5.最大のうっかりは、そして伝説へ
「ほう、これは……なかなかに嬉しい差し入れだな」
暗殺者ギルドの顔役、ヴィクターの整った顔立ちに、珍しく心からの感嘆が浮かんだ。
「えっへっへ……。ちょっと、大漁すぎちゃいましたかね?」
ルイスが恐縮したように頭をかきながら差し出したカゴの中には、丁寧に内臓とエラが取り除かれた、丸々と太ったマスが十数匹も行儀よく並んでいる。
「いや、助かるよルイス君。うむ……血抜きも捌きも完璧ではないか」
「えっへっへ。いやぁ〜、すっごく水が綺麗な川でして、魚影も濃かったんですよ〜」
ちなみに、リリィには、すでに十分な量を納品済みである。
「ああ、そうだった。ルイス君、この前の……例の案件の報酬だがね」
ヴィクターがふと思い出したように音を潜めた。そして、言葉を続ける。
「……まだ渡していなかったな。クライアントが大満足していてね! またしても、特別報酬だ……提示された額を知りたいかい?」
「は、はいっ!」
ルイスが身を乗り出すと、ヴィクターは耳元で羽虫の羽ばたきほどの小さな声で数字を囁いた。
「ッ~!??!?!」
ルイスの目と口が、見事なまでにまん丸く見開かれた。あまりの桁の違いに、脳の処理能力が完全に追いつかない。
「……そういうことだ。どうするね? 今回も預金にしておくかい?」
「お、お願いしますっっ!!」
ルイスは即答した。
そんな恐ろしい量の金貨、宿の部屋に持ち帰ったところで夜も眠れなくなってしまう。
「ふむ……ところで、ルイス君。そろそろ次の案件を頼みたいのだが……」
「あ、あのっ……! すみません! その……依頼って、僕が選ぶことって、できたりしないんでしょうか……?」
ルイスはおずおずと尋ねた。
「ん? なんだ、そんなことか。普通に、みんないつも選り好みをしているぞ?」
「えっ!? そうなの!?」
ルイスとしては、半ば事故のような形で続けている暗殺者稼業だ。悪党を始末するならまだしも、なんの罪もない善良な人物を手にかけることだけは、どうしても魂レベルで拒絶反応があった。
「当たり前だろう。ターゲットの置かれている環境や身分……難易度が違うのだ。それに、得物。使い手ごとに得意な武器や手法の適性も異なる。……何より、暗殺者にもそれぞれ『趣味嗜好』というものがあるからね」
ヴィクターの説明を聞きながら、ルイスはふと何気なく後ろを振り返った。
暗がりの中、ひとりの、細い青年がテーブル席で静かに佇んでいる。
彼は薄暗い灯りの下、数枚のメスや鋸といった怪しげな解剖器具をズラリと並べ、刃の煌めきを恍惚とした表情で見つめながら、ちびちびと酒を嗜んでいた。スレンダー・エッヂ。ルイスの、お友達一号……。
彼は、人体を精密に切り刻むことに至上の快楽を覚える、極めて純度の高い性格破綻者――平たく言えば猟奇殺人鬼であった。
(え、えーっと。……まあ、僕も、趣味っちゃあ、趣味なのかっ?!!!)
ルイスは引きつった顔でヴィクターに向き直った。
「あ、ならっ! 僕は……もう、すっごく悪い奴だけを殺したいです! 本当にヤバいやつ、生かしておいちゃいけないレベルのクズ限定で!」
「フフ……なら安心したまえ。この"魔都"に『善人』など一人もいないさ。いるのは、肥え太った悪党か、それに踏みつけられる貧民だけだ」
「……え?」
「憲兵騎士団という正義の執行人気取りの連中でさえ、根を詰めれば貴族どもの飼い犬に過ぎん。この街では誰もが必死に、直接的・間接的を問わず他者を蹴落とし、食い物にして今日を生き延びているのだよ」
「……そう、なんですか?」
ルイスの頭に、ロザーナの顔が浮かんだ。
確かに彼女も、組織の理不尽な不条理と己の目指す騎士道との狭間で悩んでいた。
「それに……今、この街でとびっきりの悪人なら、まさに……私の目の前にいるがね?」
「はっ!??!?」
ルイスが素狂った声を上げると、ヴィクターは楽しそうに目を細めた。
「相手が悪党とはいえ、たった一晩で数十人を惨殺し、そのうち何人もを生きたまま炎の中に放り捨てて焼き尽くした、まさに悪魔のような青年がね……」
ヴィクターのほくそ笑みに、ルイスは自分の顔を指差したまま固まった。
――なにひとつ、間違いがない。ぐうの音も出ない正論であった。
プエルト商会の残党を一人残らず殲滅し、燃えさかる邸宅の中に置き去りにした主犯格は、間違いなく自分なのだから……。
その時、ギルド酒場全体から、ヒソヒソとした囁き声が聞こえてきた。
(……おい、あの『狩人』……マジでヤバすぎるだろ。もう暗殺とかそういう次元じゃねえだろ?!)
(ああ……あれはもはや人の形した殺戮兵器だ。一人で軍隊でも潰せるんじゃねえか?)
(たった一晩で単身、大規模組織を一つ完全に壊滅させたってか? おまけに、オークの変異種まで肉塊に変えたらしいぞ……)
(聞いたぜ……この事件……伝説になるぞ……)
「えっ!??!?」
ルイスがバッと勢いよく振り返ると――
――シーーーーーン。
酒場の凶悪な面々が一斉に顔を背け、あからさまに口笛を吹き始めたり、虚空を見つめたりし始めた。
すると――ダンッ! と、ヴィクターが豪快にマスの首を切り落とした。
「クックック……まあルイス君、安心したまえ。次の標的も、地獄行きの優先券を手に入れようと、愚直に悪行を積み重ねている稀代のクズだ。……話だけでも聞く価値はあると思うぞ?」
ルイスは再びヴィクターに向き直ると、完全に諦めた表情を浮かべた。額からたらりと冷や汗が流れる。
「……は、はい。お手柔らかにお願いします……」
ルイスは、観念して椅子に深く座り直した。
「ところでルイス君。このマスだがね、まずはシンプルにソテーにしてみようと思う。食べていくかい?」
ヴィクターの魅力的な提案に、ルイスは申し訳なさそうに二ヘラと笑った。
「す、すみません……。今夜も、たぶん……ロザーナさんが宿に来てるはずなんです……」
気まずそうに漏らすルイス。
一方、――時を同じくして。
リリィが営む宿『白百合亭』の食堂では――。
「リリィ殿ぉっ! ルイスさんの幼少期のお話など、もっと聞かせてはくれんか?! ああ、それと彼がいつから読書に目覚めたのか……そして、あの『ザ・サード・オーダー』を結成するに至った経緯など……! あああっ、聞きたいことが山ほどあるのだよ私にはっ!!」
ドボドボと、グラスの縁ギリギリまで追加の高級ワインを注ぎながら、赤ら顔のロザーナがまくし立てていた。
対面するリリィは、すでに呆れを通り越して無我の境地に達しており、死んだ魚のような目で頬杖をついている。
一応、大切なお客……兼、金払いの良いカモなので、穏便に相手をしてやってはいるのだが――。
(……ルイス……早く帰って来なさいよ……。この酔っ払いポンコツ女騎士、めちゃくちゃ面倒くさいんだけど……っ!)
リリィは心の中で、固い拳を握りしめながら激しく暗殺者ギルドの方角へ呪詛を撃ちを放っていた。




