43.血の大花火作戦
「いよっ、と!」
軽い気合いと共に躍り出たルイスは、信じがたいことに、手にした大型の寸胴鍋で直進する火球を真っ向から受け止めてみせた。
バガンッ! と猛烈な衝撃音が重厚な金属を揺らす。炎を包み込んだまま勢いを殺さず、ルイスはそのままの対空姿勢で、唖然と口を開けていた術者の頭部へと寸胴鍋を力任せに被せ打った。
「ふごぉぉぉがっ!?」
鍋の容積いっぱいに凝縮されていた圧縮火炎が、逃げ場を失って男の顔面と頭髪を瞬時に焼き尽くす。吸い込んだ灼熱が気道と肺胞をボロ布のように焼き爛ませ、男の心臓は一瞬の苦悶の後に停止した。頭部から煙を吹きながら倒れ伏す死体。
「撃て! 撃てぇっ! 魔法もクロスボウも叩き込め!!」
叫び声を上げるのは、間近で固まっていたクロスボウ隊と魔導士たちだ。
だが、これほど密度の高い陣容の真っ只中に、恐ろしくすばしっこい「殺戮の獣」が飛び込んだらどうなるか――答えは残酷なまでに明快だった。
「ぐわっ!?」
「ぎゃぁああ! 熱い、熱い! あああぁ!!」
巻き起こる惨絶な同士討ち。
ルイスの残影を追って引き金を引いた矢は味方の腹部を深々と貫通し、放たれた火炎魔法の直撃を受けた男は身を焦がしながら狂ったような無様な死のダンスを披露する。
ルイスは重心を極限まで低く落とし、まるでしなやかな猫か、凶暴な猛獣のように敵陣の隙間を縦横無尽に疾走した。
さらに、ついでとばかりに。
「よっ!」
「うわっ……! あ、あぁ……あぁ……」
カマイタチの如き一閃。
ルイスがすれ違いざまに横一文字に振るった刃が護衛の腹部を滑らかに掻っ捌く。切り開かれた腹から溢れ出してきた己のドロドロとした臓腑を、男は失禁してしまった幼子のように呆然と見下ろしていた。
「ハッハッハ! 遅い遅い! これじゃあ、フォレスト・ウルフの方がずっと厄介だよ!?」
無邪気な笑顔を一切絶やすことなく、ルイスは軽快なステップで次々と人を切り刻み、血の雨を撒き散らしていく。
「何を遊ばせている! 散れ、愚か者ども! 間合いを取れ!!」
たまりかねたエルヴィン・プエルトが喉を潰さんばかりの怒号を発するが、そのような直情的な指示で事態が好転することなどあり得ない。ルイスの移動速度が、人間の認識能力の限界をはるかに超えていたからだ。
「――《火炎球》!」
不意に魔導士の一人が、目と鼻の先に迫ったルイスに向けて必殺の火炎弾を放つ。この中距離ならば、いくら速くとも回避は不可能なはずだった。
しかし――。
ピョン! と軽やかに大股を開き、ルイスは空中へと跳躍した。
「ハハッ! 魔法ってあんがい遅いんだね〜。ドラゴンのブレスの方が早いよ!」
真紅の火球はルイスの股の下を悠々と通過し、後ろにいた味方を直撃する。
「ギャぁぁぁっ!?」
また一人、燃えさかる人間松明が爆生した。
空中へと舞い上がったルイスは、自転するように身体をひねる。そして、滞空中に踵を、トンと右手拳で叩いた。
カチリ、と硬質な仕掛け音が響く。
次の瞬間。
「ぶげっ!?」
ルイスのブーツのつま先から飛び出した銀色の暗器刃が、魔導士のこめかみを鋭く穿っていた。
トン、と軽やかにルイスが両足を着地させた瞬間、刺し貫かれた魔導士は糸の切れた人形のようにバタリと倒れ込む。
「いやぁ〜。やっぱり、このギミックブーツも便利だなぁ〜」
ルイスは血に濡れた爪先を感心したように見つめた。ユーリー・バウトに熱弁されるがまま購入した掘り出し物だったが、実にいい買い物だった。
その時――。
「おい! クソガキがぁ! コイツがどうなってもいいのか!?」
狂乱したエルヴィンが、ロザーナの首に腕を回し、人質として盾にした。
「ルイスさん! 私に構わないでっ!」
喉を圧迫されながらも毅然と叫ぶロザーナ。その白く細い首元には、エルヴィンが握りしめる反り刃のカランビットナイフが押し当てられている。
ルイスの足が、ピタリと止まった。
――手詰まりだ。
周囲のならず者たちは、ようやくルイスの暴走が止まったことに安堵の息を漏らした。だが、それは致命的な誤認だった。
シュンッ――!
空間を割る鋭い風切り音。
「グワッ!」
エルヴィンの右肩口に、吸い込まれるように漆黒の矢が突き刺さった。
「チッ……外したか」
吐き捨てる声の主は――厨房の石窯の陰から半身を乗り出し、ルイス愛用の黒鉄製クロスボウを構えていた、リリィだった。
肩を射抜かれ、エルヴィンが苦悶に体勢を崩したその一瞬。
千載一遇のチャンスを逃すロザーナではなかった。首を前に傾けると、全身の筋力を乗せて背後へと全力で、頭突きを叩き込む!
ゴカッ! と不快な骨砕音が響く。
「むぐっ!?」
後頭部で直撃を受けたエルヴィンは鼻骨を砕かれ、顔面を血で染めてたたらを踏んだ。その拘束が一瞬、緩む。
「ロザーナさん! 走って!!」
ルイスの張りつめた絶叫。
ロザーナは後ろ手に縛られた状態のまま、迷うことなく床を蹴った。
「ルイスさん!」
「ロザーナさん! こっちへ!」
ホールには未だ多数の護衛や魔導士が残っていた。しかし、床一面に転がる死体と血の海で蠢く負傷者たちが足枷となり、疾走する二人に近づくことすらできない。中には、「うわっ!?」と自分の流した血で足を滑らせ、無様に横転する間抜けな男まで出る始末だった。
「このクソどもがぁぁぁぁ! こ、殺してやる、全員殺してやるぅぅ!」
怒りと激痛で正気を失ったエルヴィンは、床に転がっていた木製のクロスボウを拾い上げると、血走った眼でルイスの背中へ照準を合わせた。
そして、狂暴な笑みを浮かべて引き金を引く。
だが――。
「ふぇ……?」
貫通音と共に、目の前で血飛沫が舞った。
最悪なまでの間の悪さで、脚を斬られて倒れていた部下の一人が、ヨロリと立ち上がったのだ。矢はその男の側頭部を真横から貫通していた。男は白目を剥くと、そのまま再び血溜まりへと沈んでいく。
「こ、この……どいつもこいつも……役立たずがぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
狂乱したエルヴィンはクロスボウを床に叩きつけると、自分の放った矢で死んだ部下の死体を、癇癪を起こしたガキのように踏みにじった。
「か、会頭! 奴らはまた厨房へ逃げ込みました! 今度こそ、今度こそ外から火を放ちましょう!」
部下の一人が恐怖に震えながらエルヴィンの腕にしがみつく。その部下の右目に向かって――。
「あがっ!?」
エルヴィンは手にしていたカランビットナイフを躊躇なく深々と突き刺した。
「なら早くやれ! それと……テイマーの魔導士に伝えろ! “アレ”を解き放てとな!!」
「は、はい! す、すぐに……っ!」
右目を潰され、溢れ出る激痛と血を押さえた男が、悲鳴を殺しながらヨロヨロと走り去る。
「魔導士ども! さっさと厨房に火魔法を……ん? なんだ……? これは……」
命令を下しかけたエルヴィンは、右手首にまとわりつく妙な不快感に気づいた。
視線を下ろし、手を持ち上げてみる。
そこには――彼の手首に幾重にも巻きついた、極めて細い……糸。
よくよく目を凝らしてホール全体を眺め渡せば、息を呑むような光景が広がっていた。
広大なホールのあらゆる支柱、壁、調度品、そして私兵たちの足元や首元に至るまで――蜘蛛の巣のように張り巡らされた無数の極細の糸が、魔導灯の光を反射してキラキラと光を放っていたのだ。
その時――。
三人が立て籠もる厨房の中で、リリィの唇が不敵な弧を描いた。
「……私がなぜ、『スパイダー・リリィ』と呼ばれているか。その本当の意味を教えてあげるわ。……二人とも、急ぎなさい!」
リリィが冷酷に命じると、厨房の隅に転がっていた大型の解体用木槌を構えたルイスが応える。
「はいよ〜っ!」
ルイスは、厨房の象徴とも言える巨大な石窯の最下部――その全構造の重量を支えている「要石」に向かって、木槌を全力で叩きつけた。
「こ、これを外せばいいのだな!?」
訳も分からぬまま、ロザーナも同じく隅に立てかけられていたもう一本の木槌をひっ掴む。そしてルイスに合わせ、必死に要石へ打撃を加えた。
その間にリリィは石窯のドーム状の天面へと軽やかに駆け上がり、手にした高強度の極細ワイヤーを、天井へと伸びる分厚い石造りの煙突部分――その最も高い位置へと強固に結びつけ終えていた。
一方、ホールでは――。
「あ、あれ……? 何だこれ……?」
「糸……? なんでこんなところに……」
負傷して床を這っていた男たちが、先ほどルイスが疾走した際、引き回されていた透明なほどの極細鋼線にようやく気づき始めていた。
「えいっ、鬱陶しい! 一体、何を企んでいる!!」
手首の糸を振り払おうとエルヴィンが怒号を上げる。
「早く! 奴らに勘づかれる前にっ!」
リリィが叫ぶ。
「ふんがぁぁぁぁっ!!」
ルイスの、全身の筋力を乗せた渾身の一撃。
ゴシャッ! と鈍い音と共に、基礎を支えていた要石が底から完全に叩き出された。
リリィはドームの頂上から間一髪で飛び降りる。
直後――巨大な石造り構造物の、破綻が始まった。
土台を失った石窯のドームが大きく傾ぎ、繋がっていた漆喰の煙突が猛烈な支柱効果を失って斜めへと崩落。天井の梁を破壊しながら、破砕音と共に倒れていく。
「う、うわわわっ!?」
ルイスはロザーナの身体を抱え込むようにして、崩れ落ちる瓦礫の雨から間一髪で飛び退いた。
そして――傾斜し、崩落していく巨大な石塊の質量が、煙突に結びつけられていたリリィの糸を一気に引っ張っぱる。
そこにかかった牽引力は――約2トン。
その絶大なる物理的エネルギーは、ホール全域に張り巡らされた銀糸のネットワークを介し、一瞬にして猛烈な殺意となって拡散した。
次の瞬間、ホールは本当の地獄絵図へと変貌を遂げる。
――ピンッ!
空気を切り裂く、高音の可憐な弦鳴音。
そして――。
「ギャぁぁぁぁぁっ!?」
「おごっ……!?」
「ぶばぁっ!?」
ある者は両足を膝上から均一に切断され、ある者は構えていた腕ごと肩を滑らかに削ぎ落とされ、ある者は顔面をチーズのようにスライスされ、ある者は喉元を断ち切られて首が床へ転がった。
広大なホール全体に、人間の肉体から噴き出す、血の超大花火が舞い踊った。
そして、エルヴィン・プエルトは――。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!! 俺の……俺の手がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
右手首から先が、ボトッと乾いた音を立てて床へ転がり落ちた。
切断面から噴水のように鮮血を吹き出させる腕を抱え、絶叫しながら転がり回る。
埃と石粉が舞い散る厨房の死角から、チラリとその光景を覗き込んだルイスは――。
「うげぇぇぇ……。もう全部、真っ赤なんだけど!? ホントにホントに、視界がぜ〜んぶ真っ赤っかぁ!?」
壮絶とか、凄惨といった生半可な語彙では到底表現しきれない惨状を前に、引きつった笑みを浮かべながら心底……ドン引きしていた。




