45.業火に灼かれて
「貴様ら……そんなバカみたいなことがあってたまるかっ!! 殺す……絶対にだ! 一人残らず殺してやる……ッ!!」
エルヴィン・プエルトが喉を潰さんばかりの狂声を上げた。
切り札であったはずの異形――変異種オークは、猛毒に内臓を侵され、哀れな屍へと成り果てていた。
周囲を見渡せば、地獄の様相は更に深まりを見せている。
「うぅぅ……た、助けてくれ……誰か……」
「痛いよぉぉぉっ、か、母ちゃん……ごめん、ごめんなさい……うぅぅっ!」
「いやだ、嫌だぁぁっ! 死にたくない……っ!!」
かつては帝都の裏社会で幅を利かせていた男たちが、いまや肢体を断ち切られ、己が流した紅蓮の血溜まりの上で虫のように身をもだえさせている。四散した肉片と立ち込める死臭。その無惨きわまる光景の中に、慈悲など存在するはずもなかった。
「観念しろ! ……リリィ殿を放すのだ!」
ロザーナは血の海に倒れていた構成員の手からロングソードを奪い取ると、両手で固く握り締め、エルヴィンへと刃先を向けた。騎士としての威風を解き放とうとするものの、その肩はわずかに震えている。
「うるさい、黙れッ! 正義をかざすなら、そこの小僧を拘束したらどうだ!? ソイツは暗殺者だぞ! 貴様ら騎士団が追うべき、社会の害悪そのものだッ!」
「……はっ?」
エルヴィンの怒号に、ロザーナは思わず毒気を抜かれたように視線をルイスへと向けた。
命懸けの死闘から解放された安堵からか、ルイスは当事者意識の欠落した無邪気な笑みを浮かべ、ヘラヘラと首を傾げている。
「あ、あら……? ……あはは、ばれちゃった……」
頭を掻きながら愛想笑いで誤魔化そうとするルイス。
そのあまりにも緊張感のない態度に、ロザーナの純真すぎる心は、あまりの荒唐無稽さに脳の理解を拒絶した。
「そんな馬鹿なことがあろうはずがないだろうっ!? 出鱈目にもほどがあるぞ! ルイスさん程の人格者が、暗殺者などと……!」
「いや、信じろよッ! 俺の情報網を舐めるな! これでも帝都の裏を仕切るプエルト商会の会頭だぞッ!?」
エルヴィンは血と唾液を撒き散らしながら喚き散らす。
「チッ……汚いわね。耳元で汚い唾を飛ばさないでちょうだい」
エルヴィンに首元を拘束されたままのリリィが、不快感を隠しもせず冷たく言い放つ。
「黙れ! お前も、そこの女騎士も、生かしてはおかん! 生きたまま皮を剥ぎ、切り刻んで、ゴミのように中央広場へ叩き捨ててやる! 野犬の餌にしてくれるわっ!!」
エルヴィンの瞳に宿るのは、敗北を受け入れられない醜悪な執念と狂気。
「あ〜……エルヴィンさん。その……年頃の女の子に向かって、そういう下品な言い方はどうかなぁ〜……なんて」
ルイスが呑気にやんわりと咎める。あまりにも場違いで間抜けた一言だったが、ルイス本人にはその自覚が一切ない。
「ルイスッ! 貴様だけは……貴様だけは絶対に許さんぞ!! 兄を殺し、俺の悲願まで足蹴にしやがって! 貴様も、あのユーリー・バウトも、殺してやるッ!!」
「へ……? ユーリー、さん……?」
ルイスはぽかんと呆けた顔を晒した。
その時、背後の気配に敏感に反応したロザーナが振り返り、引きつった声で小さく囁いた。
「ルイスさん……マズいです! 火の手が回り始めました……!」
ルイスが視線を巡らせると、先ほど魔導士たちが乱射した魔法の残火がカーテンに燃え移り、柱や天井の木彫へと燃え広がり始めていた。
黒煙がうねりを上げて天井へ滞留し始めていく。
「ユーリー・バウトの野郎には、長年煮え湯を飲まされてきたのだ! 奴が帝都の武器流通を独占し、我が商会を日陰者に追いやっていた! だが……やっと、やっと我々も王国貴族という太い仕入れ先を獲得したのだよ! これから、これからという時に……貴様はぁぁぁぁぁ!!」
エルヴィンは狂乱のまま、リリィの白く細い首元へカランビットナイフの切っ先を深く押し当てた。彼女の白い皮膚が裂け、一筋の真っ赤な血が透き通るような肌を伝って滴り落ちる。
だが、当のリリィは眉一つ動かさず、冷ややかな眼差しでエルヴィンを振り返る。
「なるほどね……。あの大量のクロスボウも、魔導士たちも、そしてテイムされた変異種オークも……全部、アンタの新たな『売り物』だったわけだ……」
「フッフッフッ! そうだ、その通りだ! あの気取った武器商人がデカい顔をしているのが、昔から反吐が出るほど気に食わなかった! これからは我がプエルト商会が新たな秩序となるはずだったのだ! あんなケチな商売にしがみついている古臭い奴が、支配者気取りでいるのが許せなかったのだよ!!」
吐き捨てられた恨み節。
その瞬間、ルイスの頭の中で散らばっていた無数のピースが、カチリと音を立てて噛み合った。
幼少期からの無類の読書経験と、エルヴィンが語っていた支離滅裂な野望。
帝都の裏社会を巡る金と暴力のロジックが、一つの滑らかな「筋書」として、ルイスの脳裏で一筋の線へと繋がっていく。
「あ〜……要するに、ユーリーさんに『嫉妬』したんですね?」
「な、なんだと……!?」
「そうなると、なんですけど……実は、僕がアナタのお兄さんを殺したこと、本当はあんまり恨んでなかったりしません?」
「…………」
エルヴィンの口がピタリと動きを止めた。
「僕がお兄さんを殺してあげたから、アナタが首尾よく会頭の座に収まれた、なんて? ……あ、アレ? 違います? こういうドロドロした権力争いって、物語ではよくあるお約束ですし……」
「ちょっとアンタ、なに推理なんてしてんのよ!? 早くこの状況をどうにかしなさいよ!」
拘束されたリリィが半ば呆れ果てたように叫ぶ。
しかし、血の混じった唾液を垂らしながら、エルヴィンの口角が醜悪に歪み上がった。
「フッ……フフフッ……ハッハッハッハッハ!! ルイス君……気に入ったよ! 実にいい、素晴らしい洞察力だ! 私と共に来い! ブロウから話は聞いているぞ。冒険者になりたいんだろう? ならば、今すぐそこにいる女騎士を殺せ! 私だ! このエルヴィン・プエルトがお前のその望みを全て叶えてやるぞっ!!」
「あっ、やっぱり当たってました?」
「当然だ! あの愚鈍で欲深い兄をどう始末するか、ずっと頭を痛めていたのだからな! ユーリー・バウトの逆鱗に触れるよう裏で仕向け、あのクソ兄貴を始末させたまでは完璧な計画だった……!」
「……ん?」
ルイスの眉が微かに動く。
「奴の姪を殺したのも……この私なのだよっ! いやぁ〜、あの女の鳴き声も実に極上だった……。三日三晩、絶望の中で泣き叫び、心が壊れて……。それでも最期まで呟いていたよ。『叔父さま……叔父さま〜……』とな。……あれは……実に滾るものがあった……っ!」
「……それを、自分の兄がやったことだと偽って、噂を流したわけね。……救いようのない、根っからのクズね……」
リリィの口から漏れたのは、氷点下すら下回る絶望的な冷笑だった。
「さあ! ルイスっ! 俺の手を取れ! お前が欲する全てを与えてやる! 金も、女も、冒険者の名声すらもなぁぁ!!」
差し出された、魅惑的な悪魔の誘い。
だが――ルイスが静かに顔を上げた時、そこに漂っていたのはいつもの呑気な表情ではなかった。
リリィも、ロザーナも、これまでのルイスの顔にそんな色彩が宿るのを一度も見たことがなかった。
感情の全てが削ぎ落とされた、ゾッとするほどの絶対零度の眼差し。
ルイスは足元に転がっていた、プエルト商会の構成員が使っていた木製のクロスボウを何気なく拾い上げると、弄ぶように吟味し始めた。
「エルヴィン・プエルトさん。お誘いいただいたのは、とても光栄なのですが……。ちょっと、アナタみたいな人に雇われるのはお断りしたいかな〜」
「な……なに……!?」
「なんですか〜? この粗悪品以下のクロスボウは? 本体は湿気で歪んでいるし、ブレードも左右非対称。これじゃあ真っ直ぐ飛ばないし、そもそも連射機構すらついていない……」
ルイスは心底呆れたように品評すると、ポイと無造作にそれを床の血溜まりへ投げ捨てた。
そして――。
「コレ……そこに倒れている人が持っていたナイフなんですけど。勿体ないから拾っておいたんです。でも……見れば見るほど、魅力がないんだよなぁ〜」
「何を、意味不明なことを宣っているのだ貴様はッ!?」
「うん……やっぱり。ユーリーさんの店で買った道具の方が、ずっと何倍も素晴らしいや〜」
「道具に良いも悪いもあるかッ! 安く、大量に揃えるっ! それこそが力であり武力だッ!」
「あ〜……だから、アナタはユーリーさんにも、お兄さんにも勝てなかったんですねぇ?」
「だから、何が言いたいのだッ!?」
「だって、アナタが扱っている武器には、決定的なものが足りないんですよ。……一番大切なものが、ね」
「戯れ言など聞きたくはないッ! 帝国を揺るがすほどの圧倒的な数がここにあるではないか?! 何が不足しているというのだッ!?」
「ハァ……分からない? そっかぁ〜。それはねぇ〜……」
一度、言葉を切ると、ルイスは強い意志をこめて宣言した。
「……『ロマン』ですよ!」
「…………は?」
今度はエルヴィンが呆然と口を開ぐ番だった。
ロマン? 命のやり取りが行われる殺戮の場で、この小僧は何を口にしているのだ?
思考が停止したエルヴィンに向け、ルイスは背中から己の愛用する漆黒の兵器――黒鉄のクロスボウを静かに構え直した。
「ハッー?! 虚勢だっ! 矢がもう尽きたのは百も承知だぞ! そのクロスボウは、専用の矢でなければ装填すらできないはずだ! ハッタリに騙されるかッ?!」
確かに、周囲の床に刺さっている矢はどれも規格が異なり、ルイスの愛機に装填することは不可能だった。
しかし――。
ルイスはポケットから、血濡れた小さな金属片を取り出した。
それは――先ほど、倒れ伏した変異種オークの眼窩から抜き取っておいた、一つの暗器。
――リリィにプレゼントした、細身の投擲ナイフ。
ルイスはそのナイフを、あろうことかクロスボウの精密な滑走溝へ、迷いのない手つきでカチャリと装填してみせた。
「き、貴様ぁぁぁ?! いいのかっ?! コイツを殺――」
エルヴィンの叫びが、唐突に途切れた。
シュンッ――!
硬質な弦鳴りの直後。
クロスボウから音速で解き放たれた投擲ナイフが、エルヴィンの額の中央へ、柄の根元まで深々と突き刺さっていた。
「ふんっ……いつまで、汚い手で触ってんのよ?」
リリィは、静止した腕から抜け出すと、背後へ極細のワイヤーをヒュンと、回す。
そして――。
「ルイス……。さっさと脱出するわよ」
リリィが静かに腕を振るう。
直後、その背後でエルヴィンの頭部がゴロリと音を立てて床へ転がり落ちた。
いまだ起立する胴体から、朱色の鮮血が勢いよく天井へと噴き上がる。
奇しくもエルヴィン・プエルトは、自らが嫉妬を向け続けた兄――ロン・プエルトと全く同じように、首と胴体が泣き別れた、無惨な遺体となった。
リリィは足元に転がった男の頭部から、自分の――ルイスからプレゼントされた投擲ナイフを静かに引き抜くと、血を払った。
「そうだね〜。これはもう、消火なんて完全に無理だわ〜」
ルイスの能天気な声が響く。
燃え盛る炎は既に天井の梁を包み込み、黒煙が視界を赤く染め上げていた。
「まあ、都合が良かったじゃない? 私たちの痕跡を消す、最高の証拠隠滅になってくれるわ」
リリィが薄く残酷な笑みを浮かべる。
「ルイスさん! リリィ殿! は、早く脱出しなければ息もできなくなりますよっ!」
ロザーナが迫る火を振り返り、慌てふためいた。
何がどうなって事態が収束したのか頭の整理は全く追いついていないが、ここに留まれば煙に巻かれて死ぬことだけは確かだった。
床で転がる血まみれの構成員たちを一人でも連れ出し、尋問したい気持ちは山々だったが……もはやそんな猶予は一秒たりとも残されていない。
燃え盛るホールの奥からは、死に瀕した者たちの叫びが絶望的に響いていた。
「熱い! 熱いよぉぉぉ、火が、火が迫ってくるぅぅぅっ!」
「あああぁっ、神様ぁぁぁ! もう悪いことはしません……絶対にしませんから、お赦しをぉぉぉぉぉっ!!」
渦巻く業火の波に呑まれ、息絶えていく商会の構成員と雇われ魔導士たち。
ロザーナはその痛ましい光景から、痛切な表情で目を背けた。
「さあ、逃げよう! リリィちゃん、ロザーナさん!!」
ルイスは無邪気な笑みを浮かべると、背後で激しく吹き荒れる炎の壁を背負うように、大切な仲間である二人へと親しみを込めて両手を差し伸ばした。




