9.揺れる真実
「そうなんです……もう、どうすればいいのか参ってしまいまして……」
縫製工房の職人であるカインは、深々とため息をつきながら困り果てていた。
「お気持ちや心労はお察しするがねぇ。事件性が確認できんことには、我々憲兵騎士団としても下手に動くわけにはいかんのだよ」
トーマス・ホフナーは心底興味なさそうに肩をすくめた。
すると、あまりにも整然としすぎている豪華な執務室内をぐるりと見回しながら、ロザーナ・ベルトランが淡々と言い放った。
「単に、仕事に嫌気がさして放蕩されているだけでは?」
「い、いえっ! あのお方は絶対にそんなお人じゃありませんよ! 四六時中仕事のことばかり考えていらっしゃる、真面目を絵に描いたような方なんです……っ!」
カインは青ざめた顔で必死に言い募る。
工房の主が不審な失踪を遂げたとカインが駆け込んできたため、形ばかりの出動をしてみた憲兵騎士団だったが、現場である執務室はあまりにも美しく片付いていた。
足踏みミシンの音が響く工房において、ここだけが静寂に包まれており、争った痕跡も盗難の跡も一切見当たらない。
事件を嗅ぎつけるのが仕事の『猟犬』たるトーマスとロザーナにとってみれば、およそ捜査の価値もない「ただの家出」案件であった。
「まあ一応、参考までに聞いておきますがね。その工房長……ダスターさんでしたか。失踪当時、何か変わった出来事や面会人はありませんでしたかね?」
トーマスはあくびを噛み殺しながら、投げやりな口調で質問を投げかける。
「はい……。確か、王国から来たという若い商人と、何やら大きな案件の商談をされていたようでした……」
「その商人というのは、いつ頃お帰りになったのです?」
「え、えーっと……確か、部屋に入られてから小一時間ほどで……そうだよな、コリー?」
カインが背後に突っ立っていたコリーに振り向いて同意を求めると、少年は怯えたようにコクコクと何度も首を振った。
「その際、ダスター氏は客人を玄関までお見送りされたのですか?」
「いえ……。商人の方が一人でここから出て来られまして。作業中の俺たちに声をかけて、そのままお帰りになりました……」
「なんと、声をかけていかれたのです?」
「……『お疲れ様で〜す』と……やけに朗らかで、爽やかな声で……」
「なるほど。つまり……商談は実に上手くまとまった。しかしその後、ダスター氏は一人で静かに姿をくらませた……ふむ、合点がいったぞ」
トーマスは何かに深く納得したように頷く。
「隊長?」
ロザーナが胡散臭そうな目を向け、トーマスの横顔を覗き込む。
「ああ、すまんすまん。……とにかく、行方不明者としての手配書だけは出しておきますよ。もし彼がフラリと何事もなかったかのように戻ってきたら取り下げますので、その時はまた騎士団へお知らせください」
トーマスはそれだけ告げると、素早く執務室を後にした。ロザーナもその背中に続く。
一定の音量で足踏みミシンの音が忙しく鳴り響く工房内を、二人は並んで歩く。
工房の代表がいなくなったというのに、職人たちは変わらず律儀にミシンを踏み、生地を裁断し続けていた。
だが……その顔つきはあまりに異様だった。誰も彼もが死人のようにぼんやりとしており、覇気がないとも違う、魂が抜け落ちたような無表情で淡々と手を動かし続けている。
頑丈な木製の扉を押し開け、ミシンの不気味な駆動音が遠ざかった頃――。
「……完全に『飛んだ』な」
トーマスが、空を見上げポツリと漏らした。
「は?」
ロザーナが不機嫌そうに眉間にシワを寄せる。
「ふん……要するにだ。その商人の若者とやらは、客などではなく取り立て屋……つまり、借金取りだったのさ」
「はい? 何を根拠にそのような妄想を……?」
「勘だよ、俺の、いつもの冴え渡る勘だ」
ロザーナは呆れ果て、もはや言葉も出ない。
トーマスは気にすることなく、静かに、しかしどこか誇らしげに己の推理を披露し始めた。
「あの豪華絢爛な調度品を見たか? 一介の縫製工房の経営者にしてはやりすぎだ。まるで貴族様のサロン気取りじゃないか」
「まあ……確かに、それは同意しますが。あまりに贅を尽くした品ばかりでしたね」
「よくある話さ……。外から見れば大儲けしているように見えて、実は帳簿の上は真っ赤っかの火の車。外面を良くして虚勢を張り続けないと維持できない、成金趣味の哀れな経営者だったってわけだ。借金取りに追いつめられ、首が回らなくなって逃げ出したのさ」
「決めつけが過ぎませんか? それではまるで……ただの創作ではありませんか」
「あれ? お前、知らなかったのか? 俺たちが本部に提出する捜査調書なんて、九割は創作だぞ?」
「憲兵騎士として、それを認めてしまうのはいかがなものかと……」
ロザーナはきっぱり否定したかったが、悲しいかな、思い当たる節がありすぎた。
現場の曖昧な事実、容疑者の要領を得ない供述。それらを数枚の公式書類に理路整然とした「筋の通った物語」として落とし込む作業は、まさに創作そのものだ。
それを上の連中に提出し、納得させてサインさえもらえれば、現場の仕事は綺麗さっぱり終了する。その後に真実がどうであれ、知ったことではないのだ。
「まあ、長の一人や二人消えたところで、あの工房自体はしっかり回っているようだしな。何の問題もあるまい」
「ご家族もいらっしゃらないと、職人が言っていましたね」
「ああ。先代の親父さんが死んで、ダスター氏に遺されたのはあの工房と職人たちだけ。そしてついに、何も持たない天涯孤独の身になったというわけだ。……今頃は溜め込んだ金貨の袋を抱えて、荷馬車に揺られているかもしれないな」
トーマスは能天気で都合の良い妄想に納得すると、帝都の大通りを悠々と歩いていく。
彼にはまだ、あの郊外で起きた元貴族別荘の火災現場の検証という、吐き気がするほど頭の痛い大案件が残っているのだ。これ以上、事件性すらない些末事など抱え込みたくはなかった。
「……まあ、それはそれで、彼も窮屈な立場から解放されて自由になれたのかもしれませんね……」
ロザーナも、己を無理やり納得させるように小さく呟いた。
「ところでロザーナ……今日は本部に戻って、しっかり日報の残業をやっていけよ?」
トーマスがじっとりと湿った視線を部下に向けると――。
「嫌です」
ロザーナは一切の交渉の余地を残さず、きっぱりと言い放った。
――時を同じくして、帝都から遠く離れた郊外の森の中。
御者台に腰掛けた暗殺者ギルドの『掃除屋』――ボサボサ頭の女性、ローズマリーが、虚空に向かって独り言を呟いていた。
「ふぅ……ルイスさんくらい手際が良い人ばかりなら、本当に助かるんだけどなぁ……。まあ、贅沢は言えないか。……さーて、ゴブリンの巣はどこだぁ?」
深緑の木々が立ち込める森のぬかるんだ道を、ガタゴトと音を立てて進む一台の牛車。
その荷台の上には――綺麗サッパリと解体され、塩漬けにされて木樽に詰められた……『かつてダスター・ブベロワだったモノ』が、ユラユラと揺れていた。




