた顎を擦りながら、眠たげな半開きの目で対面の男を見つめている。


「……知らねぇ……」


「ハァ……。なあ、分かるよ? 意地を張りたくなる男心ってやつはさ。でもさぁ、お前も早くこんなカビ臭い部屋を出て温かいスープでも食いたいだろ? 俺だってなぁ、定時で仕事を終わらせて一杯引っかけに行きたいわけ。だからさ、ここはお互い大人になって、上手くやろうや……な?」


 諭すというよりは、もはや哀願に近いトーンでトーマスは語りかける。

 しかし、椅子に縛り付けられた粗暴な男の返答は、毎回、寸分違わぬものだった。


「……知らねぇ……」


 ずっと、これである。

 かれこれ数時間、いつもの朝を迎えたニワトリのように、同じ言葉を返すばかりだ。


 部屋の隅、紙とインク瓶を前に書類仕事を進めていた書記担当のロザーナ・ベルトランは、羽ペンを握る手を止め、呆れ果てたため息をついた。


 きっちりと整えられた騎士団の制服が、彼女の几帳面な性格を物語っているが、その眉間には深々と皺が刻まれている。


「ふん……。やっぱり、言葉だけじゃダメか? 古い手法なんだがなぁ……『怖い騎士と、優しい騎士』ってやつ? その頑丈そうな身体に直接聞いてやった方が、お口が滑らかになるんじゃないかねぇ?」


 トーマスはだるそうに拳を軽く打ち鳴らしてみせるが、そこに凄みは皆無だった。


「隊長……」


 すかさず、ロザーナから氷のように冷ややかな制止の声が飛ぶ。

 威嚇の真似事すら即座に咎められ、トーマスは肩をすくめた。


「ふぅ……。なあ、頼むからよ。『見張り役を命じられただけです、自分は何も知りません……』それだけ言ってくれりゃあさ、適当に書類をでっち上げて全部終わりなんだわ。……な? 楽になろうぜ?」


 取調官としてはあるまじき妥協案を提示するトーマス。

 しかし、男は横柄に鼻を鳴らし、明後日の方向を向いて唾を吐き捨てるような態度を崩さない。


「……ふんっ! 知らねぇ……」


 見事なまでの無駄骨である。

 トーマスとロザーナは同時に深く、重いため息を吐き出した。


 その時だった――。


 重厚な鉄製の扉が、何の前触れもなくガチャンとけたたましい音を立てて開放された。


「どうかね? 取調べは順調かね?」


 ノックという最低限の礼儀すら無視して踏み込んできたのは、つややかな金の刺繍が施された豪奢な軍服を身に纏う男――新任の第一騎士団長、マグナス・クレイマンだった。


「はっ! 団長殿。……いやぁ、まったくもって、これっぽっちも進んでおりませんで!」


 トーマスは素早く椅子から立ち上がると、極めて胡散臭い敬礼を捧げた。

 ロザーナも慌てて起立し、背筋をピンと伸ばす。


「そうか……。実に残念だよ。世間から『猟犬』と恐れられる特別捜査局がどれほどのものかと期待していたが。……捜査隊隊長トーマス君、失望したよ」


 マグナスは優雅な取り立てで室内へ歩を進めると、氷のように冷徹な視線をトーマスの横顔に突き刺した。

 端正な顔立ちには、あからさまな軽蔑の色が浮かんでいる。


 マグナスの高圧的な態度に対し、正義感の強いロザーナが思わず口を挟んだ。


「……失礼ですが、団長殿! この容疑者は、時間をいただければ確実に我が局で"落とせ"ます。……誠心誠意向き合い、罪を認めさせ、これからの道を諭すべきかと……」


「誰が、そんなヌルい対応を望んでいると言った?」


 ロザーナの言葉を強引に遮り、マグナスはその整った顔立ちを凶悪な嘲笑で歪ませた。


「……そ、それは……その……」


 冷酷な威圧感に気圧され、ロザーナは言葉を詰まらせる。

 マグナスはうんざりしたように首を振ると、ロザーナへ向けて諭すように手を振った。


「はぁ……いいかね、ロザーナ君。頼むから私に、読むのも苦痛な小難しい調書を提出しないでくれたまえ。できるだけシンプルで、短く、一目で状況が分かる……私はただ、それだけを望んでいるのだよ」


 その無茶な要求に対し、トーマスが苦笑いを浮かべながら助け舟を出した。


「団長殿、コチラもかなり分かりやすい筋書きを提案してるんですよ? 『コイツは命じられただけの下っ端で、組織の全貌など何も知らされていない』……これで手を打とうとしていたんですが、ご不満ですか?」


 マグナスは答えず、拘束された男の前に歩み寄ると、見下すように問いかけた。


「ふむ……君、本当に何も知らないのかね?」


「……知らねぇ……」


 男は徹底的にその言葉だけを吐き出すよう、組織から固く命じられているのだろう。虚無な瞳で同じ返答を繰り返す。


「ほら、見たかね? これはあからさまに何かを隠している態度だ。バカでなければ、誰が見ても明白だろう?」


「……ですから! だからこそ、グレイブ一家の組織体制や現在の動向を吐かせる必要があるのです。どうか我々にお任せを――」


 なおも食い下がるロザーナの言葉を、マグナスは退屈そうに耳をほじくる仕草で受け流した。


「あー、面倒だ。実に面倒だよぉぉ、ロザーナ君。そんな難解な調書を、私に読ませないでおくれ……。そうだな……、私ならもっとシンプルで、誰もが納得する美しい筋書きを作れるが?」


「……それは、どういう意味で……」


 ロザーナが怪しむように問うた瞬間――トーマスは何かを察知し、そっと目を閉じると、無言で一歩後ずさった。


 マグナスは拘束された容疑者の背後に静かに回り込むと、懐から一振りのナイフを滑り出させた。小窓から差し込む一筋の陽光を受け、豪華な装飾が施された刃がキラリと凶悪な輝きを放つ。


 次の瞬間――。


「グッ……フグぅッ??!! ブバッ!!」


 一切の躊躇もなく、マグナスはその鋭利な刃で男の首を真横に掻き切った。


 動脈から鮮血が噴水のように勢いよく舞い上がり、室内の殺風景な木製机と石壁を真っ赤に染め上げる。


 血が自分にかからないよう、マグナスは男の後ろ首を鷲掴みにし、固定していた。


 ロザーナの整った眉間に、亀裂のようなシワが刻まれる。

 彼女の白い頬にも、数滴の温かい血が飛散していた。


 ――ゴツン!


 マグナスは息絶えかける男の顔面を、血の海と化した机に乱暴に押し付けた。


 ガタン、ガタンと凄惨な痙攣を続けていた名も知らぬ男は、やがて力尽きたように動きを止めた。


 室内を支配する圧倒的な静寂と血生臭さの中、マグナスはポケットからシルクのハンカチを取り出し、指先を丁寧に拭きながら言い放った。


「ふむ……『容疑者は取り調べの最中、隠し持っていた刃物で自害……。この不手際はすべて特別捜査局の管理責任であり、本件に関するいかなる処分についても、我々特別捜査局は一切の不服を申し立てません』……と、書き記したまえ」


 その横柄極まりない態度。

 捏造という言葉すら生ぬるい、白を黒と言い換えるような暴挙に対し、ロザーナの顔は怒りで真っ赤に染まった。


 しかし、この地獄絵図のような惨状の中で、トーマスは至って平然と口を開く。


「……なら、団長殿。そのナイフ、証拠品として押収したいんで渡してもらえますかね?」


 トーマスは脱力した手付きで、すっと手を差し出した。


 マグナスは一瞬だけ目を細めると、薄笑いを浮かべて首を振った。


「……ああ、では……少し修正しようか。『ロザーナ・ベルトラン書記のショート・ソードを奪い取り、自害……』そうすることにしよう」


 まるで世界の理すら自分の意思ひとつで書き換えられると信じて疑わない、神気取りの傲慢さ。

ついにロザーナの忍耐の袋が弾け飛んだ。


「貴様ッ!! 騎士としての誇りは微塵もないのか?! なんなのだ、この反吐が出るような茶番劇は?!!」


 正真正銘の、ブチ切れである。

 静寂な取調室に彼女の怒号がこだました。


「……ほう。『貴様』とな? この私、名門クレイマン騎士爵家のこの私に向かって……『貴様』と言ったかね?」


 マグナスの瞳から感情が消え、絶対的な権力者の威圧感がロザーナを射抜く。


 だが、緊迫した空気を台無しにするように、トーマスがだるそうに割り込んだ。


「団長殿……さすがに、それは、色々と無理がありますって。証拠の整合性も取れやしません。その……本気でおっしゃってます?」


 やる気のない、しかし至極まっとうなトーマスの突っ込みに対し、マグナスは肩をすくめてみせた。


「無理? 本気? いやぁ、私には君たちの言っている意味が分からんな。私は『そうしろ』と命令しているだけだが?」


 その身も蓋もない言葉に、トーマスもついに諦めたように肩を落とした。

 ――なるほど、権力という暴力的ロジックの前では、現場の秩序など容易く上書きされてしまうらしい。


「こんな不条理が……許されていいはずがない……!」


 ロザーナは悔しさに歯ぎしりをし、両拳を強く握りしめる。


 マグナスはそんな彼女を一瞥すると、興味を失ったように背を向けた。


「ふん……役立たずの『猟犬』どもは、この件から外れろ。別命があるまで、例の火災現場の片付けでもしているんだな」


「はぁ? ちょっと待ってくださいよ。あそこは地主の子爵が人足を雇って片付けるから、現場検証を即刻切り上げろと命令されたばかりですよ?」


 これにはトーマスも眉をひそめ、物言いをつけざるを得なかった。

 しかし、マグナスは満足げに目を細めて微笑む。


「ああ、あの土地なら先ほど私が個人的に買い取ったのだよ。湖が一望できる、素晴らしいロケーションだからね。せっかくなら……別荘でも建てようと思ってね。まあ! というわけだ、頼んだぞ……」


 そう言うと、マグナスはポンポンとトーマスの肩を叩き、血生臭い取調室から優雅な足取りで去っていった。


 重々しい扉が閉まり、静寂が戻ってくる。


「……なんなのですか、アレはッ?! アレが我々の新たなトップなのですか?! 隊長、なんとかならないのですかッ?!」


 地団駄を踏みそうなほどの憤慨を見せるロザーナ。対するトーマスは、脱力したように大きくため息をつくと、力なく椅子へ倒れ込むように座り直した。


「……これが『飼い犬』の悲しい宿命ってやつさ。飼い主が黒と言えば白も黒になる。ご主人様には逆らえんのよ……」


「……で、コレ……本当にどうするのですか?」


 ロザーナは苦々しい表情で、机の上に突っ伏している男の死体を指差した。

 首からは今なお血が滴り、悲惨な状態である。


「どう……しようかねぇ?」


「もう……隊長っっっ?!!」


 直属の上司のあまりの頼りなさに、ロザーナは頭を抱えて叫んだ。


 ――その、直後だった。


「……!?」


 死んでいたはずの男が、ガバッ! と唐突に上半身を起こしたのである。


 首の傷口と口元を凄惨な赤で染め上げ、焦点の定まらない虚ろな瞳を剥き出しにした男は――。


「……知らねぇ……俺は……なにも、知らねぇ……」


 ガラガラと掠れた声でそれだけを呟くと、再びベシャリ! と派手な音を立てて血溜まりの机へと倒れ込んだ。


 完全に沈黙する室内。

 トーマスもロザーナも、目を限界まで見開き、身体を極限まで引きながら硬直していた。


 数秒の後。


 二人は言葉を失ったまま、どこまでも間抜けな顔を見合わせるのだった。

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