6.ブラック、アウト
「どうかね? ルーファスさん! 我が工房が誇るこの圧倒的な生産力は!」
縫製工房を取り仕切る男、ダスター・ブベロワは、両手を大きく広げて見せた。
「素晴らしいですねぇ……。これほど大勢の職人さんを抱えていらっしゃるなんて」
王国からやってきたという商人の若者――ルーファスは、見渡す限り広がる巨大な作業場の光景に、感嘆の声を上げた。
そこでは数十人もの職人たちが、規則的な「ガタンガタン!」という足踏みミシンの音を響かせ、巨大な織物を裁断する者たちが殺気立った眼光で生地に向き合っている。
「ええ! 先代である父から引き継いだこの工房を、私がたった三年でここまでの規模に拡大させたのですよ!」
「驚くべき手腕だ……。これほどの規模と統率力があれば、今回お持ちした大きな案件も安心してお任せできそうです」
「ええ、ええ! でしょうとも、でしょうとも! ささ、立ち話も何ですから、詳しいお話は私の執務室で伺いましょう……!」
ダスターは揉み手しながら、下品な笑顔を浮かべて青年を案内し始めた。
王国からやってきたというこの若い商人。身に着けている仕立ての良い上質な服を見れば、一目で分かる。王国でも指折りの大商会の使いだ。おそらく自分と同じように、二代目の若造が実績作りのために新たな取引先を開拓しに来たのだろう――と、ダスターは踏んでいた。
何より、こうして案内する時間にも「ご迷惑料」として、事前に金貨二枚をサラリと握らせてきたのが素晴らしい。
値下げばかりを要求してくる貧乏くさい卸先は反吐が出るほど嫌いだが、このように金の払いが良い客は最高だ。
これから自分の懐に転がり込んでくるであろう、更なる黄金色の輝きを想像し、ダスターはニヤニヤとした笑みを抑えきれずにいた。
その時――作業場の一角から、割れんばかりの怒声が響き渡った。
「このバカヤロー!! 寸法を間違えただと!? もう地縫いまで走らせちまってんだぞ! どうすんだよこれ!!」
「すみません、すみません……っ!」
怒鳴り散らす老齢のベテラン職人の前で、一人の若い職人が床に這いつくばり、無様に土下座をしていた。
「どうしたのかね? カインに、コリー君」
ダスターがさも慈悲深い経営者の顔を作って歩み寄る。
「は、はい……その、実はコリーの奴が間違えた製図で寸法を引いてしまいまして……」
作業の手を止めたミシン担当たちが、息をのんでその光景を見守っている。
「ふむ……無駄にしてしまった生地は、何枚かね?」
ダスターは一番端のミシン台から、生地をつまみ上げ、品定めするように吟味した。
「そ、それが……すでに、五十枚ほど……」
コリーと呼ばれた青年は、「申し訳ありません、本当に申し訳ございません……!」と、額を床に何度も擦り付けながら震えていた。
「ふむ、仕方がない。最初からやり直そう……」
ダスターは淡々と、しかし咎める風もなくそう告げた。
「あ、あの……コイツはどうしますか?」
カインがそう尋ねると、土下座していたコリーは涙で濡れた瞳を上げ、すがるようにダスターを見つめた。
「……ふむ。さあ、コリー君、立ちなさい。ほら、泣くことはない。人間、誰しも失敗はあるものさ」
「は、はい……すみません……っ」
コリーは袖で目元を拭い、促されるままに弱々しく立ち上がった。
するとダスターはくるりと振り返り、工房全体に聞こえるような大声を張り上げた。
「私はね、コリー君ひとりだけに責任を負わせるような真似は絶対にしたくない! 皆もそれは知っているな!?」
「は、はい……!」
カインが大きく頷き、周囲の従業員たちも示し合わせたように首を縦に振る。
すると――ダスターはパンッと勢いよく手を打ち鳴らした。
「カイン! 我が工房が掲げる従業員信条……その一!!」
「は、はいっ! その一! 我々は強い信頼で結ばれた仲間であり家族です! 互いに助け合い、尊重し合い、最高のモノづくりを目指します!」
まるで訓練された兵士のように、間髪入れずに言葉をまくし立てるカイン。
ダスターは満足げに頷くと、さらに声を張り上げた。
「ミレーナ! 次は!?」
今度はミシン担当の女性職人が、弾かれたようにバッと立ち上がった。
「はいっ! 我々はひとつのチームです! 一人の過ちは全員の試練であり、全員の犠牲こそがひとつの勝利を紡ぐと信じます!」
……工房内に、不気味なまでの静寂が広がった。
その光景を後ろから眺めていた王国の商人――ルーファスは、密かに冷や汗を頬に伝わせ、引きつった笑みを浮かべていた。
ダスターは再び、パンっ! と高く手を打ち鳴らす。
「そうだ! まさにその通り! すまないが皆、今日は家に帰れないと思ってくれ……、何としても、明日の朝までに納品分を間に合わせなければならない! 私も共にその責任を負う! だから頼む、この通りだ……!」
ダスターは、従業員全員に向けて深々と頭を下げて見せた。
工房内に、無言の諦めと重苦しい焦燥感が一気に広がっていく。
「は、はい……。最初から、やり直します……」
カインは鉛のように無表情な顔で呟いた。それを合図に、周囲の職人たちも死んだような目で静かに作業へと戻っていく。
それを見届けると、ダスターは爽やかな笑顔で振り返った。
「さあルーファスさん、こちらへどうぞ……」
二人の背後から、再びカタカタと規則的で狂気的なミシンの音が響き始めた。
✢
案内された執務室の中は、高級な革張りのソファーや豪華な装飾品で満たされていた。
ルーファスはソファーへと促される。
「お酒は嗜まれるかな? 手元に極上の二十年物ワインがあるのだが」
「一応飲めますが、お構いなく……」
ダスターは意に介さず、サイドボードからクリスタルグラスを二つ取り出すと、テーブルに置いてルーファスの正面に腰掛けた。
「では、ビジネスの話をしましょうか。どの程度の数量をご希望で?」
「まだ企画段階なのですが、ひと月に三百着ほどを考えておりまして……」
「ほう……。それは単発の注文ですかな?」
「いえ、継続的にです。とりあえずは半年間……こちらがその企画書になります」
ルーファスは持っていた革鞄から、真っ白で上質な書類を取り出し、テーブル越しに差し出した。
「ほう。なるほど……冒険者用のアウター、ですか……」
「はい。まだ極秘情報なのですが、王国領内で新たな大規模ダンジョンが発見されましてね。しかしそこは辺境ゆえ、まだ物資の市場が育っていない」
「そこに冒険者たちが殺到すれば、防寒性と耐久性を兼ね備えた衣類の爆発的な需要が期待できる……そういうことですね?」
「その通りです」
ルーファスは出されたワインに一口だけ口をつけた。
「なるほど……。ほう、素材には毛皮を……」
ダスターはペロリと己の指先を唾液で濡らすと、一枚目をめくり、二枚目に、目を通し始めた。
「ええ。素材の手配については、帝国の冒険者ギルドへ一括で依頼を出そうと――」
ルーファスが朗らかに言葉を紡いでいた、まさにその時だった。
「……ガッ……!??!?」
ダスターはカッと目を見開き、両手で己の喉元と胸をきつく押さえた。
みるみるうちに顔面が土気色に変色し、口の端から、だらりと深紅のワインがこぼれ落ちる。
「カハッ……が……っ!」
やがてダスターはガクガクと全身を痙攣させると、そのままソファーの背もたれにドサリと崩れ落ち――二度と動かなくなった。
その惨劇を目の当たりにしながら、ルーファスは何事もなかったかのように、もう一度ワインをチビリと口に含んだ。
「……こんなに上手くいくことって、ある?」
ぽつりと呟いたのは、ルーファスという偽名を名乗っていた青年――暗殺者ギルドの『狩人』こと、ルイスだった。
「この紙って、キレイなのはいいんだけど、ツルツルしててちょっとめくりづらいんだよね〜。……それにしても、この毒もすごい効き目だなぁ」
ルイスはポケットから、小指ほどの小さな小瓶を取り出した。
同僚のパイソン・リキッドから融通してもらった、無色透明・無味無臭の恐ろしい猛毒である。
ちなみにルイスは、調合してもらった際に「どんな味なんだろ?」と試しにペロリと舐めてみたのだが、『舌の上がピリピリして、スープのスパイスにちょうどいいかも?』程度にしか感じなかった……。
それを、持参した植物紙の端――人が紙をめくる際に、必ず指先が触れるであろう位置に薄く染み込ませておいたのだ。
まさか、期待通りに指を舐めて、めくってくれるとは……。
呆気ないほどのミッション・コンプリートであった。
ルイスはソファーから立ち上がると、ダスターの豪華な執務デスクへと歩み寄った。
そして一番大きな引き出しを開けると、そこにはポツンと一冊の本が収められていた。
「こんな立派なお部屋があるなら、もっと壁一面にズラーッと本を揃えたくなっちゃうものだけど……」
ルイスはその一冊を手にとった。
執務室内に配置された洗練された家具の中に、本棚らしきものは見当たらない。つまり、ダスターが生前熱心に読み込んでいたのは、この一冊だけということだ。
「はぁ……。こういうのねぇ……一番タチが悪い本なんだよなぁ」
パラパラとページをめくり、ルイスは苦々しい顔で表紙のタイトルを確認した。
――『英雄を創る手腕 ――散りゆく者に栄光を』。
それは、どこかの国の「英雄」と呼ばれた武将が書き残したであろう、極めて偏った思想を体系化した――自己啓発本だった。
人心掌握術や言葉巧みな洗脳を活用して部下を死地へと追いやり、それによって得た自らの武勲と栄光が、これ見よがしに並べ立てられている。
「ま! これでこの工房も、少しは健全な労働環境になるといいけどね〜!」
ルイスはその本を己の懐に突っこんだ。
本そのものに罪はないが、こんな悪意に満ちた洗脳バイブルは、さっさと燃やして灰にしてしまった方が世のためだ。本を愛するルイスの絶対的な価値観がそう告げていた。
……その時。
コン、コン、コン、と控えめに窓ガラスを叩く音が響いた。
ルイスが窓辺に歩み寄り、鍵を外して開け放つ。
「……ルイスさん。すみません、遅くなりましたか……?」
そこにいたのは、どこか覇気がなく、暗い目をしたボサボサ頭の女性だった。
「いえ! ローズマリーさん! ちょっと、案外早く終わっちゃっただけでして……えへへ」
ルイスがヘラヘラと笑って答える。
「そうでしたか。さすがは新進気鋭の『狩人』……鮮やかなお手並みですね」
ノッソリ、と部屋の中に侵入してきた彼女もまた、ルイスの同僚の一人であった。
だが、暗殺者ギルドの中でも彼女の専門性は極めて特殊だ。
彼女は、通称――『掃除屋』。
「現場にバスルームがあれば楽だったのですが……まあ、なんとかしましょうか。……ちょっと手伝っていただけますか?」
ローズマリーは背負っていた大きな鞄から、分厚い敷物を床へと広げた。
そしてルイスと協力し、ソファーに転がっていたダスターの死体をその上に静かに横たえさせる。
「時間は、どのくらい猶予がありそうですかね……?」
ボンヤリした顔で尋ねるローズマリー。
「たぶん、一晩あっても大丈夫そうですよ? 外の人たち、みんなすっごく忙しそうですし」
ルイスはドアの隙間から、チラリと外の作業場を覗き見た。
工房で働く人々は、死人のような顔で黙々とミシンを動かし続けている。上司が死んでいることなど、誰も気づきようがない。
「それなら、焦らずじっくりやりましょうかね。……うん、太っていない痩せ型なのは、助かります……」
ローズマリーは背嚢から、研ぎ澄まされた鋸や、鈍く光る巨大な肉切り包丁を淡々と取り出し始めた。
それらを目の当たりにしたルイスは、みるみる顔を引きつらせ――。
「あ、あのぅ……ローズマリーさん。僕も、その……ここに最後までいなきゃ、ダメ……?」
「最後までお願いしますよぉ。ご覧の通り道具も重いですし、私一人では運び出すのも大変なんですから」
ローズマリーの平然とした言葉に、ルイスは盛大にため息をついた。
(……うん。今晩の白百合亭の夕食は、絶対に魚料理にしてもらおう……)
ルイスは心の中で固く固く、そう誓うのだった。




