12.喧騒の幻影
路地裏を歩くルイスの足取りは、いつになく軽やかだった。
先ほど依頼を完璧にやり遂げた直後、相棒である黒鉄のクロスボウに、ごく僅かな歪みと軋みを感じ取った。
心配になり。すぐにユーリーの工房へ持ち込んだところ――。
『ふむ……何か、通常の用途ではあり得ないような規格外の使い方をしなかったかい?』
老紳士の鋭すぎる眼光に見抜かれ、ルイスは滝のような冷や汗を流すハメになったのだった。
――それもそのはず。
例の事件の夜、エルヴィン・プエルトの眉間を射抜いた際に使用したのは、専用規格の矢ではなく、リリィの投擲ナイフだったのだ。
そんな軽さの物を強引に発射すれば、パーツの接合部に過度な負荷がかかるのも無理はない。
幸いにも簡単な調整とパーツ補強で済むと聞き、ついでにローブの内側に忍ばせていた数本のナイフも研ぎ直してもらうことにした。
(さーて! 今日のご飯はなんだろなぁ〜♪)
数時間前に凄惨な暗殺を遂行した直後の男とは思えないほど、脳天気で呑気な浮かれようである。
しかし、大通りへ差し掛かる手前で、ルイスはハッと足を止めた。
「あっ……そうだった。今日、リリィちゃん食堂はお休みだって言ってたんだ……」
週に一度、リリィは食堂の看板を下ろし、自らの余暇を楽しむ時間を設けている。年中無休で宿を切り盛りしているのだ、それくらいの休息と自由はあって当然だとルイスも心から納得していた。
「となると……久々にヴィクターさんの美味しい料理でも食べに行こうかなぁ〜」
今夜の夕食は暗殺者ギルドの酒場で摂ろうと決め、ルイスは足取りも軽やかに暗い路地を抜け出た。
路地を抜けた先は、まさに先ほど血惨な事件が起きたばかりの露店街が見える大通りだった。
少し離れたテラス席の周囲には厳重な規制線が張られ、野次馬の大群が黒山の人だかりを作ってごった返している。
気になったルイスは、人々の隙間をすり抜けて現場の近くへと歩み寄った。
飛び交う噂話が、ルイスの耳に飛び込んでくる。
「おい、見たかよ……。あの議員が暗殺された時とまったく同じ手口だって話だぞ……」
「まったく、どうなってやがるんだ最近の帝都は……。昼間からあんな殺され方するなんて生きた心地がしねぇよ」
「……もうこの街じゃあ、悪いことはできねぇってことさ」
「はんっ! じゃあ次にあーなるのは、お前で決まりだな!」
「な、なんで俺なんだよっ!?」
殺伐とした街の混乱と噂の渦。
その要因の一端……(というか大部分)を自分が担っていると思うと、さすがのルイスも微かに良心がチクリと痛んだ。
その時――ルイスの鋭い視線の端が、人混みの足元をすり抜ける小さな影を捉えた。
「……ん? あの子……」
薄汚れた灰色のボロ布を深く被り、ひょうひょうと歩く小柄な子供の姿。
その子は喧騒に紛れ、まるで水の中を泳ぐ魚のように鮮やかに人の隙間を滑り抜けると――一人の裕福そうな行商人の腰鞄から、スルリと吸い付くような手つきで革の財布を抜き取った。
まさに芸術的とも言える、見事なスリの手際。
しかし――。
「ああっ!? ま、待て! このガキがぁっ!!」
異変に気づいた行商人の男が激昂し、脱兎のごとく逃げ出した子供を追いかけ始めた。
小さな影は必死の形相で露店の隙間へと駆け込んでいく。
(……やれやれ)
ルイスはふぅと息を吐くと、すっと空間から己の気配を消し去った。
次の瞬間――。
「うわぁっ!? きゃーっ!?」
逃走していた子供が、ズザァァァ! と、何もない空間で足をもつれさせ、盛大に地面へと転倒した。
そこへ息を切らせた行商人が怒形相で追いついてくる。
対するルイスは、どこからともなく爽やかに現れ――。
「はいどうぞっ! 危なかったですねぇ〜。バッグの紐はちゃんと結んでおかないとダメですよ?」
何事もなかったかのような朗らかな笑顔で、男へ回収した財布を差し出した。
「お、おおっ! 助かったぜ兄ちゃん! ……けっ、ざまあ見やがれ! 汚ねえドブネズミがっ!!」
行商人の男はルイスから財布をひったくると、倒れていた子供のボロ布の襟首を強引に掴み上げ、宙へ吊り上げた。
「う、あわぁぁぁっ……!」
ジタバタと手足を暴れさせて抵抗する子供。
「このまま憲兵騎士団へ突き出してやるからなっ! いや待てよ、その盗み癖のついた汚い指を、一本残らず叩き折ってからにしてやろうかぁ……っ!?」
男が凶悪な顔で凄んだ、まさにその時。
トントン、と背後から肩をつつかれた。
「あの〜……ちょっといいですか? その財布、中身をちゃんと確認しておいた方がいいと思いますよ?」
ルイスの親身な提案に、男はハッと顔を上げた。
「あ、そうだ! その通りだなっ!」
男は慌てて左手で財布を開き、中身を確かめた。上質な銀貨が三枚、間違いなく収まっている。抜かれた形跡はない。
「よしよし……無事だ、一枚も減ってねぇ……って、アレっ!??!?」
男は愕然として目を丸くした。
右手で力任せに握りしめていたはずの感覚。
そこにあったのは空虚な手応えの、一枚の『薄汚れたボロ布』だけだった。
先ほどまで掴んでいたはずの子供の姿は、どこにもない。
「お、おいっ!? どこ行ったんだあのガキはっ!?」
血相を変えて振り返る男。
しかしそこには、財布の確認を促してくれたはずの朗らかな青年の姿もまた、幻のように消えていた。
男は手に残されたボロ布と自分の財布を交互に見比べながら、ただ呆然と、夕闇の迫る大通りでキョロキョロと周囲を見回し続けるしかなかった。




