33.夢の中へ
「やはり、どこを探しても見つからんのだ……」
「え、ええ……そんなことを僕に相談されても困りますよ……」
薄暗いカウンターの片隅。すがるような視線を送ってくるのは、裏社会で『パイソン・リキッド』の異名を持つ男――薬物と毒物の専門家である暗殺者だった。
ルイスは手元のグラスを軽く揺らし、ワインをちびりと舐めながら困惑の笑みを浮かべる。
「もしアレが憲兵騎士団の手にでも渡ってみろ。一発で俺の足がつく……!」
「そんなに珍しい毒薬なんですか?」
「当たり前だ……! アレを調合できるのは、この帝都でも俺くらいなもんだ」
数日前、知り合いの女騎士ロザーナから聞いた限りでは、件の事件はすでに『病死』として処理が済んでいるはずだ。現場から怪しげな証拠品が押収されたという噂も耳にしていない。
「まあ……また、それとなく探ってはみますけど、あまり期待はしないでくださいね」
そう答えるのが、今のルイスにできる精一杯の気休めだった。
「頼んだぞ……」
パイソン・リキッドは心底生きた心地がしないといった様子で深く溜息をつくと、重い足取りで仲間たちの待つ奥のテーブル席へと戻っていった。
入れ替わるように、ルイスの目の前にふっと影が落ちる。
「いやあ、ルイス君。今日持ってきてくれた肉だが、見事なものばかりじゃないか。本当に助かるよ」
ギルドのマスター、ヴィクター・アダムスだ。整えられた眉の下で、細い目をさらに細めて心底嬉しそうに微笑んでいる。
「喜んでもらえてよかったです!」
ルイスは破顔した。
表の顔である『狩人』の仕事が、こうして誰かの役に立ち、感謝されるのは素直に誇らしい。
(爺ちゃんも、よく言っていたっけな……)
故郷の村で、今頃は濁り酒でも呷りながら長老たちと管を巻いているであろう祖父の姿が頭に浮かぶ。幼い頃から、耳にタコができるほど叩き込まれた教えだ。
――『いいか、ルイス。仕事ってのは自分のためだけにやるもんじゃねえ。誰かの為になるからこそ、巡り巡って金が手に入るんだ。それを忘れるな』
確かに、狩人の腕を活かして差し入れたカモ肉は門番を笑顔にし、肉屋のドルテオにも重宝された。そしてこうしてヴィクターの手を経ることで、この酒場に集う客たちの胃袋を満たす最高の逸品へと変わる。
……まあ、客の大部分が裏社会の物騒な住人たちである点を除けば、だが。どんな悪党であろうと人は腹が減るし、どうせ食べるなら美味い肉がいいに決まっている。ルイスとしては実に筋の通った納得の結論であった。
ヴィクターはまな板の上にずっしりと重い肉のブロックを置くと、ふと思いついたように口を開いた。
「そういえばね、ルイス君。君からぜひ肉を仕入れさせてほしいと打診してきている人物がいてね。どうだい?」
「本当ですか!? もちろん、喜んで!」
思いつきで始めた『表の商売』が早くも順調に拡大している気配に、ルイスの胸が高鳴る。
「……ふふ、その相手というのはね。まあ、君もよく知る人物なのだが――」
マスターは含みのある笑みを浮かべ、見事な手つきで包丁をすっと滑らせて肉を切り出していく。
「僕の知っている人……?」
首を傾げるルイス。
この帝都で自分の顔馴染みといえば、リリィか、ユーリーくらいのものだ。
消去法で考えれば武器商人のユーリーだろう。流石にリリィがこのような怪しい酒場と接点を持つはずがない――そう高を括っていた、その時だった。
カランカラン、とドアベルが可憐な音を奏で、新たな訪問者の訪れを告げる。
「やあ、ルイスさん! 今夜ももしかしたらここにいるのではないかと思って、来てしまいました!」
店内へ足を踏み入れてきたのは、あろうことか憲兵騎士団の制服に身を包んだ女騎士――ロザーナ・ベルトランだった。
一目でルイスの姿を捉えると、パッと花が咲くような笑顔で一直線に駆け寄ってくる。
その瞬間、店内の空気が凍りついた。
壁際の暗がりで杯を傾けていた男たちの視線が一斉に突き刺さる。
(本当に……騎士団の女を手籠めにしたのか……)
(闇に堕ちた女騎士か……ろくな末路を辿らんぞ。あの新入りも、罪な男だ……)
暗殺者たちが勝手に恐ろしい深読みをして戦慄する中、渦中のロザーナ本人は、この店を『知る人ぞ知る隠れ家風のお洒落なバー』だと固く信じ込んでいるだけだった。
「あ、マスター。私も彼と同じものをいただけますか?」
「かしこまりました。少々お持ちください」
暗殺者たちの天敵とも言える騎士の登場にも、ヴィクターは眉ひとつ動かさない。むしろ、この異常事態を心底楽しんでいる様子すら伺えた。
「ん……? なんだか凄そうなお肉ですね。見るからに高級品と言いますか……」
カウンターの向こう側で切り分けられる肉塊に、ロザーナが興味津々で身を乗り出す。
「『暴食鹿』の肉ですよ。滅多に市場に出回らない最高級品です。そちらのルイス君から善意で譲っていただきましてね」
「っ!?」
ロザーナは喉を鳴らし、息を飲んだ。
(や、やはり……! ルイスさんは、ただ者ではない……! こんな、並の貴族ですら口にできないような超高級食材を、あっさりと……)
チラリとルイスに目をやると、当の本人は「いやあ、それほどでも〜」と照れくさそうに頭を掻いている。
実は――ロザーナの胸中には、ある一つの仮説……いや、甘美な妄想が渦巻いていた。
ルイスの言葉遣いに時折混ざる、独特のイントネーション。
同じ西大陸共通語ではあるが、それは明らかに『王国』の上流階級が用いる発声の特徴に合致していた。
そこまでの観察眼は見事という他ない。
しかし、目の前で展開される常識外れの現実に、彼女の乙女思考は歯止めの効かない暴走を始めていたのだった。
(はっ……まさか、ルイスさんは……! 王位継承争いの陰謀から逃れてきた……つまり、王国の王子様……!?)
ロザーナの脳内で、王宮ロマン劇場……華々しく開幕!
――『兄上ッ! まさか僕が生きていたとはお思いにならなかったでしょう!』
『くっ……貴様ッ! ルイス、なぜここに……!?』
『兄上がこれまで重ねてこられた悪事の数々……ここにすべての証拠が揃っております!』
『き、貴様あぁぁ! よくも私をハメたな!』
重厚な玉座から偉大なる国王が立ち上がり、威厳に満ちた声で宣誓する。
『これより、次代の王位を第ニ王子ルイス・バランタインに継承することを宣言する!』
『やめろ! 放せ、貴様らッ!』
近衛騎士たちに左右を固められ、惨めな悲鳴を上げながら引きずられていく第一王子。
争いが収まり、静寂が訪れた大広間で、ルイス王子は父王に向かって気高く頭を下げる。
『父上、感謝いたします。……ですが、僕から一つだけ、どうしても叶えたい条件がございます』
『ほう……申してみよ、ルイス』
『僕の未来の妃は――そこにいる、ロザーナ・ベルトランただ一人だと、認めていただきたい!』
なんでだか知らんが、いつの間にやら煌びやかなドレスに身を包んだロザーナ。その背景で、百合の花弁が狂い咲き、天上から祝福の光が神々しく降り注ぐ。
そうして幾多の試練を乗り越えた二人は、なんやかんやあって……光あふれる丘の上、一頭の白馬に跨ってどこまでも駆け去っていくのだった――。
――THE END.
幼少期から読み耽った乙女向け恋愛小説の影響により、完璧すぎる脳内二次創作を完成させてしまったロザーナ。
彼女は口元からたらりと泥のように唾液を垂らし、「エヘ……エヘヘッ……」とだらしなく淫らな笑みを浮かべて恍惚としていた。
そんな彼女の横顔を覗き込んだルイスはというと。
(ふふっ! あの分厚い極上ステーキ肉を見せられたら、誰だってあんな顔になっちゃうよね〜。ロザーナさんも、あんがい食いしん坊なんだなあ〜)
と、どこまでも明後日の方向でほっこりとした温かい気分になっていた。
今宵もまた、ルイスの周囲だけ異次元の誤解と勘違いが幾重にも複雑に絡み合っていく。
その時だった。
「……お、おい、ルイス。ちょっといいか……?」
背後からそっと肩を叩かれた。
振り返ると、青ざめた顔をしたパイソン・リキッドが立っていた。
「ロザーナさん、少し失礼しますね」
「ハハ……ヒャい……」
まだ"夢の王国"から帰ってこられないロザーナをその場に残し、ルイスはパイソンに促されて店の隅へと移動する。
影になった柱の陰で、パイソンが声を殺して囁いた。
「お、おい……! あの女騎士の首元を見たか!?」
「へ? 首元ですか?」
「あ、アレ……! 俺が現場に落とした、毒の小瓶だ……!」
「……ん? んん〜〜??」
ルイスは首を傾げ、柱の陰からカウンターに座るロザーナの横顔へと視線を向けた。
常人を遥かに凌駕するルイスの視力が、彼女の胸元に焦点を合わせる。
革紐で首から下げられた、胸元で揺れる小さなペンダント。……に、見えていたモノ。
その先端に結びつけられていたのは――指先ほどしかない極小の硝子瓶と、その中で怪しく揺らめく毒々しい紫色の液体だった。
一見すれば、美しく輝く小ぶりの宝石をあしらったアクセサリーにしか見えない。見過ごしてしまうのも無理はない出来映えだ。
(……あ、本当だ)
ルイスは、時間をかけるようにゆっくりと、実にゆっくりと振り返った。
そして、犯行現場に決定的な証拠を落としてきた間抜けすぎる先輩暗殺者に対し、心の底からの冷や汗を流しながら静かに告げた。
「あれは……とてもとても……マズい状況ですね……」




