7.いつ、どこで、だれが……、
「う〜ん……う……ん……んん? んんんんーっ!」
カックンカックンと、ルイスは頭を前後左右に激しく揺らしていた。
目の前の机の上には、まっさらな植物紙が、虚しく一枚……。
「……うん。ぜ〜んぜん、何も思いつかないや……」
ルイスはそのまま突伏し、机に額を打ち付けた。
本が書けるんじゃないか? と閃いたところまでは、間違いなく最高に完璧な流れだったのだ。だが、いざペンを握り締め、物語を生み出そうと意気込んでみたものの――驚くべきことに、頭の中から一文字の言葉すら出てこないという絶望的な状況が、すでに一時間以上も続いていた。
これまでの人生、膨大な時間を読書という名の娯楽に捧げてきたルイスである。しかし、「読むこと」と「書くこと」の間には、生半可な知識では決して飛び越えられない深淵が横たわっていたらしい。
「う〜ん……書き出しって、普通どうやって始まるんだっけ……?」
どれほど脳みそを絞り出そうと、きっかけの一行すら掴めない。
そもそも、テーマの設定やプロットの構築、キャラクターの配置といった創作のいろはなど、何ひとつ知らないルイスだ。書けるはずがないのも当然なのだが、能天気な本人はその事実すら分かっていない。
「……でもやっぱり、書くなら大好きな冒険者の話がいいなぁ」
一番憧れているテーマに思考を巡らせてみるものの、浮かんでは消えるのは「どこかの本で見たような気がする」使い古された展開ばかり。
「ええっと……冒険者を目指す主人公がいて、ギルドに登録して、街の外で強い魔獣と戦ったり、未知のダンジョンに挑んだり、旅の途中で素敵な仲間と出会ったりして……。過酷な修行を経てどんどん強くなって、最後は世界を脅かす魔王を倒して、めでたしめでたし……」
ざっくり言えば、王道中の王道。凝縮され尽くした冒険譚のテンプレート。
だが――。
「ナニソレ!? クッソつまんねぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
自分の頭の中で組み立てた筋書きに、ルイスは自ら絶叫した。
なぜだろう。全く味も風味もない、乾いた土でも食わされているかのような虚無感が襲ってくる。
「あー! もう無理っ! 寝るっ!」
投げやりになったルイスは魔導灯を消すと、ベッドへダイブした。
ちなみに、その夜ルイスが見た夢は――冒険者になった自分が、なぜか見知らぬ婚約者に理不尽な婚約破棄を突きつけられ、果ては無人島に流され、そこで遭遇した悪役令嬢の継母を一緒にぶっ殺してやろうと、イカダを作って脱出しようとしたら、謎の『ズンドコベロンチョ王国』に漂着し、国民全員で狂ったようにズンドコベロンチョ・ダンスを踊り明かすという、救いようのないほど支離滅裂な悪夢であった。
翌朝――。
「文章の……書き方、かね?」
「そうなんです! ユーリーさんに相談するのが一番かなぁって思いまして……!」
ルイスが泣きつくように訪ねたのは、ひいきにしている武器商人ユーリー・バウトの店だった。
「ふむ、そうだねぇ……」
ユーリーは整ったあごに手を当て、優やかに微笑んだ。
「文の基本となるのは、やはり『いつ・どこで・誰が・何をしたのか』だな。これを理路整然と、読み手に伝わるように親切に書きつづることだよ」
「ま、まあ、はい! それくらいは僕もなんとなく分かっているつもりなんですけど……」
ルイスは力なく肩を落とす。
先日の、ブラック労働に塗れた縫製工房の案件で、見事な偽の事業計画書を仕立て上げてくれたのが、目の前にいるユーリーだった。書類のプロフェッショナルとして、これ以上頼もしい相手はいない。
「あとは……やはり『慣れ』が大事だろうね」
「慣れ、ですか……」
「ああ。最初から長文を書き上げようとする必要はない。手紙のような、身近な短い文章から始めてみるのはどうだい?」
「あー! 手紙かぁ……!」
ルイスは腕を組んで納得の声を上げた。
確かに、何事も段階を踏む練習が不可欠だ。それは暗殺……もとい、狩りの技術とて同じである。最初から巨大な獲物を狙うのは無謀というもの。ルイスだって、生まれて初めて獲ったのは小さな野ウサギだったのだから。
それに手紙なら、故郷で暮らしている祖父という、出すべき相手が明確に存在する。
「それから、毎日継続して文章を書く習慣をつけるなら……そうだな、日記をつけるのも良い練習になるかもしれないね」
「あっ! 日記っ!!」
ユーリーの提案に、ルイスの目がパッと輝いた。
「ルイス君の日常なら、さぞかし退屈とは無縁の、味わい深い日記になるだろうからねぇ」
ユーリーが意味深に目を細めて笑う。
「確かに! それなら僕でも毎日楽しく書けそうです!」
ルイスの持ち前である超絶楽観主義が、一瞬でフルスロットルで走り出した。
「もし書き上がったら、私にも見せてくれるかい?」
そう言いながらユーリーは立ち上がり、奥の棚に置かれていた、黒く重厚な光沢を放つ箱へと手を伸ばした。
「いやぁ~、ちょっとそれは恥ずかしいですよ〜」
まんざらでもなさそうな顔で、ルイスはへらへらと頭を掻く。
「さあルイス君。これは私からの、ささやかな応援のプレゼントだ」
ユーリーが箱から取り出し、テーブルの上に滑らせたものを見て、ルイスは息をのんだ。
「こ、これは……?」
「王国の名工が試作した、金属製のペンだよ。通常の羽ペンと同じようにインクをつけて使うのだが……素晴らしい装飾だろう?」
「は、はい……! 見るからにすっごく高そうです……!」
複雑で美しい細工が施された黒色のペン本体に、ルイスの視線は釘付けになった。
「ぜひ受け取ってくれたまえ。期待しているよ……。いつか、エルヴィン・プエルトの惨めな最期を、極めて豊かな情景描写と情感溢れる文体で書き上げてくれることをね……」
「…………え?」
ユーリーのサラリと放たれた恐ろしい言葉に、ルイスは思わずペンを取り落としそうになった。
……この男、やっぱりあの事件の裏側も、ルイスが何をやらかしたかも、全てお見通しなのだ。
ルイスが固まっていると、ユーリーは楽しそうに言葉を続けた。
「ふふ、それにね。君が心底好みそうな『仕掛け』も施してあってね。……キャップを左に少し捻ってから、抜いてごらんなさい」
言われた通り、ルイスはおそるおそるペンのキャップを左へカチリと回し、そっと引き抜いてみた。
――シュリッ。
澄んだ金属音とともに現れたのは、ペンの鞘の中に隠されていた、冷たく研ぎ澄まされた細身の刃だった。
「おぉぉぉぉ……っ!!」
その完璧な機能美とロマンに、ルイスの瞳から恐怖が一瞬で消え去り、熱い歓喜の火が灯った。
「どうかな? ペーパーナイフとしても重宝するし、いざという時の『暗器』としても申し分ない。絶対に君が気に入ると思ってね……」
ニヤリと、ユーリーは極上の笑みを浮かべる。
「はいっっ! ありがたく! 大切に使わせていただきますっ!!」
ルイスは瞳孔を開ききらせた満面の笑顔で、何度も何度も激しく首を縦に振るのだった。
書き方の相談に来たはずが、思いがけずまたしても心をくすぐる完璧な「ロマン武器」を手に入れてしまったルイスであった……。




