36.夕映えの惨状
「間違いない。冒険者ロドリゴ――共和国から流れてきた奴だな」
湿った土と腐敗の匂いが立ち込める帝都の郊外。集まるハエを鬱陶しそうに手で払いながら、トーマス・ホフナーは屈み込み、物言わぬ肉塊と化した遺体を淡々と検分しながら呟いた。
「……共和国?」
その背後に立つ部下、ロザーナ・ベルトランが、薄汚れた外套の裾を気にしながら眉をひそめて聞き返す。
「騎士団本部の手配書には、ちゃんと目を通しておけと言ったはずだぞ。……コイツには、荷馬車強盗の嫌疑がかけられている。いや――『かけられていた』、とするべきだな」
「確かなのですか?」
「ああ。とある商会の荷馬車が襲撃された際、運良く一命を取り留めた御者がいた。その者の目撃証言を元に作成された人相書きと、特徴が見事に一致している。リーダー格の男――額を斜めに切り裂く刀傷、そして、欠損した右手小指……」
「確かに……一致していますね」
ロザーナも意を決したように息を呑み、遺体へ視線を落とした。
一晩ほど、このような人目のない荒野に放置されていたためだろう。
いたるところを野犬に噛みちぎられ、鋭い嘴を持つ肉食鳥に啄まれた痕跡があちこちにあり、生前の面影を残さぬほどに無残に破壊されていた。
もはや、どこが直接の致命傷なのかを一目で見極めることすら不可能な有様だ。
「ここ最近、国境付近では同様の手口による商会狙いの強盗事件が頻発していた。おそらく、それらもすべてコイツが一味を率いて引き起こした仕業さ……」
「ですが……それも、あくまで推測ですよね?」
惨憺たる遺体を前にして、二人の交わす会話には重苦しい冷気が混じる。
「その通りだ。だからこそ、一応は冒険者ギルドにも足を運んで聞き込みをするしかないな……」
「気が重いですね……。彼らは我々騎士団に対して、あからさまに嫌悪感を隠そうとしないフシがありますから」
ロザーナは胸の内に広がる焦躁感から、ずっしりと肩が重くなるのを感じていた。ギルドの荒くれ者たちが向けてくる、鋭く刺すような蔑視の視線を思い出したのだ。
「そりゃあそうさ。奴らは掟に縛られず自由を愛する荒くれ者。俺たちは掟と不自由と秩序の象徴たる騎士様だ。毛嫌いされるのも無理はない」
「しかし……本当にこの男が連続強盗犯だとしたら。私たちが手を下すまでもなく、またしても『正義』が執行されたことになりますね……」
「そりゃあ、俺たちの面倒な仕事が減って楽になる。ありがたい話じゃないか」
トーマスは肩をすくめ、ロザーナの真剣な言葉を軽妙な冗談として受け流した。だが、その瞳の奥には冷徹な観察者の光が宿っている。
「ですが、隊長。本当に、この事件も……例の“怪物”の仕業だとお考えなのですか?」
「ああ。俺の直感だが、そう踏んでいる。……一つ目はあのロン・プエルトの殺害。二つ目は、オズワルド・ブコナーの暗殺。そしてこの三つ目の事件――これらはすべて、同一犯だと俺は推測している」
「ですが、状況が違いすぎます。オズワルド・ブコナー議員の件は、到底ヒトとは思えぬ遠距離からの狙撃でした。一件目と今回の事件は、明らかにナイフのような近接刃物によるものです」
「……これはまだ、上層部でも不確定な極秘情報だがな。ここ帝都の裏社会に流れ着いたその怪物――闇の住人たちの間では、親しみを込めて、あるいは恐れを込めて『狩人』という二つ名で呼ばれているらしい」
「狩人……」
「ああ。獲物を確実に射殺し、余さず解体する。……まさに、名実ともに狩人そのものだろう?」
ロザーナは何かを言い返そうと唇を開かけたが、胸の奥で渦巻く感情をうまく言語化できず、言葉を飲み込んだ。
狩人――法の手が届かぬ悪を冷酷に刈り取る、姿なき正義の執行人。
その者は、正当な手続きと規律に縛られた自分たち騎士よりもはるかに確実に、そして迅速に悪を断罪している。
内に芽生えたのは、己の無力さに対する焦りなのか、それとも取り残されたようなやるせなさなのか。……だが、その感情の根底にあるのは、おとぎ話の英雄に心を踊らせるような、純粋で強い「憧れ」だった。しかしロザーナは、自らの内に残るそんな幼い童心に思い至り、認め直すことなど到底できなかった。自分はもう、物語に夢見る小娘ではないのだから……。
やがて現場の過酷な後処理を憲兵の所轄隊に引き継ぐと、二人は現場を後にした。重苦しい沈黙を連れ添ってしばらく歩くと、帝都を守護する巨大な街門の影が見えてきた。
門をくぐり抜ける前、二人は立直する門番へ向けて、示し合わせたようにピンと背筋を伸ばし、最敬礼を捧げる。
「お疲れ様です! 騎士団長!」
トーマスが腹の底から鋭く真面目な声を張り上げると、門の前に直立し、身の丈を超える長槍を傍らに立てていた男が、弱々しく息を吐き出した。
「やめてくれ……トーマス君。今の私は、ただの『元』・騎士団長だ……」
力なく呟いたのは、ベン・ファルコーネ。
かつて騎士団の頂点に君臨しながらも、オズワルド・ブコナー議員の護衛責任者として暗殺を防げなかった失態を問われ、こうして最下位の門番へと一気に格下げされた悲運の将であった。
「いえ……私にとって、心から仰ぎ見る団長はお一人しかいません」
普段はどこか不真面目なトーマスが、珍しく真摯な眼差しで言い切る。ロザーナもまた何も言わず、ただ深く敬礼の姿勢を保ち続けた。
「ハァ……。トーマス、お前のそういう不器用なところだぞ? だからお前はいつまでも頭が固いと評価され、近衛騎士への選抜から外されたんだ。その融通の利かない石頭、少しは柔らかくならんのか?」
二人の間に流れる空気に、ロザーナは彼らが単なる上司と部下を超えた、浅からぬ深い絆で結ばれていることを察した。その過去については、また機会を見計らってトーマスに尋ねてみればいい。そう心に留めた。
「団長……失礼ですが、昨夜こちらの城門を担当していた者たちに、少々聞き込みをしたいのですが……」
トーマスが本題を切り出すと、ベンは心底呆れたように肩をすくめた。
「無駄だ。昨夜の門番は、ここには一人もいない……」
「……は?」
「門番担当隊の連中があまりにも不甲斐なく、たるみきっていたからな……。私自身の手で全員、死なない程度に半殺しにして追い出してやった。……というわけで、今の門番は私一人しかおらん」
開いた口が塞がらないような恐ろしい告白に、トーマスとロザーナは思わず顔を見合わせた。
だが、次の瞬間、トーマスはニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「クックック……なるほど。相変わらず豪快でお変わりないですね。案外、お元気そうで何よりですよ……」
「ああ。くだらない貴族どもの相手をする面倒な儀礼もなければ、無駄な残業もない。今は日が落ちればすぐさま家に帰り、愛娘の相手をしてやれる。あの眩暈がするような猛務のの日々に比べれば、今の方がずっと人間らしい生活だよ。……それに最近、気のいい狩人の青年と知り合ってね。おかげで我が家の食費が浮いて実に助かっている」
そう言ってベンが顎で指し示した先――門の巨大な石柱の陰には、編み込まれた大きな籠が置かれていた。そこには、採れたての鮮やかなキノコや瑞々しい野草、そして大きな葉できれいに包まれた、見事に血抜きと処理が施された上質な獣肉がドッシリと詰まっていた。
しかし、その何気ない会話の中で、ロザーナだけは不意に反応していた。
「……狩人……」
抑えきれず、小さな呟きが漏れる。
ただの偶然の一致に過ぎないはずだ。
狩人などいくらでもいる。
そう自分に言い聞かせるが、胸のざわつきは収まらない。トーマスとベンは、妙に強張った表情のロザーナを不思議そうに一瞥した。
「……では、団長。また近いうちに、積もる話もありますし飲みにでも行きましょう」
「ああ。帰りが遅くならない程度でなら、付き合おう……」
そう言葉を交わし、トーマスはカツカツと石畳を鳴らして歩き出す。
その背中を追うべく足を踏み出しかけ、ロザーナは足を止めると、改めてベン・ファルコーネに向かって深く美しい騎士の敬礼を捧げた。元団長もまた、かつての鋭さを少しだけ覗かせて、穏やかにそれに応えてくれた。
夕闇が迫り始める帝都の石畳の上を、二人の騎士の靴音が並んで響く。
ロザーナは胸に渦巻く疑惑を抑えきれず、ふと口を開いた。
「あの……隊長……」
しかし、トーマスは振り返ることもなく、ひらひらと手を振って彼女の言葉を遮った。
「あー、そうそう。ロザーナ、君はもう今日は上がりでいいぞ」
「えっ? あの、ですが……冒険者ギルドへの聞き込み調査は?」
「そんなもの、どうせあの荒くれどもからロクな証言など得られるはずもないさ。だからお前は……たまには彼氏とでもデートして、日頃の不満でも撒き散らしてきたらどうだ?」
少し肩の力が入りすぎている真面目な部下を、いつものように軽くからかうつもりで投げてみた言葉だった。
ところが――。
「はいっ! そうさせていただきますっ!! お疲れ様でした〜!!」
弾けたような大声が夕空に響き渡ったかと思うと、ロザーナは今まで見たこともないような満面の笑みを咲かせ、ビューーーン! と猛烈な風を切って、大通りを矢のように駆け抜けていってしまったのだ。
あまりの勢いに呆然とし、一人取り残されたトーマスは、ぽかんと口を開けたまま立ち尽くした。
「……アイツ……変わった、な……」
いつも眉間に皺を寄せ、生面目すぎるほどに肩へ力を入れ続けていた部下。それがトーマスの知る彼女の評価だったはずだ。ここ最近、彼女に親しい男性ができたらしいということは、この目で確かめてしまっていた……。それが殺伐とした騎士としての営みに、少しばかりの余裕や緩やかさをもたらしてくれれば良いと願ってはいたのだが。
(なんだか……これは……)
夕風に吹かれながら、トーマスは遠ざかる彼女の後ろ姿を見送り、苦笑交じりに呟いた。
「ちょっと……劇的な変化が過ぎやしないか?」




