8.あふれる好奇心
『今日、朝起きると、リリィちゃんにすっごく怒られました。変な夢をみていたせいで、寝言でなにか叫んでしまっていたらしいです……反省……。昼食はリリィちゃんが作ってくれたサンドイッチを食べました。美味しかったです。ユーリーさんから、文章の書き方のコツを教わりました。まずは、練習が大事だそうです。そう言われてみれば、確かに、そうだなぁと思いました……』
……夕暮れの朱が差し込む部屋の中、ルイスは自筆の文章を前に呆然としていた。
「……え、僕って……こんなにも文才がないの……?」
愕然とした呟きが、静かな部屋に虚しく響く。
ユーリーからアドバイスを受けた直後は、「手紙とか日記なら余裕じゃん! いけるいける!」と謎の自信に満ちあふれていたのだ。イケる気は、していたのだ。
なのに、いざ書き上がってみればこの惨状である。
子供の作文。――己が紡ぎ出した日記のあまりのクソつまらなさに、ルイスは頭を抱えて机に突伏した。
「いやいやいや! こういう時は、何かお手本になるものを参考にするべきだっ!」
ルイスは即座に気持ちを切り替えた。
狩りの技術だってそうだ。言葉で聞いて理解できなければ、何度も何度も祖父の体のこなしや獲物へのアプローチを目に焼き付けて盗んできたのだ。文章だってそれと同じはず……。
ふと、机の隅に視線をやると、例のあの本――『英雄を創る手腕 ――散りゆく者に栄光を』がぽつんと置かれていた。
「これ……参考に……なるかな?」
嫌な予感を抱きつつ手にとり、ランダムにページを開いてみる。
そこには、洗練された美しい活字で、狂気に満ちた一文が躍っていた。
――愚昧なる諸将は兵を殺すことを恐れて勝利を逃すが、私ほど泥に塗れた無価値な命を『美しき栄光』へと昇華させた者はいない。
我が采配の下で死ぬことは兵にとって至上の救済であり、名もなき雑兵を『歴史に刻まれる英雄』へと作り変えてやるのが、この私の与える慈悲である。
もし貴公が命を奪う罪悪感に震えているなら、ただちにこの書を閉じ、己の器の浅さを恥じて凡夫として朽ちるがいい。
命を数えるな、価値を刻め――これより語るのは、凡愚を率いて神域の勝利を掴む、我が完全なる手腕である……。
(『英雄を創る手腕 ――散りゆく者に栄光を』著者:バルタザール・フォン・エーデルハイト より抜粋)
「うわぁぁ〜……スゲェぇぇぇ……っ」
ルイスは思わず感嘆の息を吐いた。。
間違いなく人を狂わせる悪趣味な有害図書なのだが、純粋に「文体」だけに焦点を当てて読んでみれば、その破壊力は圧倒的だった。
著者の横柄さ、天を突くほどの自意識過剰さ、そして読む者を惹きつける異様な説得力が、ページから直接叩きつけられてくるかのようだ。
「んんん……? どうやったらこんな、読んでるだけで圧死しそうな文章が書けるんだ……?」
ルイスは自分の書いた薄味すぎる日記と、極濃の劇薬のようなエーデルハイトの文章を何度も見比べた。見比べるほどに、自分の惨めさが際立ってきて心が折れそうになる。
その時――。
「何書いてるの?」
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁっ!??!?」
背後、耳元で聞こえた声に、ルイスは跳び上がりながら叫んだ。
「り、リリィちゃん!? な、な、なんで部屋に!?」
「いや、扉が開いてたから入ったのよ。今日の夕食何がいいか聞きに来てあげたのに……アンタってば、急に『今日はちょっとお肉の気分じゃなくて……』とかワガママ言い出すじゃないの!」
「あ……は、はい。今日は、お肉でも魚でも何でも美味しくいただきます……」
バクバクと壊れそうなほど拍動する胸を押さえ、ルイスは冷や汗を流した。
「で、何書いてたのよ?」
「い、いや、ちょっと……その、これはですね……」
言い淀むルイスに対し、リリィの瞳が鋭く細められた。
「見せなさい!」
「あ、だ、ダメぇぇぇっ!!」
ルイスの制止も虚しく、リリィは恐るべき素早さで、ルイスの手から紙をひったくった。
そして、その紙面をまじまじと熟読し始める。
一秒、二秒、三秒……。
「…………恥ずかしく、ないの?」
氷点下十度の声が投下された。
「恥ずかしいっす!! 僕は僕が、猛烈に死ぬほど恥ずかしいっす!!!!」
全面的に認め、ルイスは床に這いつくばると、滝のような涙を流した。まさに血の涙が噴き出しそうなほどの屈辱と羞恥心である。
「呆れたわね……。アンタ、これで本を書こうとしてたわけ? 情景描写はゼロ、感情表現の深みも皆無。何より、アンタ自身の『心』がこれっぽっちも書けていないじゃない」
「やめてぇー! リリィちゃんお願い、今まさに僕の『心』がゴリゴリ削られているからっ! それ以上追い打ちをかけないでぇ〜!」
ゴロゴロと床の上をのたうち回り、悶絶するルイス。リリィの容赦ない毒舌によるオーバーキルは、ルイスの軟弱なメンタルを粉々に打ち砕いていた。
「早めに諦めたら? アンタに執筆なんて絶対無理よ……」
冷ややかな眼差しで見下ろすリリィ。
だが、のたうち回っていたルイスの脳裏に、ふと一つの疑問が浮かび上がった。
「……ん? リリィちゃん……もしかして、リリィちゃんも本を読む人なの……?」
「ッッ!? ま、まあ……その、ちょっとよ。ほんの嗜む程度に、ちょっとだけ……っ」
なぜか、急にバツが悪そうに目を逸らし、頬をほんのり朱に染めるリリィ。
その不自然極まりない反応に、ルイスはピクッと眉を動かした。
「ねぇねぇ、どんなの読むの? ねぇ、リリィちゃんはどんな本が好きなの〜?」
「すがりついてくるんじゃないわよ! たたっ殺すわよ!!」
「ねぇ〜、ねぇ〜ってば〜! リリィちゃんのお部屋の本棚、すっごく見てみたいなぁ〜!」
「私の部屋に勝手に入ったら、マジで切り刻んでミンチ肉にするからねっ!!」
二人が妙な攻防を繰り広げ、ルイスがリリィの部屋へ突撃しようとしたその時――。
階下から、焦りきった声が響き渡った。
「リリィ殿ぉぉぉっ!! ス、スープが……スープの鍋が激しく吹きこぼれているのだがっ!??!?」
階下で待機していた女騎士ロザーナの、悲痛な叫び声だった。
「うわっ! ヤバっ!!」
リリィは顔色を変えて振り返ると、風のような速さで階段を駆け下りていった。
一人、部屋に取り残されたルイス。
床の上に座り込んだまま、ポツリと呟いた。
「……絶対に、知りたい……」
歪んだ知的好奇心が、ルイスの脳内で激しく暴走を始めていた。
しかし、ルイスは完全に忘れていたのだ。
――『好奇心は猫を殺す』という、古くからの戒めの言葉を。




