14.試される刃
夜更けの暗殺者ギルド。その薄暗いカウンター席で、ルイスは深く腕を組み、頭を抱えていた。
「う〜ん……うう、んんんんんん……っ?」
カックンカックンと首を上下に揺らし、眉間に深刻なシワを寄せているルイス。
そのすぐ隣から、心底うざったそうな刺々しい声が飛んできた。
「ちょっと、何またバカみたいにウンウン唸ってるのよっ!? 冷めないうちに早く食べなさいよ!」
リリィの容赦ない怒声だ。
二人の目の前には、今宵の夕食――ギルドマスターであるヴィクター特製の『焼きたてミートパイ』が、肉汁の香りを漂わせながらアツアツの湯気を上げていた。
「あ……ご、ごめんなさい……」
ルイスは慌ててフォークを手に取ると、サクサクのパイ生地を大きく開けた口へ運び、ムシャムシャと頬張り始めた。
「フッ……」
カウンターの内側でグラスを拭いていたギルドマスターのヴィクターが、可笑しそうに口元をほころばせる。
「で、一体なにをそんなに悩んでいたんだい?」
「むしゃむしゃ……ゴクンッ! ええとですね……何か、子供でも安全にできるようなお仕事って、ないかなぁ〜って……」
「あー、要するにアンタでもできるような仕事ってことね? なら今すぐ諦めなさい。アンタには狩りと、人殺し以外の才能は一切ないんだから」
「いや、あのね、リリィちゃん……僕、こう見えてももう子供じゃないし……」
情けない顔で涙目になりながらすがりつこうとするルイスだったが、リリィは「はいはい」と面倒くさそうに手をヒラヒラと振ってあしらうだけだった。
その時、グラスを磨き終えたヴィクターが、静かに口を開いた。
「ところでルイス君、今日も見事な仕事ぶりだったね。今回の報酬だが……また預金かい?」
「モグモグ……ウン、ウンッ!!」
口いっぱいにミートパイを詰め込んだルイスは、激しく首を縦に振った。
「だーかーらー! その、口の中に食べ物を詰め込むクセやめなさいっ! 下品よっ!!」
リリィがピシャリと咎めるが――。
「いやいや、ルイス君はいつも本当に美味しそうに私の料理を平らげてくれるからねぇ。作り手としては料理人冥利に尽きるというものさ」
ヴィクターは目尻を下げ、心底満足そうに目を細めた。
「モグ……モグ……むふぅ〜〜っっ!!」
実際、言葉にならないほど絶品らしい。
ルイスはパイ皮を散らしながら、猛烈な勢いで二切れ目のミートパイを貪り食っていた。
――まさにその時。
カチャン、とギルド酒場の重厚な扉が開き、あまりにも場違いで物々しい集団が店内へと踏み込んできた。
酒場のあちこちのテーブルに陣取っていた凶悪な暗殺者たちが、一瞬で口数を減らし、息を潜める。
カウンターの奥で煙草の準備をしていたヴィクターの表情が、極めて不快そうに歪み、眉間に深い溝が刻まれた。
リリィが警戒心露わに振り返る。
ルイスだけは相変わらず無我夢中でパイに夢中になっている。
踏み込んできた集団の先頭に立つ男が、ルイスの背後へ滑り込むように立つと、朗々と大声を張り上げた。
「やあやあ! 暗殺者諸君! 本日の仕事は実に鮮やかで助かったよ! わざわざこの私が、直々に感謝の言葉を伝えたくてねぇ……!」
トン、とヴィクターが磨いていたグラスを静かにカウンターへ置いた。
「……困りますね。依頼人という立場でありながら、直接ここに来るのは……」
ヴィクターが静かな怒りを込めて咎めた相手――それこそが、新任の第一騎士団長マグナス・クレイマンであった。
彼はあろうことか、白銀の甲冑に身を包んだ第一騎士団の部下たちを引き連れ、帝都の最暗部であるこの場所へ堂々と踏み込んで来たのだ。
「で? 例の――『狩人』と呼ばれる凄腕の暗殺者は、一体どちらのどなたかな?」
マグナスが細めた瞳で店内を舐め回すように見渡す。
すると――ヴィクターも、リリィも、周囲の暗殺者たちも、揃って一斉に『ある一点』へと視線を向けた。
そこには、口の周りを肉汁とパイ生地のカスでドロドロに汚しながら、ガツガツと無心でミートパイを貪り食っているルイスの姿があった。
視線を感じたルイスは、パイを口に咥えたまま首をかしげた。
「モグモグ……ん? んん? ん……?」
振り返ったルイスの顔面には、溢れんばかりの間抜けさが漂っている。
「…………君が、例の……?」
あまりに予想外すぎる間抜け面に、マグナス騎士団長の完璧に整えられた表情が引きつった。
「モグモグモグモグ……ッぐ!? むぐっ!!?」
事態を察して慌てて丸呑みしようとしたルイスだったが、運悪く喉の奥へ巨大な肉塊が詰まってしまった。
胸をドンドンと拳で激しく叩きながら、ルイスの顔面が急速に青紫へと変色していく。それを見かねたリリィが――。
バンッ!!
「しっかりしなさいよこのバカッ!!」
リリィがルイスの背中を、けたたましい音とともに叩き割らんばかりの勢いでぶん殴った。
「ぶえっっ!!? ……プハァッ! ハァ、ハァ、ハァ……っ!」
突っかえが取れたルイスは、目の前のグラスを引っ掴むと、一息に深紅のワインをゴクゴクと飲み干した。
そして、サッと素早く立ち上がると――。
「はいっ! 僕がルイスです……。まあ、誰が呼び始めたのかは知りませんが……人は、僕のことを『狩人』などと呼んだりもしますかね……」
すっと片手を胸に当て、遠くを見つめるいつものキザな「謎演技モード」が発動した。
「そ、そうか……。いや、実に……実に鮮やかな手際だったよ。感謝する……」
若干引きつつも、マグナスは差し出されたルイスの手を握り締めた。
その瞬間――。
――ゲフッ!!
「ぐっっ!!?!?」
真正面からルイスの濃厚なミートパイ&ワイン臭の混ざったゲップを直撃させられ、マグナスは唸り声を上げて全力で顔を背けた。
「あ……失礼……」
ルイスは口元を袖でそっと拭った。
「ふ、ふん……! ……まあいい」
出鼻をくじかれたマグナスは荒く息を吐き、不快感を隠そうともせずに体制を立て直すと、不意にヴィクターへ向き直った。
「ところで、ヴィクター殿……この胡散臭い酒場が、我々第一騎士団の『お目こぼし』があってこそ、こうして呑気に営業できているということは……当然ご理解されているのかな?」
背後に控える騎士団員たちも、ニヤニヤと意地の悪い嘲笑を浮かべ、腰の剣に手を置いている。
ヴィクターは静かな手つきでパイプに火をつけた。
紫煙とともに、低い声を吐き出す。
「まさか、第一騎士団長ともあろうお方が……この私を脅そうとおっしゃるのですかな?」
ヴィクターの眼光が、冷ややかな殺気を孕んでマグナスを射抜く。
「いやぁ、別にそういうわけではないさ。だがね……私の意向ひとつで、この酒場の営業も、怪しげな暗殺者ギルドの存続も……どうとでもできるということだ。それだけは忘れてもらっては困るな……」
マグナスは真意を煙に巻くように肩をすくめてみせた。
「……マグナス騎士殿。貴殿のお父上は、常にスマートで気品あるクライアントだったがね? 決してそのように、貴族としての浅はかな威光をひけらかすような真似はされなかったが……?」
ヴィクターが精一杯の皮肉と毒を込めて告げた、まさにその瞬間――。
「なんですとぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!??!」
腹の底から絞り出されたような、ルイスの魂の絶叫が酒場内に轟き渡った。
「え? は……?」
耳がキーンと鳴り響き、マグナスは素で戸惑いの声を漏らした。
「貴族さまでしたかっ!??!?! 大変大変失礼いたしましたっっ!! え、あのっ、失礼ですが詳しい階級はどちらで……!?」
ルイスは身を乗り出してくる。
「ふ、ふむ……まあ、我が家系は誇り高き『騎士爵』だが……」
「おおおおおぉぉぉぉッッ!! 騎士爵さまっ!! すごい! 凄まじい!! いやぁ〜格好いいなぁ! 実に憧れちゃいますねぇーっ!!」
急に狂ったような勢いでヨイショし始めるルイス。
「ん? そ、そうかね? ふふん、まあそうだろう! 私はすごいのだよ!」
突然の猛烈な賛辞に、マグナスは鼻の下を伸ばして満ざらでもなさそうな顔になった。
「いやぁ〜! アレッ!? よく見たらめちゃくちゃ男前じゃないですかぁ〜!? えっ、もしや昔、舞台役者か何かやられてました!? うわ〜、血筋が高貴な上に強くて、お顔まで超ハンサムだなんて……いやぁ〜羨ましいなぁ! 僕なんて逆立ちしても敵わないや〜!」
ルイスの目が血走っている。
必死も必死、命がけのヨイショだ。
ルイスの悲願――その企みの最高難易度の事項。それは『貴族のコネを作る』こと。
いま目の前に、輝かしい貴族という名の太い糸が垂らされているのだ。全身全霊をかけてすがりつくのは当然であった。
「ふむ……ルイス君。実に気に入ったよ。……どうだね、私の『専属』にならないかい?」
「はいっっ!! 喜んでお受けいたしますっっ!!」
ルイスが食い気味に叫んだその時――冷徹な声がそれを叩き切った。
「……いや、断る」
ヴィクターの目が、刃物のように鋭く光っていた。そして続ける。
「専属契約を結ぶとなれば、新たな契約書が必要だ。それに……我がギルドの『狩人』の指名料は、貴殿の提示できる額を遥かに凌駕するほど高額なのでね」
「ほぅ、……私に逆らう気かね? ならば今ここで何人か拘束しても構わんのだぞ? 本日の凄惨な殺人事件の『重要参考人』としてね……」
マグナスが冷酷に言い放った瞬間――ガタリッ!!
店内の暗殺者たちが一斉に立ち上がり、懐へ手を伸ばした。
それに応じるように、第一騎士団の面々もシャラリ! と鋭い金属音を響かせてロングソードを鞘から引き抜く。
一触即発、血の雨が降る直前の緊迫が立ち込めた。
しかし――。
「……やめろ……」
マグナスの声。僅かに、だが、震えていた。
彼の咽喉元――皮膚が一ミリ沈むほど至近距離に、冷たく研ぎ澄まされた刃の煌めきがピタリと押し当てられていた。
あと一ミリでも動けば、頸動脈から鮮血が吹き出し、命を落とすだろう。
その完璧な、暗殺の刃を握っていたのは――。
「……ルイス……アンタ……っ」
リリィが息をのんで呟いた。
ルイスは静かな笑みを浮かべたまま、寸分の狂いもなくマグナスの首元へナイフを突きつけていたのだ。
しかし次の瞬間――。
「あ、ああっ!??! あ! ごごごごごめんなさいっっ!! そ、その僕ったら……強い殺気に体が勝手に反応しちゃってぇぇぇぇっっ!!」
ルイスは青ざめた顔で跳び上がると、ドタドタと激しく地団駄を踏み始めた。狩人としての、本能が勝手に動いてしまったらしく、大慌てで手を引っ込める。
しかし、死の淵を覗き込んだマグナスは、引きつった笑みを浮かべた。
「ふ……フフフフッ! いいねぇ、ますます気に入ったよルイス君。……よし、君の顔に免じて今日は引き上げるとしよう。……また会おう、『狩人』――」
ルイスは青い顔で棒立ちしたまま、ガタガタと生気のない笑みを浮かべていた。
「は、はい……! 本当に、そ、その……すみませんでしたぁ……っ」
「……しかし、見事な仕込みナイフだな。コレは、これは没収させてもらうよ。いいかね?」
「は、はいっっ!!」
なすすべもなく、マグナスの手によってナイフを没収されるルイス。
さらにマグナスは、苦々しい顔のヴィクターを見つめると――。
「何かオススメのボトルはあるかね? 今宵は新任の私と、第一騎士団の親睦を深めようとね、宴を一席設けているのだよ」
ヴィクターは忌々しそうに奥の棚へ手を伸ばすと、埃をかぶった一本の重厚なボトルを取り出した。
「……聖教国の、二十年ものだ。非売品の、私自身の楽しみのためにとっておいた極上品だ……」
差し出されたボトルを、マグナスは引ったくるように奪い取った。
「ふん……まあいい。これからも、私と第一騎士団のために励んでくれたまえ……暗殺者諸君」
捨て台詞を残し、マグナスは部下を引き連れて悠々とギルドを後にしていった。
静まり返る店内。
数秒の沈黙の後――。
「何よアイツっっ!! めちゃくちゃムカつくわねぇぇっ!! マスター、あんな奴さっさと殺してやりましょうよっ!!」
リリィが我慢の限界とばかりに激昂し、カウンターを叩いた。
すると――。
「クックック……」
ヴィクターが、喉を鳴らして可笑しそうに笑い始めた。
「なに? どうしたのよマスター!?」
「いやなに……あんな『安酒』をありがたがって持って帰ったか。……まあ、酒の味などあのバカ息子に分かるはずもないがね……」
ヴィクターはフッと紫煙を吹き出し、満足そうに目を細めた。聖教国の二十年ものなどというのは大嘘で、実際は裏通りで投げ売りされている最悪の安酒だったのだ。
一方、呆然と椅子に座り直したルイスの横顔を、リリィは哀れみの混ざった視線で見つめた。
「アンタ……大切な、ナイフ……取られちゃったわね」
珍しく気遣うような声をかけるリリィだったが――ルイスは呑気に首を傾げた。
「え? ……ああ、あれ? 露店で銅貨数枚で買った、見た目だけ豪華な安物だよ? いやぁハリボテの割にはよく光る掘り出し物だったんだけどなぁ〜」
「…………」
ちなみに、彼が幼少期から愛用している祖父譲りのナイフは、現在ユーリーの工房でメンテナンス中である。
「ハァ……どいつもこいつも……! 心配して損したじゃないっ!!」
再び猛烈な勢いでミートパイを口の中へ放り込み始めたルイスの横顔を睨みつけ、リリィは心底呆れ果てたように深くため息をつくのだった。




