15.ひだまりの閃き
日中の光がやわらかく差し込む、白百合亭の食堂。
「ささっ、もっと遠慮しないで食べて食べて!」
ルイスに底抜けな笑顔で勧められるまま、小さな女の子――ココは、両手で大事そうに抱えた白パンをちまみちまみとハムスターのように噛みしめていた。薄汚れた頬を膨らませ、一生懸命に咀嚼する姿は実に愛くるしい。
「うん……ルイスお兄ちゃん、ありがとう……」
そう健気に感謝を口にすると、ココはテーブルの上のカゴいっぱいに盛られた焼きたての白パンをそっと手に取り、大きな服の懐へとガサゴソとしまい込み始めた。
「あ、いや……そのね、ココちゃん? あったかい焼きたてのうちに食べちゃった方が美味しいよ?」
ルイスが苦笑しながら声をかけると、ココは手に持ったパンを抱きしめるようにして、申し訳なさそうに瞳を潤ませた。
「……でも、お兄ちゃんやお姉ちゃんたちにも……、食べてほしいから……」
その幼くも健気きわまりない言葉が食堂に響いた瞬間――。
厨房の奥から、心底不機嫌そうな視線が突き刺さった。
腕を組み、冷ややかな目で見下ろしていた看板娘のリリィである。
ルイスが「やっぱり怒られるかな……」と恐る恐る含みを持たせた視線を向けると、リリィは大きくため息をついた。
「…………ふぅ……。アンタがバカなのは前から知ってたけど……本当に救いようのないお人好しのクソバカねっ!! まったく……っ!」
そう毒づきながらガタリと激しく立ち上がると、リリィはツカツカと奥の釜に向かって歩き出した。
口では容赦なく罵倒しつつも、ルイスの意図を察して持ち帰り用の追加のパンをわざわざ焼いてくれるつもりらしい。一見冷徹に見えて、この看板娘も相当なお人好しであった。
「ほらっ、リリィお姉さんがまた新しく焼いてくれるから、手元にあるやつは全部ココちゃんが食べちゃって大丈夫だよ!」
「うん……っ!」
ココは嬉しそうに何度も頷くと、安心したように白パンの咀嚼を再開した。
「で、どうだった? お兄ちゃんやお姉ちゃんたちは、僕の話を聞いてくれる気になったかな?」
「……うん。でも……一番上のアントニオお兄ちゃんだけが……橋の下じゃない別の場所でなら、会ってもいいって……」
やはり、極限の生存競争を生き抜いてきた子供たちの警戒心は相当に強いようだ。自分たちの絶対的な聖域である住処を教えるわけにはいかないが、代表者一人だけが別の場所で会うのであれば、話を聞く準備があるという。
だが、門前払いを喰らわなかっただけでも一歩前進と言えた。
「そっか! いまはそれで十分だよ。そうだなぁ……待ち合わせ場所は、大通りのドルテオさんの屋台の前なんてどうかな?」
「うん、アントニオお兄ちゃんにそう伝えてみる……」
コクンと可愛らしく頷くココ。
ルイスが「よしよし」と満足そうに頷いたその時、厨房の奥から鋭い怒声が飛んできた。
「ルイスッ! そこに置いてあるベーコンと干しぶどうのサラダも持っていきなさい!!」
「は、はいぃぃぃっっ!!」
命令されるや否や、ルイスは弾かれたような素早さで厨房へと駆け込み、ズッシリと重い大皿を抱えてテーブルへと戻ってきた。
「さあココちゃん! これ、パンに挟んでサンドイッチにして食べると最高に美味しいんだよ! 試してみて!」
「……うん……あの……ルイスお兄ちゃん、これも……みんなに持っていってもいい……?」
おそるおそる大皿を見つめるココに、ルイスは困ったように厨房へ振り返った。
「り、リリィちゃん! あ、あの……もしできれば、これも……」
「バカっ!! そんな大盛りのサラダ、今ここでアンタたち二人で食いきれるわけないでしょ!? 持ち帰る前提で出してるのくらい見れば分かんなさいよこの大バカ!!」
すさまじい勢いで怒鳴りつけられ、ルイスは面食らってパチクリと目を丸くした。
……そういえば昔、故郷で読んだ娯楽本の中に、こういう「態度はずっとツンツンしているのに、行動や心根が異常にデレデレして優しい」という謎の属性を持ったヒロインがいたような気がする。
リリィの意外すぎる一面を目の当たりにしつつも、ルイスは命が惜しいので何も言わないでおいた。
「よかったねぇココちゃん! ほら、リリィお姉さんにお礼を言わなきゃ!」
ルイスが促すと、ココはぱっと顔を輝かせた。
「うん! リリィお姉さん、美味しい料理をありがとう!」
可愛らしい声で感謝を向けられたリリィはといえば――「ふんっ!」と激しく鼻を鳴らし、顔を隠すようにして、捏ね上がった生地を釜の奧へと放り込んでいた。
(う〜ん……それにしても、仕事か……。あの子たちでも安全にできる仕事……畑仕事とか……?)
ルイスはあごに手を当てて思考を巡らせた。
ルイスが生まれ育った山村では、幼い子供であっても親の手伝いとして十歳未満から土を耕し、作物を育てるのが当たり前だったのだ。
(でも、この帝都に畑として使えるような土地なんてあるのかなぁ……。仮に大金を叩いて土地を買えたとしても、土質が耕作に向いてるかどうか分からないし……)
社会の底辺で怯える子供たちに「健全な仕事」を与え、真っ当な世界で生きていくためのきっかけを作るという難題。
ルイスは本気で頭を抱え込んだ。
すると――。
「ちょっとルイスッ!! いつまで悩んでるのよ! 表の掃き掃除と窓拭きをさっさと済ませてきなさいっ! 今日の食事代はサービスしてあげるんだから、それくらい働きなさいよっ!!」
「は、はいぃぃぃぃぃっっ!! ただちにやってまいりますっ!!」
ルイスは駆け出すと、ホウキと雑巾を抱えて表通りへと飛び出した。
午後の日差しが注ぐ表通りで、枯れ葉をシャッ、シャッ、とテンポよく掃いていく。
「う〜ん……狩り? いやいや、さすがにココちゃんたちにはまだ危険すぎるか……。じゃあ冒険者? ううん、それこそ命がいくつあっても足りないよなぁ……」
掃除に集中するあまり完全に心ここにあらずの状態で、無意識にホウキを動かし続けていると――。
「おや? ルイスさん。相変わらずお勤勉ですねぇ」
ぬっ、と横から声をかけてきたのは、ボサボサ頭に眠たげな目をした、猫背の女性だった。
「あ、ローズマリーさん! お疲れ様です!」
ルイスは手を止めて挨拶した。彼女は暗殺者ギルドに所属する同僚――『掃除屋』のローズマリーである。
「噂で聞きましたよぉ、ルイスさん。昨晩はギルドで大活躍だったそうですねぇ。クッヒッヒッヒッ! 第一騎士団長様の喉元に、一瞬でナイフを突きつけたとか……?」
実に楽しそうに肩を揺らして笑うローズマリー。
「い、いやぁ~! その、ついね! 体が勝手に動いちゃいまして……あはは……っ」
「私もその現場を見たかったですねぇ。昨夜はあいにく、ちょっと厄介な案件が入っておりましてね。見逃して実に残念です」
「ローズマリーさんは、今日はお休みなんですか?」
「いえいえ、今日は『表の本業』の日ですよ。これから診療所に向かうところです」
「ん? 診療所……? えっ、ローズマリーさんって、表のご職業は何をされているんですか?」
「あれ? 言っていませんでしたっけ? 私、こう見えて『医者』なんですよ」
「い、医者っ!??!?」
ルイスの喉から素っ頓狂な声が漏れた。
「ええ。自分で言うのもなんですけれど、腕が良いと結構評判でしてねぇ。怪我をした冒険者の方々がよく利用してくださるのです。……特に、『縫合』と『骨接ぎ』が得意でして」
淡々と語るローズマリーに対し、ルイスの脳内では猛烈な混乱が渦巻いていた。
(……人体をバラバラにするプロフェッショナルが、表では人体を綺麗に縫い合わせて治してるって……?)
裏と表のあまりに狂った不条理なギャップに、ルイスの思考回路が焼き切れそうになる。
「ルイスさんも、もしもお仕事中に腕や脚を切り落とされるようなことがありましたら、いつでも診療所へいらしてくださいね。元通りキレイに繋ぎ合わせて差し上げますから……クッヒッヒッヒッ……。おっといけない、では失礼しますよ」
去り際に恐ろしい一言を残し、ローズマリーは猫背を揺らしながら去っていった。
ルイスは無意識のうちに己の右肩をガッシリと押さえ、冷や汗を流していた。
……どうか生涯、彼女の患者にだけはならないように祈るばかりである。
「は、はい……お気をつけて……」
引きつった笑顔で見送ったルイスは、はぁぁと深いため息をつき、再び掃き掃除へと意識を戻した。
シャッ、シャッ……と、枯れ葉を集める規則的な音。
「……ん?」
ふと、ルイスの動作がピタリと止まった。
持ち手の中央を握りしめたまま、そのホウキをまじまじと見つめる。
「……掃除……。掃除屋……。……掃除っ!!!」
その瞬間――ルイスの脳内に、雷が落ちたかのような激しい閃きが奔った。
「ハッ……!??!」
ルイスは勢いよく白百合亭の窓へと振り向いた。
ガラス窓の向こう――食堂のテーブルでは、リリィが「これ美味しいから食べなさいよ」とばかりに、焼き立ての熱々なアップルパイを優しくココの皿へ載せてやっている光景が見えた。
普段の凶暴な態度からは考えられない、リリィの、あからさまな優しさと温もり。
ルイスは窓越しにその光景を目撃し、自身の閃きと相まって、ニ~ッと怪しげな笑みを浮かべた。
――その時。
ルイスの生温かい視線に気づいたリリィが、パッと顔を上げた。
窓越しにルイスの笑みと目が合った瞬間、リリィの目が血走り、額に青筋がピキピキと浮かび上がる。
そして彼女は、ココに見えないよう片手を首元に当てると――親指で自分の首を横にスッと掻っ切る、凶悪きわまりないジェスチャーをして見せた。
ガラス一枚隔てているはずなのに、ルイスの耳にはリリィの心の声がハッキリと、鮮明に聞こえた気がした。
(殺すわよ……!)
……と。




